2012年3月22日木曜日

長沼の既往記述

長沼がどのように認識され記述されてきたか、手持ちの地名辞典・地誌等の記述を並べてみました。

長沼に関する記述

地名辞典・地誌等
長沼の記述
大日本地名辞書坂東(吉田東伍著)
記述なし
千葉県千葉郡誌(千葉県千葉郡教育会)
池沼亦大なるものなく、其の成因も人工の用水池にして、自然力によるもの少なし。左に稍大なるもの二三を記さん。
(大百池、弁天池に続いて次の記述)
永沼池 犢橋村永沼にありて、新川の水源をなす。水浅くして旱天打ち続く時は沢地の如し。
千葉県の地名(平凡社)
記述なし
千葉県地名大辞典(角川書店)
地名「長沼」の項で「地名は、江戸期に開発された長沼新田近くにあった長沼という湖沼名による」と記述
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市)
長沼町の記述の中で長沼池の新開をめぐる長沼新田と宇那谷村の争論を説明し関連絵図を掲載。
戦後開拓における長沼池の農地造成を地図で説明。等


このブログでは長沼の成因が下総上位面形成後の地殻変動に起因して発生した自然湖沼として追究しています。

ふりかえって、一般の人は長沼を自然湖沼として認識していたのか、人工の溜池として認識していたのか知りたかったので、過去の資料における記述を調べてみたのです。

大正15年発行千葉県千葉郡誌の記述内容から、私は当時の人は長沼をうすうす自然湖沼と考えていたと推察しました。
しかし、当時も今も長沼池の出自(成因)を調べた人はいなかったので、もし当時の人に「長沼池は自然湖沼ですか?」と聞けば、「自然湖沼とは思うが、溜池かもしれない」というあいまいな答えが返ってきたに違いないと思います。

平凡社と角川の2つの地名辞典に湖沼名としての「長沼」が無いことは、この湖沼が既に埋め立てられてしまったためであると思います。

「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」では長沼池をめぐる争論の内容と絵図を紹介して、長沼池の姿・歴史が詳しくわかるようになっています。しかし、自然湖沼か溜池かという出自(成因)についての記述は一切ありません。

以上の情報から、これまでの社会では長沼の出自(成因)について問題意識を持った人はいなかったと推察しました。

長沼池が地理・地形地質等の専門的視点からの検討対象となったことはないようです。

千葉県千葉郡誌の表紙

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