2012年3月30日金曜日

古長沼の成因

古長沼の成因について、これまで考えてきたことをまとめてみました。

1 古長沼、長沼池の定義
このブログでは長沼池と古長沼を次のように定義して使います。

長沼池…人は、存在していた湖沼を長沼と呼んだのですが、それがこの地域の地名になり、地名の長沼と湖沼の長沼の区別をつけるために長沼池という言葉が生まれたものと考えます。 このブログでは新田開発で人が関わった以降の湖沼を長沼池と呼びます。

古長沼…下総上位面形成後、地殻変動によってこの地域に湖沼が生まれました。その湖沼を古長沼とよぶことにします。古長沼の最後の姿が長沼池です。

参考記事
2012.3.2記事「水田開発前の長沼池復元
2012.3.3記事「古長沼の復元 その1

2 古長沼周辺の谷津分布
現在の地形から読み取れる谷津(一部想定を含む)の分布図を次に示しました。

古長沼付近の谷津分布

古長沼跡で谷津筋線がクロスしてしまい不思議です。この解釈をしたいという問題意識から出発して古長沼の成因について考えてみました。

3 古長沼の成因
STEP 1 必従谷津の形成
下総上位面形成後必従谷津が形成されたと考えます。

*必従谷津(地表の一般傾斜の方向に流下する河川が作った谷津。隆起海岸平野などに最初に形成される。)

STEP 1 模式図

STEP 2 小崖3発生による谷津分断と河川争奪発生
小崖3を伴う地殻変動が発生し、小崖の南側が沈下します。この地殻変動のために谷津は宇那谷川以外は分断され、宇那谷川に吸収されます。宇那谷川は地殻変動に抗した浸食力を持っていたため、先行谷津として残ったと考えます。

STEP 2 模式図

類似の現象が小崖2で沢山みられます。

参考記事
2012.2.29記事「小崖2に起因する谷津パターン

STEP 3 小崖1発生による谷津分断
小崖1を伴う地殻変動が発生し、小崖の南側の高度が沈下しかつ南側の土地の勾配が減じ、さらには逆勾配になるように傾動します。このため谷津は分断されるだけでなく、小崖の南側では谷津における水の流れは逆流するようになります。宇那谷川も小崖1を貫通できません。

STEP 3 模式図

STEP 4 小崖1発生による古長沼形成
小崖1より上流では、宇那谷川では谷津の流れ込む水が吐けないため溜まり、湖沼が生じます。一旦生じた湖沼は湖岸を浸食して大きくなります。湖沼の排水は宇那谷川に流れていたと考えます。
なお、現在は東京湾側水系の浸食により失われているので確認できませんが、古長沼は現在の犢橋川に沿って花見川合流点を越え西に広がっていた大きな湖沼であったと想像します。

STEP 4 模式図

古長沼の拡大プロセスは次の記事で検討しました。
2012.2.26記事「宇那谷川谷津の拡大プロセス仮説
関連
2012.2.25「宇那谷川谷津が特段に幅広い事実の確認
2012.2.24「宇那谷川谷津に関する新たな疑問

STEP 5 古長沼退縮
古長沼が東京湾側に大決壊してその範囲を縮小したかもれないと、ボーリングデータから想像しています。(2012.3.5記事「湖沼堆積物データの発見」)
古長沼は退縮して歴史時代に長沼(=長い沼)と呼ばれる姿になったと考えます。

STEP 5 模式図

以上のようなステップで地形の変化を考えると、最初疑問であった谷津筋線がクロスする不思議も、解明されたと考えることができました。

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