2013年5月18日土曜日

紹介 戸が人に通じるという考え方


花見川地峡の自然史と船越の記憶 6

戸地名の「戸」について一般論的検討を次の2点について行います。
① 戸が人に通じるという考え方
② 戸(戸口、湊)を見る視点場は海にあるということ

戸地名に関して、地名関係図書を孫引き読書(ネットサーフィンならぬブックサーフィン)しているうちに「霞ケ浦湖賊-古代東国のゲリラたち-」(山崎 謙、新人物往来社、昭和47年発行)という本に接し、示唆に富む記述に遭遇しましたので、参考までに紹介します。
著者の山崎謙という人は明治36年生まれの哲学者で、哲学書の他に歴史書も書かれている方です。平成2年死去。「霞ケ浦湖賊-古代東国のゲリラたち-」はNHKラジオ「趣味の手帖」で話した「霞ケ浦の湖賊」をまとめたものであると説明されています。


「霞ケ浦湖賊-古代東国のゲリラたち-」(山崎 謙、新人物往来社、昭和47年発行)

1 ヤマトとミナト
著者は「ヤマト」と「ミナト」の二者を軸に古代史が展開されてきたとして詳しく説明しています。

「ヤマト」は早くから土着していた先住者、ないし、その占拠地としての台地であり、「ミナト」は後から渡航してきた「よそもの」、ないし、かれらがたどりついて生活をいとなんだ水辺の低地であるとしています。

2 ヤマト
日本の古代人は、自分自身を日神にたいする奉仕者として意識していて、「ヒト」は「卑人」であり、「ト」は「人」であり、「ヤマト」は「山人」であったとしています。

「ヤマト」と読める漢字を当てた地名は「山門」、「山途」、「山都」、「山戸」等々、数え上げればずいぶんたくさんあるが、それらはいずれも、「山の手の台地に居をかまえてくらす人々」の自尊呼称に語源を持っているとしています。

また、「大和」はこのような経緯をもって定着した「ヤマト」の当ての文字であるとしています。

3 ミナト
「ミナト」は、文字が渡来してから後に「港」や「湊」や「水門」などの漢字が当表されたが、本来は、川辺の低地に住む人たちや、海や湖沼のほとりにたむろして、船上を居所とする水上生活者たちを、意味する語として発生したのであり、だから、それを漢字にあてるとなれば、「水人(みなと)」が適切である。と著者は述べています。
さらに著者は次のように述べています。
「水戸」という字で表記される「ミト」も、やはり「ミナト」と同義語なのであった。そうした事情からわかるように、「船戸(ふなと)」とか「室戸(むろと)」とか「瀬戸(せと)」などの漢字の当てられている言葉も、意味するところは「船人」であり「室人」であり「瀬人」であった。

「隼人(はやと)」というのも、「速潮(はやしお)」に乗って海原はるかにやってきた人々(早船に帆かけ、櫓櫂をあやつって渡来した人たち)にたいして、以前から山の手の台地に先住していた人たちがあたえた名称であり、だから、この言葉もまた「ミナト」とおなじ意味をもつわけである。「長門(ながと)」も本来は「流人(ながと)」の意味の言葉であり、黒潮に流されて漂着し、水辺に居住地をもとめて定住した人々を指したものである。とも述べています。

著者はこのようなヤマトとミナトの対立軸を設定して、湖賊(海賊などを含めた水賊一般のなかの一つの特殊形態)の社会発展史的な系譜は概ね「ミナト」のうちに、その原点をもっているとして、それを出発点にしてこの書を展開しています。(その展開内容は興味深いものですが、戸地名考察とは離れるので紹介を省きます。)

4 感想
戸地名の「戸(と)」の意味の奥深くに「人(と)」の意味があることを認識することができました。戸地名検討を進める上で、直接のご利益は不明ですが、考察をより豊かなものにすることが出来そうです。
著者の立てた「ヤマト」-「ミナト」対立軸を、花見川筋-香取の海の戸地名検討に単純に当てはめることは現在のところできませんが、戸地名の意味を考える際の背景知識として有用であると感じました。

つづく

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