2012年11月6日火曜日

捨土土手の縦断形 その2

天保期印旛沼堀割普請の土木遺構の詳細検討 その19

22 捨土土手縦断形の解釈・検討
捨土土手が乗る地形面の概略を次の図に書き込みました。

捨土土手が乗る地形面(東岸)

BからCに向かって下総上位面→下総下位面→武蔵野面(古柏井川谷底)と階段状に下るように変化します。
地形面が一番高い下総上位面では捨土土手の比高は小さく、下総下位面と武蔵野面では比高が5m以上のところもあり、大きくなっています。

なお、戦前に作られ、戦後撤去された陸軍軽便鉄道の花見川架橋地点では捨土土手が掘削されています。

捨土土手が乗る地形面(西岸)

下総上位面が分布する場所の前後に下総下位面(下総上位面を削る浅い谷)が分布していますがこの付近の捨土土手の比高は1~2m程度で低いものとなっています。
C、D付近の下総下位面には2~3m程度の捨土土手があります。
武蔵野面(古柏井川谷底)のところで捨土土手の比高が大きくなっています。この部分は標高が低いので捨土しやすかったためです。
西岸には陸軍軽便鉄道架橋地点ともう一か所(おそらく戦後期に)捨土土手を掘削した場所があります。

東岸と西岸を比べると、東岸の方が捨土土手の比高が大きくなっています。これは、東岸のほうが西岸より地形面が低いところが多いためです。
この関係、つまり両岸の地形面のうち低い方の地形面により多く捨土するという関係、を詳しくみると次の図のようになります。

地形面の高低と捨土土手比高の大きさの関係

この図はB-C区間の55断面を対象にして、東岸と西岸の地形面の高度の高低と捨土土手の比高の大きさを比べたものです。
なお、後代の掘削の影響を受けている5断面は影響前の姿を復元してカウントしました。

東岸と西岸の地形面の高さを比べて、低い方を選んでそこに掘り出した土を集中して捨土して土手を築いたことがこの図から証明されます。次のイラストで示されるように、全て人力で行う工事ですから、当然の成り行きです。

掘削した捨土を土手まで運搬している姿を描いたイラスト
続保定記掲載イラスト
「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用

A-D区間を対象にすると、捨土土手の比高は最大6.3m(東岸)、平均3.0m(東岸平均4.0m、西岸平均2.3m)となります。

つづく

*      *      *

捨土土手の平面分布、横断形状、縦断形状等が明らかになってきました。
次回の記事で、これらをいったんまとめて、このシリーズ(天保期印旛沼堀割普請の土木遺構の詳細検討)に区切りをつけたいと思います。

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