2011年3月6日日曜日

花見川中流紀行 16活断層存在の可能性3 論文著者の訂正と新論文発見

前の記事「活断層存在の可能性1」と「2」で、「印旛沼堀割線路中断層の存在」の著者を西和田久學と紹介しました。しかし、調べているうちに私のミスで、本当の著者は巨智部忠承(こちべただつね)であることが判明しました。
 ここに関係者の皆様とブログを見ていただいた方々にお詫び申し上げるとともに、訂正いたします。
 前の記事の著者名は訂正しました。

 間違いが判明した顛末を報告します。

1最初の出発点である「大日本地名辞書 坂東」の文章には「地学雑誌云、・・・」ということで論文著者名は出ていません。

2東京地学協会の地学雑誌ホームページでそれらしき論文を検索したとき、ミスが発生しました。
 リストでは、著者名空欄、論文名「印旛沼堀割線路中断層の存在」となっています。
 このリストの1行上は著者名西和田久學、論文名「金属鉱床の根源(承前)」となっています。
 要するにリストでは著者名が出ていないのです。しかし、上の欄の著者名が下の欄の著者名であり、省略されているのだろうと誤解してしまったのです。

3さらに論文を読んだとき、著者名の記述を見落としました。
 論文の最後に(明治廿年稿)と書いてあり、さらにその隣に(巨智部忠承君報)と書いてあります。著者が西和田久學と思い込んでいた私は、なんとなくおかしいと思いつつ、(巨智部忠承君報)を次の雑報である「石鹸の効用につきて」の著者であると判断してしまいました。私にとっては望外の論文発見であったため、あわてており、著者名確認という大切な作業に関して注意散漫になっていたようです。

4論文の内容を読んだ後、著者のプロフィールについて知りたくなりました。その調査過程で、私のミスが判明しました。
 西和田久學についてWEBでいろいろ検索していると一橋大学機関リポジトリHERMES-IRという表題で石田龍次郎「『地学雑誌』-創刊(明治22年)より関東大震災まで 日本の近代地理学の系譜研究 資料第三」という論文のpdfを見つけました。この論文を西和田久學で検索してみると、明治25年から明治26年にかけて西和田久學が地学雑誌に「十九世紀地学大家伝」を掲載したころの肩書きは「大学生」になっています。従って、「印旛沼堀割線路中断層の存在」が地学雑誌に掲載されたときは大学生、「明治20年稿」ですから、論文を書いたのは10代中ごろになってしまいます。
 おかしいと思った瞬間に(巨智部忠承君報)の意味が分かりました。地学雑誌では雑報欄では、論文の最後のカッコで著者を示していたのです。リスト上では雑報の著者は空欄になっていたのです。

 「印旛沼堀割線路中断層の存在」の著者巨智部忠承は著名な地質学者です。手元の「新版地学事典」(地学団体研究会編、平凡社)では次のように紹介されています。
 「1854.2.13~1927.3.29 長崎県に生まれ、1880年東京大学卒。地質調査所に入り、1/40万予備調査、1/20「宮津」「生野」「豊岡」「赤穂」など図幅調査、また別子・生野などの鉱床調査に活躍。<概測常北地質編>(1882)は古生物学的研究の先駆をなす。1893年地質調査所長となり、多目的な業務の刷新を図るとともに新規に油田調査事業に着手(1901~45)、本格的な油田第三系研究の道を開く。1905年退官。晩年は韓国農商工部技監(~1909)、日本石油顧問(1910~23)として応用地質学の面で貢献した。」

 思いもよらない大家が、新進気鋭の時代に花見川の断層存在を論じており、私としては河川争奪や化灯土成因に関して、強力な応援部隊が到着したと感じるようになりました。

 さて、これだけで著者名ミステイクの件は終わりませんでした。

 巨智部忠承で復刻版地学雑誌CD-ROMを検索すると、なんと「印旛沼堀割之説」という論説(4p、理学博士巨智部忠承)を見つけました。この論説の最後には(雑報断層の項参照)と書いてあります。要するに「印旛沼堀割線路中断層の存在」の親論文を見つけたのです。

 「印旛沼堀割之説」の内容を読むと、とても刺激的なことが書いてあります。
 断層の存在と海進(という言葉は使っていませんが、それを想起させる記述)を念頭にこの付近の地形成因と堀割普請について論じているのです。断層の存在自体は注目すべきことなので、わざわざ雑報という形で独立させて報告しているのです。
 内容の詳細は後日紹介します。

 同時に「印旛沼堀割の企」という雑報(署名はB.k)も見つけました。恐らくこの雑報も巨智部忠承の書いたものだと思います。その内容と署名をB.kにした理由の推測も後日報告します。

 断層論文の著者名を間違えたおかげで、より本格的な情報にありつけたような格好になりました。結果はとてもうれしいことになりました。

 なお、この件で、1散歩者が124年前の学術雑誌の内容を、自分のパソコンで自由に読める環境に既になっているという、時代のICT化に深い感慨を持ちました。3つの夢の最初の1である「『趣味の散歩』のICT化、高度化を図り、地域発見ツールとして開発すること」は実現できるであろうという確信を持ちました。
(つづく)

2 件のコメント:

  1. はじめまして そして唐突ですが
    印旛沼掘割線路中断層かは判りませんが、宗吾機場から酒直機場経由で時計回りで北印旛沼を周回し、堤防や道路の損壊箇所を線で繋ぎ延長した感想から申しますと
    先の大地震で、筑波山から酒々井方向へ、北印旛沼の堤防と沼底を貫き一直線に、大きな亀裂が地殻に生じているのは、確実な様です。

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  2. 匿名さんコメントありがとうございます。
    千葉県に問い合わせたところ、千葉県内には活断層(地震を発生させる、地震を発生させた活断層)は確認されていないとの回答をももらいました。
    花見川中流紀行19活断層存在の可能性4
    http://hanamigawa2011.blogspot.com/2011/03/174.html
    私は県の回答が本当にそうであるのか、専門家にヒアリングをして、自分が納得するまで調べたいと思っています。
    県の回答で「安心」できると思っていません。

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