2014年8月5日火曜日

活向斜軸(柏沈降帯)南西側の小崖

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その29

柏沈降帯と呼ばれる活向斜軸(地質図記載)の南西側に北側落ちの小崖があります。

この小崖がほぼ、下総上位面と下総下位面の境になっています。

活向斜軸の北西側には隆起帯が分布しています。

これと同じような関係が勝田高津レーキのある沈降帯(活向斜を想定。勝田高津沈降帯と仮称します)にも見られます。

二つの向斜軸の南西側に位置する小崖
基図は地形段彩図

二つの向斜軸の南西側に位置する小崖
基図は標準地図

この二つの向斜軸の南西側に位置する小崖は、下総上位面と下総下位面の境になっている部分が多かったので、これまで漠然とですが、流水の侵蝕作用による小崖であると考えてきました。

具体的には柏沈降帯の小崖は古平戸川が刻んだ段丘崖、勝田高津沈降帯の小崖は勝田川・高津川が刻んだ段丘崖として考えてきました。

しかし、柏沈降帯の場合、地形を仔細に観察すると、小崖の発達が地形的に余りに「鋭利」であり、このような小崖をつくるだけの高エネルギーの流水侵蝕作用をどうしてもイメージすることができません。

また勝田高津沈降帯の場合も、レーキ状水系発達のプロセスから考えて、小崖に沿った高エネルギーの流水侵蝕作用をイメージすることができません。

従って、これらの小崖は流水の侵蝕作用による段丘崖であるというこれまでの自分の基本的考えを棄却することにしました。

この二つの小崖は活向斜に関連する断層であると考える(仮説する)ことが、この付近の地形を理解する上で大切であるとの結論に到達しました。

これからは、この二つの小崖の基本形は断層崖であり、その断層崖が様々な侵蝕作用をうけて変形していると考え(仮説して)、地形を理解して行くことにし、その仮説の確からしさを折にふれ、絶えず検証してゆきます。

柏沈降帯の小崖の様子
データ…5mメッシュ
作成ソフト…地図太郎PLUS、KASHMIR 3D

勝田高津沈降帯の小崖の様子
データ…5mメッシュ
作成ソフト…地図太郎PLUS、KASHMIR 3D

<余談>
柏沈降帯の活向斜軸は地質図に記載されています。この軸の長さが長すぎるのではないかと考えています。
この軸線の北西側半分は小崖の分布と対応しています。しかし南東側半分には小崖が対応していません。
また、このブログで明らかにしてきた印旛沼筋河川争奪仮説に基づくと、活向斜軸は北西側半分程度にだけ存在していると考えることが妥当です。
露頭で地層を見てるわけでもないので、証拠を提示できるような考えではありませんが、地質図記載の活向斜軸は河川争奪によってつくられた現在印旛沼筋地形にいわばだまされて、長く引きすぎていると思います。

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お知らせ
2014.07.27記事「最近記事のふりかえり」で、下総台地の主な局所的特徴的変動地形及び要確認地形をリストアップしました。

この記事以降、このリストアップした地形について順次検討して記事にしてきています。

今後、次の地形について記事を作成して、「シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-」の「第4部 下総台地形成に遡る」を終了する予定です。

●楕円形水系パターン(2014.07.27記事における14番、15番)
●都賀付近の地溝状地形(2014.07.27記事における9番)
●佐倉市六崎付近の地形(2014.07.27記事における18番)

なお、2014.07.27記事における13番、16番、17番の地形は既に検討して記事にしてあり、なおかつめぼしい新情報がないので新記事とすることを見送ります。

「第4部 下総台地形成に遡る」終了後は新シリーズとして「シリーズ 花見川地峡の利用・開発史」を始めます。

このブログでは今年の4月以降次の全体目次を念頭に、目次項目ごとにシリーズ記事を掲載しています。

●このブログの記事掲載全体目次

1 花見川地峡とは
2 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
2.1 現代から縄文海進まで遡る
2.2 花見川河川争奪に遡る
2.3 印旛沼筋河川争奪に遡る
2.4 下総台地形成に遡る
3 花見川地峡の利用・開発史
 3.1 縄文弥生時代の交通
 3.2 〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路
 3.3 牧の境界
 3.4 享保・天明・天保の印旛沼堀割普請
 3.5 明治~戦前期の土地利用
 3.6 本土決戦
 3.7 戦後印旛沼開発
4 花見川地峡の課題と未来

次のサイトに、この全体目次に従って記事を全て再掲してあります。
花見川地峡史 -メモ・仮説集-

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