2013年5月2日木曜日

1927年頃の軽便鉄道の花見川架橋写真紹介


鉄道連隊の花見川架橋作業の紹介 2

1927年(昭和2年)頃の鉄道連隊による軽便鉄道花見川架橋(柏井橋梁)写真を紹介します。

1 写真紹介 架橋作業(其一)

架橋作業(其一)
1921年、鉄道連隊は作業地拡張のため、習志野線高津~犢橋間の花島橋梁の上流側に「花島迂回線」を計画し、用地買収に着手した。絵葉書は1927年頃、同線柏井橋梁の架設状況と思われ、橋脚の基礎はコンクリート打ちとしており、画面左手奥には橋梁に続く築堤の土盛が見える」
出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

考察と感想
ここは印旛沼堀割普請跡の堀割であり、現在と比べて堀割の比高が小さく、斜面のイメージがずいぶんと柔らかなものになっています。
この写真は、現在の鷹之台カンツリー倶楽部方向を撮影したもので、奥の築堤は周辺の地面より高くなっています。これは周辺の地面が台地面(下総下位面)ではなく、古柏井川谷底で、台地面より一段低いためです。
画面右半分の背景の樹林地斜面の位置には、その後本土決戦に備えたと考えられるトーチカと監視塔が1944年~45年頃建設されました。米軍が1949年に撮影した空中写真に写っています。
工事用トロッコの線分は米軍撮影空中写真にも道路と思われる線分で表現されています。この橋梁の工事専用道路(軌道)とした長期間つかわれたものと考えられます。
画面中央の郵便マークのボックスが何であるかわかりません。工事現場専用ポストを設置していたと考えるのも無理のように考えます。

2 写真紹介 架橋作業(其三)

架橋作業(其三)
「柏井橋梁の架設訓練中の光景で、画面右端に見える3径間目の鈑桁を所定位置に架設すべく、木組の足場上にサンドルを組み立てる直前の状況と思われる。花島迂回線は延長約7㎞を2工区に分け、1927年秋頃に同橋梁の架設工事が行われたようで、画面手前の水田には稲掛が行われている。」
出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

考察と感想
戦前期の堀割斜面の様子がよくわかる写真です。
トロッコが低湿地の地面を避けて設置されています。

3 写真紹介 架橋作業(其四)

架橋作業(其四)
「柏井橋梁の4径間目の鈑桁架設には、九三式手延式架設機がもちいられた。これは鈑桁の片側に一時的に取り付ける片持トラスの一種で、鈑桁の重心がまだ橋上にあるうちに先端が向こう側の橋脚に届き、定位置に達すれば取り外して、鈑桁を橋脚上におろすもので、中間の足場を省略できる利点があった。」
出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

考察と感想
画面右奥に切通斜面があることから、撮影方向が現在の横戸町方向であることが判ります。
切通しは印旛沼堀割普請の捨土土手を切ったのものです。
背景の地面(その左半分は樹林がない)は捨土土手のスカイラインです。このスカイラインの背後には古柏井川谷底が細長い凹地になって存在しています。
画面中央下に水を湛えた水路が写っています。この水路は橋梁下あたりから北に向かって(写真左側に向かって)のびているもので、米軍撮影空中写真に写っています。
画面左で這いつくばって測量している下級兵の姿と、画面右の監督上級兵の姿が対照的です。

4 3枚の写真の撮影順番と地物対照
上記3枚の写真とその説明から、撮影順番の確認と撮影地物の対照が可能です。

撮影順番の確認と撮影地物の対照
写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

メインの橋脚は4基設置されたことが確認できます。築堤部の橋台がどうなっているのかは確認できませんが、1径間目に補助的な橋脚があるので、あまり頑丈な橋台ではないようです。3径間目にも補助的な橋脚が2基あります。

5 写真撮影方向の特定 -撮影写真と空中写真との対照-
架橋作業写真は1927年(昭和2年)頃撮影であり、空中写真は1949年撮影で、その間に22年の年月が経っていますが、基本的な地形や土地利用の姿に大きな変化はないので、二つの画像を具体的に対照することが可能です。

架橋作業(其一)の写真撮影方向
空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95
普通鉄道橋脚は1935年頃建設された。トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。
サムネイル写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み


架橋作業(其三)の写真撮影方向
空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95
普通鉄道橋脚は1935年頃建設された。トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。
サムネイル写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

架橋作業(其四)の写真撮影方向
空中写真は米軍撮影(1949年撮影、USR-R2769-95
普通鉄道橋脚は1935年頃建設された。トーチカ及び監視塔は1944年~45年頃建設されたと考えられる。
サムネイル写真の出典は「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

つづく

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3 件のコメント:

  1. 初めまして。郵便マークが付いている機械ですが、当時は電話も逓信省の扱いでしたから、そういった通信機械ではないでしょうか?

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  2. 伊 謄 様

    コメントありがとうございます。

    ご指摘の考え方で写真をよく見ると、確かにそのとおりに違いないと考えます。

    写真細部をよくみると、自分なりに新たに気が付いた点がありますので、別途記事にして報告します。

    よろしくお願いします。

    返信削除
  3. 伊 謄 様

    写真から気が付いたことを2016.11.20記事「1927年軽便鉄道架橋写真中の逓信機器」

    http://hanamigawa2011.blogspot.jp/2016/11/1927.html

    にメモしました。

    返信削除