2014年9月11日木曜日

にわかに信じられない分布図

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.31にわかに信じられない分布図

縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)と各種情報とのオーバーレイの体制も整って、その最初の考察もほぼ済んで、記事を書きだしたのですが、なぜか無意識的に参考として現代DID地区(人口集中地区)とのオーバーレイ図をつくりました。

縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)の赤い部分は現代風に言えば人口集中地区のイメージであり、現代のDID地区と重ねることにより、「縄文時代と現代の人口集中地区の分布はご覧のように関連がない。つまり縄文時代の遺跡集中(≒人口密集)の論理は独自のものがあり、それをこれから検討します。」と書きたかったのです。

そして、その図を作って見て、私は唖然としてしまいました。ブログ記事作成のタイピングが止まってしまいました。

その図が次の図です。

縄文時代遺跡密度図(ヒートマップ)とDID地区(平成22年)のオーバーレイ図

a地区、c地区、d地区、f地区、g地区を見るとDID地区を巧妙に避けているように見えます。不思議です。さらにb地区、h地区はDID地区から離れています。DID地区と重なるようにみえるのは小さなe地区、i地区だけです。

無関連の例示どころか、縄文時代の遺跡集中(≒人口密集)と現代DID地区を、同じ評価軸(ただしベクトルは真逆)で何かを考えざるを得ません。素通りできません。

予想外の結果に頭が混乱します。

「開発が進んでいる場所では遺跡発見が多い」とか、逆に「開発が進んでいない地域では未発見の遺跡があるに違いない」という議論とは別の現象であることは確実です。その議論と逆現象です。

どうも、縄文時代情報と現代社会情報をあまりにも不用意に直接接合してしまったようです。

この図から、縄文人が好んで生活した場所と、現代人が好んで生活している場所が真逆であると捉えられそうですが、私の通常の思考回路ではそれ以上に思考が発展しません。思考を発展させるために必要な基礎知識が私に欠けているらしいことは直感できます。

このようなあからさまな情報に接して頭がすこし混乱してしまい、急いで密度図考察をする気が起こりません。

時間をかけて頭の混乱を鎮めたいと思います。

密度図の考察は次の記事に先送りします。

……………………………………………………………………
追記

頭の混乱が治まると、縄文遺跡密度の高い場所を避けて現代DID地区がその分布を拡げているという現代社会の都市構造の問題を、縄文遺跡密度分布の解析領域の一部かもしれないと勘違いしていることに気がつきました。

次のことに気がつきました。
1 縄文時代全体を対象として、その遺跡密度図がつくられたことは、これまで無いということ。
2 従って縄文時代遺跡密度図と現代DID地区のオーバーレイ図がつくられたということは過去に絶無であったということ。
3 そのため、現代DID地区の拡大が縄文時代遺跡密集地を避けて進んでいるという事実の認識はこれまで存在しなかったこと。

瓢箪から駒みたいなことで、新発見があったことになります。

千葉県北部では、市街地の中枢であるDID地区(人口集中地区)が縄文遺跡密集地域を避けて拡大しているという現象があるのです。

この特筆すべき現象の発見が、今このブログで行われたということです。

現代DID地区が縄文遺跡密度の高い場所を忌避して拡大している理由として次のようなことが考えられます。

ア 縄文時代人の主要活動場所(集落や生産拠点)の立地条件と現代人の居住好適地条件が100%背反すること。
例えば、台地縁辺の谷津が複雑に発達しているような場所を縄文人は居住場所として好んだが、そのような場所は現代では規模の大きい宅地開発がしにくい場所で、緑地等として利用されることが多いこと。

イ 文化財行政による累積的開発規制が効果を発揮していること。
縄文遺跡密度が高い場所には既成著名遺跡が存在していて、文化財行政の永年の執行のなかで各種開発規制が累積し、その場所がDID地区にはならないこと。

ウ 縄文遺跡密度の高い場所は人骨の出土なども多く、古代~近代までの間に人々の間に霊的な場所であるとか、開発を忌避すべき忌地であるという社会的共通認識が発生した可能性があります。そのため、その場所が現代行政では公園緑地とか市街化調整区域など非開発地域に指定され、開発場所から除外されている可能性があります。

このように、現代都市構造に縄文遺跡密度が大きな影響を与えていることがわかりました。

自分の思考立脚点を現代の都市づくり、地域づくりに置いてみると、この現象はユニークな都市づくり、地域づくりをしていく上でとても大切で新鮮な視点です。

しかし、このブログ現時点では思考が散漫になるので、この現象の検討はここまでとします。

将来、風土などというキーワードに興味を持つことがあれば、この現象が有用な切り口になりそうです。

……………………………………………………………………
追記2 メモ (2014.09.12)
・縄文遺跡密集地が現代DID地区分布に単独で影響を及ぼしているというより、縄文遺跡密集地がその後の弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代と引き継がれ、そうした経過の中で「土地に刻まれた歴史」が累積的に濃くなり、そうした歴史総体が現代DID地区分布に影響を及ぼしていると考えるほうが筋がよいかもしれない。

・そうした観点から、各時代の遺跡密集地(ヒートマップ)の比較検討に対する興味が深まる。
縄文時代の遺跡密集地がその後古代や中世の遺跡密集地とどのように関わるのか?
縄文時代遺跡密集地の分布が後代の遺跡密集地分布を規定するようなベーシックなものであるのか?
前時代の遺跡密集地が次時代の遺跡密集地にどのように継続するのか、あるいは忌避されるのか検討したい。

・同じような観点で、縄文時代の細時代区分毎の遺跡密集地比較も試みることができるか検討したい。縄文時代を細区分すると、貝塚や集落分布に顕著な変化があるようだ。

・旧石器時代のヒートマップは早速作成して、縄文時代と比較する。


0 件のコメント:

コメントを投稿