2012年4月29日日曜日

花見川源頭部付近にあった古墳 その2

4 双子塚調査の概要
「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)(以下報告書と呼びます)の概要を紹介します。

ア 調査の趣旨
「千葉県住宅供給公社が、この地域に横戸団地の建設を計画するのに伴って、…本遺跡については、やむを得ず記録保存の措置を講ずることになりました。」との趣旨から、財団法人千葉県文化財センターが昭和57年7月1日から8月6日まで調査を実施し、報告書をまとめました。

イ 双子塚の位置
報告書に空中写真上に示した双子塚位置が示してあります。空中写真の森林と草地の境が、柏井と横戸の境になっていますので、現代図に正確にプロットできます。

双子塚の位置

双子塚は、現在の横戸台団地消防用地(未利用地)に位置しています。

ウ 調査の見立て
報告書では「調査は、古墳の可能性を含みながらも塚として設定されており、調査方法もこれに習ったものとなった。」としています。

双子塚の実測図、土層断面

エ 調査結果
直径約15m、見かけの高さ約2mの規模のほぼ円形の墳丘を検出し、周りに周溝が存在し、縄文時代土器片、古墳時代甕、近世の有田焼皿、鉄鍋、寛永通宝が出土しました。
報告書では、「調査の結果、周溝の存在、規模、積土の状態などからして古墳として築造され、江戸時代に塚として利用されたものと推測されるに至った。古墳としては、主体部も検出されず、遺物としても古墳に直接的に関係すると判断できる遺物はなく、その時期的な判定は困難である。」と結論付けています。

双子塚出土物

なお、この報告書では近世の塚としての利用に関して、「本双子塚については存在を知らない人も多く、わずかに旧横戸村と旧柏井村の村界にあたることと、「境神」ということを聞いた人がいたのみであった。・・・わずかに「境神」という言葉が記憶されていることからしても「境塚」としての役割を果たしていたものと考えられる。」と記述しています。

双子塚は古墳であることが忘れられ、いつの間にか領地を境する境界杭みたいな役割を担ったのですが、このことについては、上の図「双子塚の位置」からヒントを得て、大変興味深い事象を発見しましたので、いつか別記事にします。
(青字部分は2012.4.30追記)
つづく

次の記事を引き続き連載する予定です。
5 近隣類似箇所の事例 -東京湾水系源頭部の文化諸相-
6 双子塚からイメージできること

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