2014年7月2日水曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その5

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その5

1 潮汐三角州の実例
潮汐三角州の実例をGoogle Earthで探してみました。
アメリカ合衆国ノースカロライナ州の大西洋岸に発達するバリアー島の中に、規模は小さいのですが模式図そっくりの事例を見つけたので紹介します。

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州
斜め写真 Google Earth

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州
垂直写真 Google Earth

ノースカロライナ州コアサウンドの潮汐三角州の位置
Google Map

2 2014.06.28記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その1」の論点について
2014.06.28記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その1」で、増田富士雄による古東京湾とバリアー島のイメージ図を引用し、下末吉海進期の最高海面期の姿としてバリアー島が存在していたという説明を紹介しました。
一方、そのイメージ図を引用紹介した専門図書「貝塚爽平他編集(2000):日本の地形4 関東・伊豆小笠原、東京大学出版会」ではバリアー島は最終間氷期最盛期後のわずかな海面低下に伴って出現したという説明をしていて、イメージ図作成者の説と違う説明をしていて、奇異に感じた事を述べました。

その説明の違いの背景に論争などがあるとすれば、それを知ることが出来れば自分の学習が深まると思いました。

結果は正面からぶつかる論争というようなものではなく、単なるすれ違いみたいなものであるに違いないと感得されましたので、メモしておきます。

「古東京湾とバリアー島のイメージ」が掲載されたのは次の論文です。
増田富士雄(1992):古東京湾のバリアー島、地質ニュース458、16-27頁

この論文の3年前の論文に次のような記述があります。
岡崎浩子・増田富士雄(1989):古東京湾の流系、堆積学研究会報31号、25-32頁
下末吉海進時にバリアーや潮汐三角州が発達し,最高海面期には活動が低下した.その後,海面がわずかに低下すると再びこの地域が細長く離水して,バリアーになったと思われる.

この文章からは、最高海面期にはバリアー島は水没し、その後バリアー島が発達したという印象を受けます。

おそらく「古東京湾とバリアー島のイメージ」に関してその著者の思考が1989年から1992年の間に変化発展したのだと思います。

専門図書サイドで「古東京湾とバリアー島のイメージ」を引用する際に、イメージ図のキャプションに著者の見解に抗して別の説を意識的に書いたということではなく、当初著者が発表していた説(原著の説)を書きこんだということだと思います。

専門図書では「古東京湾とバリアー島のイメージ」だけでなく、「古東京湾の堆積環境」の図も紹介していて、それらの情報を重視している印象を受けます。

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