2011年2月28日月曜日

花見川中流紀行 13縄文海進と貝塚分布

            縄文海進のイメージと貝塚分布
 縄文海進のイメージ図の確からしさを検証するために、この図に貝塚分布をプロットしてみました。貝塚のデータは「千葉県埋蔵文化財分布図(2)」(昭和61年3月 財団法人千葉県文化財センター)を用いました。この図の範囲には24の貝塚が確認できました。貝塚分布と縄文海進イメージ図(現在の等高線+10m付近まで海が侵入したと想定※)との関係に基本的な齟齬は認められませんでした。なお、馬加貝塚が海の中にあるように見えますが、これは後世の花見川ショートカット工事で台地が削られたため、台地縁砂洲にあった貝塚がそのような見かけになっているだけです。
 縄文海進のイメージ図の確からしさを自分なりに検証したので、今後、このイメージ図を使って過去の出来事に思いを馳せたいと思います。
※過去の海面の高さが+10mになっていたわけではありません。

            正面は城山貝塚を覆って造成された建売住宅
 城山貝塚は千葉市最北端に位置する貝塚で、縄文海進の海が長作川の低地奥深くまで進入した様子を示す証人みたいなものです。この遺跡は長作川湾入部に半島状に突き出た地形となっていて、現在ではその半島状の地形をそのまま覆って建売住宅群が建てられています。従って、御成街道(東金街道)を車で走行しながらこの建売住宅群を遠望すると、半島状の地形が確認できます。縄文早期遺跡。
            画像右側台地上の縁に坊辺田貝塚がある
坊辺田貝塚は長作川低地に湾入した海の湾口部を見下ろすような位置に立地した貝塚です。

2011年2月27日日曜日

花見川中流紀行 12縄文海進のイメージ

縄文海進のイメージ図
同じ場所の現在の地図
 GISを使って、縄文海進の姿を想像してみた。
 「ハナミ」「ハナシマ」「イノハナ」などの地名の起源は、縄文海進の海と対比して台地につけた名前(柳田國男によればアイヌの言葉を話す人が付けた名前)と考えましたから、縄文海進を地図上でイメージしておくことは大切です。
 また、堀割普請で苦労した化灯土は縄文海進・海退の産物ですから、その意味でも縄文海進を知らなければなりません。
 このブログはアカデミックなものではないので、お気軽に縄文海進の想像をしてみました。

 データは国土地理院から無償で提供されている「基盤地図情報数値標高モデル」の5mメッシュ(標高)データ(0.1m単位)です。
 条件は縄文海進の最高海面を+5mとし、その後の海退時の沖積層の堆積深、火山降灰堆積深、地盤隆起量、歴史時代以降の盛土深を全部合わせて+1m、+2m、+3m、+4m、+5mの5ケースでカバーできると考えることにしました。もし、これらの条件を先行研究や他所の事例を踏まえて検討するならば、それだけで1年間のブログ記事を書くことが出来ると思いますが、今回は1瞬で済む直感的条件設定にしておきます。

 メッシュデータのありかの検索、ダウンロードと解凍、GISソフト起動とメッシュデータ取り込み、表示の調整までの時間は30分くらいで済みました。
 作成した海進イメージ図(陰影をつけました)に犢橋貝塚の位置をプロットしてみると、貝塚の位置と犢橋川入江の海の関係から、海の範囲は現在の等高線分布で言うと9mとか10m付近にあったと考えるのが妥当のようです。(現在の高さ9mとか10mまで海の高さがあったのではありません。)つまり、このイメージ図の青系統で塗った部分が全て海だったと考えてよいと思います。

 縄文海進のピーク時(6000年前頃)には幕張付近を中心とする広い「古幕張湾」とでも呼べるような湾入部があり、そこから花見川の入江がフィヨルドのように内陸北方向に向かい、長作付近で東に向きを転じ、犢橋川の谷奥まで続く海があったと想像します。犢橋川の谷が海であった時代に犢橋貝塚ができたと想像します。
 入り江の本筋(谷の本筋)は、その幅の広さからもともとは犢橋川の谷にあることが良く分かります。天戸付近で北に向かう現在の花見川筋は侵食力旺盛な支流で、古柏井川の上流部を争奪していたので、縄文海進時は奥深くまで海水が進入した狭く深い谷であったと想像します。海退時に、花見川筋の深い谷に生成した堆積物が化灯土であると考えます。

2011年2月26日土曜日

花見川中流紀行 11カワセミの生息に不可欠な素掘堀割

カワセミ観察場所と素掘堀割部分

カワセミが採餌していた高津川(コンクリート3面張)

カワセミが採餌していた長作川(柵渠)

 上図は、散歩でカワセミを観察した場所をプロットしたものです。花見川中流がその分布の下限になります。
 写真をみていただいてわかるように、こんな場所でカワセミが採餌しているとは驚きです。こんな河川・水路に小魚や水生小動物がいて、カワセミが採餌していることはあまり知られていないと思います。
 カワセミは花見川上流の素掘堀割を拠点にして(営巣場所にして)、流入河川・水路にも出かけて食事をしています。高津川、勝田川、横戸川、犢橋川、長作川などで、柵渠の中をたくみに飛翔している姿を何べんも観察しました。

 花見川の堀割(弁天橋付近から花島橋付近まで)は天保の素掘普請の姿がほぼそのまま残っていて、その後の大きな改変やコンクリート構造物がありません。珍しい河川形状になっています。文化的・景観的・歴史的な価値も生まれてきています。カワセミ分布から推し量られるように自然的な価値も大きなものがあります。私は、この素掘堀割としての花見川の価値を流域に居住する住民や行政がもっと知り、地域づくりにもっと活用すべきだと思っています。
 将来治水や利水・空間利用上の要請で、堀割部改変の必要が生じた場合は、素掘河川としての価値をどのように後世に伝えてゆくか、十分な吟味が必要だと思われます。

2011年2月25日金曜日

花見川中流紀行 10遡上環境と魚類

            花見川流域で見た魚類や水生動物
 上図はこれまでの散歩で見た魚類や水生動物をプロットしたものです。私の散歩では受身的観察をしていて、橋の上から川の中を覗く程度の観察が多かったので、得られた情報はわずかでした。興味をもった事象は3つでした。
 1番目は既に少し紹介した高津川合流部におけるコイの大集団産卵です。高津川流域の記述で詳細をさらに紹介します。
 2番目は同じ高津川の上流で、数多くのドジョウや小魚が水底に死骸となっており、それが流れで流下するとコサギが食べていた光景です。水質汚染が絡んでいるようです。これも高津川流域の紀行で詳述します。
 3番目は今日紹介する長作制水門下で、遡上を阻止された魚類の集団とそれを飽食するカワウの採餌です。
            遡上環境から見た花見川の分断
 花見川を海からの魚の遡上という観点から見ると、長作制水門と天戸制水門の2箇所で川が分断されています。
 遡上と降下を繰り返す種類のみならず、川を遡上して自分の種の生息領域を拡大する本能が強い種もあると思います。それらの生物種は、海から遡上して長作制水門下まで来ることができます。そこでストップです。平成21年の9月のある日に長作制水門下の水面は遡上したがっている魚の群れで溢れかえっていました。幾つもの魚群が水面に小波のざわめきを立てながら行ったり来たりしています。それをカワウが狙って飽食していました。飽食したカワウはまだまだいくらでも魚はいますが、近くの京葉道路橋脚下で羽を広げて乾かしながら「もう食べられない」と言い出さんばかりの雰囲気で休んでいました。この時の魚群の種類は分かりませんでした。
            長作制水門下のカワウ

 WEBで千葉市環境保全部の資料を閲覧すると、花見川の魚類調査のデータを見ることが出来ました。記録された魚類は次の通りです。(平成14年調査)
花島橋付近(天戸制水門の上流)
・フナ属、モツゴ、ヌマチチブ、カダヤシ、ブルーギルの5種
新花見川橋付近(長作制水門の下流)
・スズキ、ボラ、セスジボラ、コボラ、ウロハゼ、マハゼの6種
花島橋付近でコイが出てこないのは不満ですが、「そのときの調査で捕獲したものしかリストアップしていません」と言われるとすれば引き下がるほか仕方ありません。カダヤシとブルーギルという外来魚が出てくることが心配です。
 新花見川付近にはスズキ、ボラ類、ハゼ類が顔を出し、リストを見ただけで汐の香りがしてきます。

 私は、100年後(3~4世代後)までには、既に始まっている社会の価値観変化が大い進み、従って地域づくりや川づくりの政策も自然や歴史・風土を大事にするものに大いに転換しているものと思っています。

 花見川の上空には白鳥のみならず、コウノトリ、トキが舞っている姿が現実になっていると思います。
 花見川の2つの制水門(その必要性が残っていれば)にも魚道が出来て、アユが新たに遡上するようになり、勝田川でアユ釣りが行われている姿が現実のものとなっていると信じています。

2011年2月24日木曜日

花見川中流紀行 9生態環境と送電線鉄塔

            野鳥飛行コースのネック
 美化して表現すると、以前マルチハビテーション(二地域居住)の生活を送っていました。月曜日から金曜日までは世田谷区二子玉川、土曜日と日曜日は千葉市花見川区の花見川のほとりです。二子玉川では毎朝多摩川河川敷の散歩を欠かしませんでした。花見川以上に多摩川は野鳥のエコロードになっています。毎朝カワウやカモ類が東京湾から雁行飛行で大挙して上流に向かいます。その時、野毛で多摩川を横断して架かる送電線に難儀しているのを何べんも見ました。雁行飛行の群れが送電線を発見して多摩川から離れて大きく迂回して通ったり、送電線の手前で大きく旋回して高度を上げて送電線を超えたり、あきらめて引き返した例も見たことがあります。
 「野鳥は言葉を持っていないので、自分の難儀を人に伝えることはできない。われわれ人がそれを察して代弁してやるしかない。」とその時感じていました。

 さて、花見川は東京湾と印旛沼、利根川を結ぶ重要な野鳥のエコロードになっています。花見川を横断する送電線は上図のとおり、花見川上流に4箇所、中流に5箇所あります。送電線横断ポイントを下流から番号をふって説明します。2番、3番は近接していてその近くに京葉道路があり、相当な難所のようです。4番5番も近接していて下に亥鼻橋があり一つの難所です。6番、7番も近接していて、直下に水道局の水管橋があり難所になっていると思います。8番、8番も近接していて大和田排水機場が下にあり難所です。

 6番、7番のポイントでは次のような観察をしたことがあります。
数羽のカワウの群れが下流から上流方向に飛行してきて、明らかに障害物の存在に狼狽して(私の受けた感じです)、水管橋の下と上に分かれてすり抜けたことを観察したことがあります。その時、雁行飛行している鳥群のうち、前方の障害物を見ているのは先頭の鳥くらいで、後の鳥は先頭の鳥に付いているだけだとその挙動から感じました。丁度自転車のロードレースで、先頭引きとその後で風圧を避けている選手の関係です。単羽のカワウの場合は水管橋の下をすり抜けることが多く、見た目に狼狽や混乱はありません。

 100年後(3~4世代後)くらいには、白鳥どころか、コウノトリやトキなども舞う花見川になっていると思います。その時代には野鳥飛行ルートの難儀対策が社会政策として執られているかもしれません。

            足元に小動物を捕まえているオオタカ(?)
 送電線と鉄塔の存在は、野鳥にプラスの影響をしているのではないかと感じることも多々あります。
 詳しくは犢橋川小流域の記述で述べますが、犢橋川の京葉道路付近の鉄塔でオオタカ(?)が食事をしていました。付近の草むらで小動物(ネズミか)を捕まえてから、鉄塔に舞い上がり、おいしそうに食べていました。また、旋回飛行後の休憩も鉄塔でとっていました。鉄塔が猛禽類の止まり木として重要な役割を果たしています。
 6番、7番から1キロ北西の芦太川流域にある雑木林はカラス森になっています。夕方になると数千羽のカラスが森に入る前にひとしきり集合します。その時送電線の上にずらりと止まり圧巻です。カラスにとって不可欠な環境とは思われませんが、野鳥にとって送電線は止まり木としての大きな役割を持っていると思います。

2011年2月23日水曜日

花見川中流紀行 8河川景観と送電線鉄塔

            花見川沿いの送電線
 花見川中流の河川沿いには送電線の鉄塔が併走しています。犢橋川合流部から浪花橋までの左岸と長作川から汐留橋までの右岸です。このうち京葉道路付近から浪花町付近までの左岸は送電線が2条並列になりますので、景観上のインパクトは強いものがあります。
 このような風景をどのように捉えたらよいのか、これから勉強していきたいと思っています。
 手始めに花見川流域の送電線ネットワークと変電所の配置を図化してみました。資料は2万5千分1地形図です。
            花見川流域の送電線と変電所の配置
 この図を頼りにして、電話で東京電力に送電線についていくつか尋ねてみました。2人の技術者の方から丁寧な対応をしていただきました。いろいろなやり取りの結果次のようなことがわかりました。
・花見川から犢橋川の谷津を通り、宇那谷川、勝田川とその支谷津を抜けるルートは50万ボルトの特級幹線であること。(運用上日本の最大電圧で、大容量発電所と1次変電所、1次変電所間の送電に使用する規格のようです。)
・このルートが最初につくられたものであること。
・流域北西部(八千代市高津付近)から南東部(千葉市稲毛区長沼町付近)に抜ける2本の直線的なルートは15万4千ボルトの幹線であること。(都市部近郊の変電所までの送電に用いられるようです。)
・送電線の電圧(ボルト)は50万、27.5万、15.4万、6.6万などがあり、さらに幾つもの段階を経て最終的に家庭用の200、100になること。
・(亥鼻橋付近で送電線が一度花見川をまたいでいるがその理由はという質問に、直接的な回答ではありませんが)一般論として、地権者から上空を送電線を通してもらいたくないという要望がある場合、公共的な空間をつかうことがあるとのこと。
・送電線は、都心の新設部で、高層ビルの存在等で鉄塔の建設が出来ない場合は地下化するが、それ以外は鉄塔で配線する。既存の送電線を地下化する考えはないとのこと。
などでした。
 ネットワークの概要がおぼろげながら分かってきました。変電所の位置をみると工場、浄水場、鉄道などの場所にあり、これらに伸びている送電線の電圧は低いものになります。ちなみに、柏井浄水場の変電所に伸びる送電線の鉄塔には「浄水線、6万6千ボルト」と表記されています。
            花見川近くの変電所
 次に、送電線ネットワークと河川との関係を見るために、河川沿いの送電線だけ抜き出して見ました。
            花見川流域の河川沿い送電線
 花見川中流だけでなく、犢橋川、宇那谷川、勝田川の一部、勝田川支谷津、高津川の一部などに送電線が走っています。市街化した場所を避けて送電線を配置するために河川や谷底を利用したのだと思います。東京の高速道路が古川(渋谷川)の上空や荒川を通るのと同じような現象だと思います。
 現在ある送電線を地下化するという考えは、現在ある鉄道を地下化するというのと同じように困難なことで、現実的ではないことが分かりました。そこで、河川景観上からは、鉄塔のある風景を前提に、どのようにしたらより好ましい花見川や支川・谷津の風景をこれからつくるか、ということが課題であると感じました。鉄塔の色や形状などは、維持管理や将来の建替えを考えれば、より風景に合ったものに変更ありだと思います。
 送電線は社会の重要なインフラですから、他のインフラと同じようにその社会的意義をもっと学習する必要があると感じました。

2011年2月22日火曜日

トピックス 花見川の白鳥

            白鳥飛来を報じる千葉用水総合管理所hp
 独立行政法人水資源機構千葉用水総合管理所のホームページを見たら、花見川に舞い降りた白鳥という記事が目に飛び込んできました。
 この記事によれば、平成23年1月31日花見川に4羽の白鳥が、勝田川合流点付近に舞い降りたそうです。千葉用水管理所の方に問い合わせたら、飛来後3~4日後にいなくなり、一度戻ってきたが、またいなくなったということを教えていただきました。
 私は白鳥を見ることが出来ませんでした。
 この情報で私が強く感じるのは、勝田川合流点の改修工事で水面が広がり、白鳥が「もしかしたら棲むことができるかも知れない」と思ったであろうことです。白鳥の本能的心理をして、もしかして棲めるかもしれないと思わしめた合流点工事はよかったと思います。もちろん餌の面などで白鳥が棲めるような環境は現実にはそろっていないと思います。しかし私にはこの白鳥飛来が象徴的な出来事のように思われます。河川工事をした人に白鳥という自然の使者が「無言のお礼」というプレゼントを持ってきてくれたように感じます。勝田川の内山橋から上流は広い水面が出来ていますが、過去には見られなかった多数の水鳥が遊んでいます。多自然を標榜している勝田川の改修工事の完成が楽しみです。
            手前が勝田川、向こうが花見川(コサギの群れが集まっている)
 花見川に白鳥が飛来した要因の一つには白鳥の本来生息地の窮屈さもあるように想像します。直線距離16キロ北東の印西市本埜の白鳥飛来地には狭い生息地に1200羽の白鳥が飛来しているそうです。(印西市ホームページに飛来地の案内図や情報が掲載されています。)「こんな芋の皮むくような場所にいられないよ!」と思った白鳥が、少々劣悪でもいいから新天地を目指したとしてもおかしくありません。
 本埜の白鳥は2月中旬から下旬、春一番が吹く頃、順次シベリアに向けて飛び立つそうです。
            印西市本埜の白鳥飛来地と花見川は16キロしか離れていない

2011年2月21日月曜日

花見川中流紀行 7見どころその2

            長作見晴台からの眺望
 右岸台地上の縁にある諏訪神社に長作見晴台があります。この見晴台からの花見川風景は流域全体で最も眺望の開けたものです。掲載した写真は広がるパノラマの極一部の花見川京葉道路橋梁方向を示しているにすぎません。
 この長作見晴台に来ると、私は、見える平野がかつては縄文海進の時代には海であったことがまぶたに浮かびます。
 私は、「ハナミ」、「ハナシマ」、「イノハナ」など、「花」や「鼻」に関わる地名を残していった人々のことを考えたとき、この展望台からの風景を思い出しました。この展望台から風景を見たとき意識する自分の立っている台地面が「ハナ」だと思います。
花見川からこの展望台のある諏訪神社の鳥居がよく見えます。台地縁と花見川が景観上相互に関連している場所はほかに2~3ありますが、現在はここが最も強く関連している場所です。
            長作見晴台の立て札
 この展望台は地元の方々によって造られ、管理されているようです。他の台地縁展望場所(多くは神社になっている)とは異なり地元の人々の関わりがまだ強く残っている姿が印象的です。

            亥鼻橋から汐留橋右岸の桜並木サイクリング道路
 この桜並木のサイクリング道路は花見川の風景を引き立てるだけでなく、サイクリングや散歩のための快適な環境となっています。堤防上につくられているので、風景の見通しも良いです。

            区役所近くの沿川公園
 京葉道路から下流の左岸側には、公園が連続して上下流の河川区間と雰囲気がガラリと変わります。公園も新しいので現代風の好みに合います。快適、安心な雰囲気の公園です。市販道路市街図をみると、むくどり公園、しらさぎ公園、花見川千本緑地などの名称となっています。隣接して花見川区役所があります。瑞穂橋ができたので、「川向こう」からでも区役所にすぐに来れるようになりました。

 なお、やはり送電線と鉄塔が気になります。地図を見ると送電線は犢橋川低地沿いに走り、勝田川低地に出るなど河川(低地)を利用してネットワークがつくられていることもわかりました。送電施設は社会のインフラとして重要です。そのインフラと河川風景とどう折り合いをつけていくべきか?これを機会に自分自身が考えを持てるように、勉強したいと思います。

            瑞穂橋からの上流風景
 瑞穂橋から上流方向を見ると、遠望する京葉道路がアイストップとなり締まった風景となります。また、左岸の送電線と鉄塔の存在が花見川と併走するため、良いか悪いかは別として、風景に立体感をもたらし、構図的に見せる要素をもたらしています。

            瑞穂橋からの下流風景
 右岸(画面右側)にも低い台地の残丘があり、直線状に花見川をショートカットして造った場所の風景です。浪花橋と総武線橋梁がアイストップになっています。

            浪花橋からの上流
 広々とした花見川の水面を橋でさえぎられることなく、遠くまで見ることができるのは、花見川中流では浪花橋から上流方向が最も下流となります。

            公園
 総武線橋梁と京成千葉線橋梁に挟まれて、清水代公園があります。芝生の広々とした公園です。

            検見川神社
 花見川から少し離れますが、砂丘台地上に検見川神社があります。

2011年2月20日日曜日

花見川中流紀行 6見どころその1

花島公園 川辺憩いの広場
花島橋より下流の左岸河川敷地に最近整備された瀟洒な公園です。清潔なトイレはサイクリングや散歩者にとって貴重なユーティリティです。私が散歩した時は、背後斜面の雑木林からけたたましいコジュケイの鳴き声が聞こえてきました。
天戸大橋上からの上流方向風景
 花見川大橋、千葉県水道局水管橋、天戸制水門が重なって見えるので奥行き感のある河川風景が楽しめます。
天戸大橋上からの下流方向風景
 上流方向から続いてきた、台地が迫った堀割(谷)地形の風景はここまで付近で終わりになります。
天戸大橋から亥鼻橋までの右岸方向の風景
 天戸大橋から下流に行くと、田園的な雰囲気が強くなり、のんびりとした風景になります。
左岸から右岸を見ると、樹林のある崖の下に人家が見え、その手前に水田、さらに手前に花見川の水面となり、風景構図的には素晴らしい素質があります。ここに、もし、違法耕作特有の雑然さ、あちこちに見えるゴミ、人家付近の沢山の電柱、釣り人の周りの雑然さなどに対策がとられれば一級の河川風景、田園風景になると思います。この風景を「見せよう」とだれも思っていないので、せっかくの風景素質が埋もれています。
亥鼻橋歩道橋から下流
 亥鼻橋歩道橋から下流を見ると平野の広がりが感じられる風景となります。送電線と鉄塔が自己主張しているので田園風景としては格落ちになりますが、右岸側の桜並木と水面が風景を盛り立てています。
汐留橋から上流
 汐留橋から上流方向を見ると、ダムアップされた水面になっていて、花見川で最も広々とした開放感溢れる風景を愉しむことが出来ます。右岸(画面左)の散歩道と桜並木が視線を遠くまで誘導してくれます。やはり送電線と鉄塔がうるさいです。
神場公園
 左岸のサイクリング道路から少し入ったところにあります。谷津と台地面の地形を利用して公園施設が造られています。私が来訪したときはいつもこの公園全体をほとんど独り占めして利用できました。

(つづく)

2011年2月19日土曜日

花見川中流紀行 5花見川の語源2

大枚7000円で購入した吉田東伍「大日本地名辞書 坂東」と「角川日本地名大辞典 12千葉県」が昨日到着しました。両方とも使われた形跡がない本で、図書館で利用できるであろう本よりよほど新鮮美麗でした。最近のブックオフなどの若者向け古書店が、内容(情報)ではなく、汚れなどの物的条件で値付けするようになってから、少しでも日焼けしているような本は格安になります。書き込みがあるのを承知でWEB購入申込したら、書店から申し訳ないから無料にしますといわれたことすらあります。今回購入した角川の本は箱にかぶさるカバーだけが日焼けしていたのですが、それで格安となったようです。

 吉田東伍「大日本地名辞書 坂東」は明治40年冨山房版の縮刷影印本(昭和49年発行)です。
 この本に花見川が出ていました。
「元は犢橋村柏井の邊に発する野水の末なるが、近世印旛沼堀割の土功を起こしし時、印旛郡平戸川の低谷より、此川筋へ達する水路を疎開したり。故に其水路は成就せざりしも、横戸に於て一堰を造りて、之に水を貯へ、夏時には之を花見川へも灌くこととなりぬ、横戸堰より検見川村の海濱まで凡二里。」

 語源に関わる情報はなく、工事の歴史に関する情報がでていました。こうした記述が後の角川と平凡社の地名辞典の出発点になっていることを確認しました。花見川の語源検討は空白地帯になっている可能性を感じました。
 なお、この辞書には花見川流域にかかわる地名としてざっと見ただけで、次の項目が説明されています。
 六方野、検見川、花見川、犢橋、柏井(花島)、横戸(印旛沼古堀)、大和田(萱田)、高津、習志野原、三山、(薬円台)、馬加〔マクハリ〕、武石
 詳細は省きますが、これらの地名の説明内容には強烈に興味をそそられるものが幾つもあります。趣味の散歩の質を高めるためにこれらの情報を吟味したいと思っています。折に触れこのブログで紹介したいと思います。

 「角川日本地名大辞典 12千葉県」は昭和59年発行となっています。花見川の記述は「正式名称は印旛沼放水路という。印旛沼周辺の洪水防止を目的として整備された人工河川。」で始まり、工事の歴史が書いてあります。平凡社地名辞典と同じような記述です。この辞典はアイウエオ順になっているので、他の地名の記述はまだみていませんが、たまたま見た検見川の項目では花見川に関わる記述もあり、役立つ情報源になりそうです。

 さて、花見川の語源の話に戻ります。
 前の記事で私はハナミのハナは先端の意味だと解釈しました。なぜこのように考えたか、その出所を考えると、柳田國男の「地名の研究」(昭和10年)から情報を拝借していることはすぐに思い出しました。そこで、この本を再度見てみました。そうしたところ、ますます自分が考えた語源解釈が柳田國男の説で説明できる確信を深めました。

 柳田の「花」、「鼻」に関する説を一部抜書きしてみます。
「ハナはすなわち塙(はなわ)であって、民居の後ろにのぞんだ高地なるゆえに・・・」
「ハナグリのハナはたぶん突出の意味であろう・・・」
「『落葉集』巻一に、「ハナ山、山の差出たる処を謂ふ、塙に同じ。ハナワ、塙と書けり、山の差出たる処也」とあるのは、あるいは『奥儀抄』によったのかも知れぬが、現今常陸稲敷地方で、高い地所をハナワというのは事実である(茨城県方言集覧)。所によっては花輪と書き、または半縄と書くのも多い。あるいは猪鼻または竹鼻などもあって・・・」
「このハナワなどはアイヌ語だといっても、たいてい誤りはあるまい。アイヌ語のPana-waはPena-waに対する語で、ワは「より」、パナは下、ペナは上である。パナワとはすなわち「下から」という意味である。日当たりがよく、遠見がきいて、水害を避けつつ水流水田を手近に利用しうる地勢だから、人が居住に便としたに相違ない。猪鼻台などのイは、すなわちイナカのイであって、民居ある高地と解せられ得る。」

 この柳田の説明から、花見川、花島だけでなく、花見川にかかる亥鼻橋の亥鼻も同源であることが分かります。近くの船橋の花輪(花輪インターチェンジなど)も同源です。

 これだけ柳田國男がはっきりと説を唱えているのですから、花見川の語源説明が一般市民が目にする図書や資料に出ていておかしくありません。しかし、私は相当調べたのですが、いままで花見川の語源についての説明をみたことはありません。不思議です。

 なお、定本柳田國男集全41巻の総索引をみたところ、花見川、花島など花見川流域に関わる地名は全く出てきませんでした。堀割普請なども全くでてきませんでした。柳田國男と花見川流域とは縁が無いようです。

 花見川の語源についてはスケッチができたので、次は彩色するような作業をしてみたいと思います。

花見川中流紀行 4散歩の目印その2

            長作川合流
 うっかりすると見過ごしてしまうような合流部です。
            汐留橋
 この橋の直下流に長作制水門があり、そこより下流が感潮部となるのでこの橋が汐留橋と呼ばれるものと思われます。
            長作制水門
 この制水門の下までが感潮部です。海で生まれた生物はこれより上流に遡上できません。この制水門の下でいくつもの魚群が入り乱れて泳ぎ、それをねらったカワウが飽食している様を見かけました。
            京葉道路
 花見川を横断する高速道路はこの京葉道路と旧河口付近の東関東自動車道の2本です。
            浪花川合流
 浪花川合流といっても現代では地下管路の出口で、川や水路といった風景上の面影はゼロです。
            瑞穂橋
 最近架けられた橋で武石方面から花見川区役所方面に行く場合の自動車交通の便が良くなりました。
            浪花橋
            総武線橋梁
            京成千葉線橋梁
            新花見川橋
 国道14号旧道に架かる橋です。
            幕張橋
            舟溜まり
 この舟溜まりがあるので、かつてここが河口であったことが分かります。
            新幕張橋
 国道14号の橋梁です。この橋梁位置がかつての海岸線付近です。これより下流は戦後の埋立地に延長された花見川になります。

 近々、散歩の目印の写真をマップに表示する予定です。