2013年8月24日土曜日

古代東海道水運支路仮説と杵隈駅駅家・高津土塁

花見川地峡の自然史と交通の記憶 63

杵隈駅駅家と高津土塁についてわかってきたことを私が考えている古代東海道水運支路仮説に投影して、仮説の充実を図りました。

1 古代東海道水運支路の全体イメージ
古代東海道水運支路の全体イメージを次のように考えます。

古代東海道水運支路の3つの津(古代直轄港湾)(仮説)
基図は「千葉県地名変遷総覧附録 千葉県郷名分布図」

駅と津の意義を次のように捉えています。

駅と津の意義
駅・津
基本機能
浮嶋駅
東海道本路と東海道水運支路が交差する乗換駅
杵隈駅(仮説)
水運路と陸路の乗換駅
高津(仮説)
高津馬牧開発の防衛軍事拠点
直轄港湾
水運路と陸路の乗換駅
志津(仮説)
植民地志津開発の防衛軍事拠点
直轄港湾
水運路の駅
公津
植民地公津開発の防衛軍事拠点
直轄港湾
水運路の駅

2 杵隈駅駅家と高津土塁の対比と考察
2-1 規模
二つの施設の面積を比較すると次のようになります。

杵隈駅駅家と高津土塁の規模比較

杵隈駅駅家:1.1h
高津土塁:3.5h

高津土塁は杵隈駅駅家の約3倍の面積があります。
これは、杵隈駅駅家が純粋な水陸乗換駅であるのに対して、高津土塁の最大の意義が高津馬牧防衛の軍事拠点であり、それに併設して水陸乗換駅であったためであると考えます。

2-2 軍事性
杵隈駅駅家は築地、後谷津水面、台地部空堀など施設自体の防衛を意識した造りになっています。しかし、軍事的拠点性(砦機能等)は希薄です。
一方高津土塁は人工的に大規模な土木工事を行って、高津川、平戸川を視界に収める砦をつくり、また周辺の土地と地形的に切り離した構造としており、きわめて軍事的拠点性が強いものです。

2-3 考察
杵隈駅駅家は軍事的拠点性が希薄であるのに対して、印旛沼水系に入ると高津、志津、公津と直轄港湾(軍事港湾)が続くことから、東京湾水系の土地における律令国家の支配力と印旛沼水系における支配力が異なっていたことが推測できます。

印旛沼水系の香取の海は一種の公海であり、水面は律令国家の支配が及んでいなかったものと考えます。

一方花見川は律令国家が完全に支配していたものと考えます。

律令国家は、植民場所を確保するためには公海である香取の海に流入する小水系の河口部に軍事拠点を設けるという方法を執ったものと考えます。

律令国家は、高津や志津という直轄港湾(軍事港湾)を設け、高津馬牧の開発や植民地志津の開発を行ったのですが、その開発のメインルートは浮嶋駅→杵隈駅→高津→志津であったと考えます。東京湾から出向いて上流から下流に向かって開発していったのだと考えます。

高津馬牧や植民地志津は、流海(利根川)方面から印旛沼水系を上流に遡って開発したのではないのです。

律令国家形成時代において、杵隈駅と高津を結ぶ陸路(柏井・高津古代官道)の意義は極めて大きなものがあったと考えます。


つづく

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