2014年9月2日火曜日

旧石器時代埋蔵文化財所在地プロット図の考察

シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その25

1 密度図とプロット図の対照
「市区町村別埋蔵文化財(旧石器)密度図」と「旧石器埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」の対照図を作成しました。

密度図とプロット図の対照図
「旧石器埋蔵文化財が存在する町丁大字プロット図」は「ふさの国ナビゲーション」(千葉県教育委員会)からダウンロードした旧石器時代遺跡データをアドレスマッチングによりプロットしたもので、遺跡が所在する町丁目、大字の中心部をプロットしたものです。正確な遺跡プロット図ではありません。

対照図を見る限り、密度図とプロット図がとても相関の高いものであることがわかります。
もし、真性遺跡分布図(全遺跡の正確な位置をプロットした地図)をつくることが出来れば、真性遺跡分布図と密度図、プロット図の間に高い相関があることは確実です。

面積の大小が著しい自治体をメッシュに見立てた遺跡密度図もあながち捨てたものではないということが実証されました。

密度図より、プロット図の方が旧石器時代遺跡分布をよりリアルに捉えることができると思いますので、プロット図について考察します。

2 プロット図の考察
プロット図の基図を地形段彩図に差し替えてみました。

地形段彩図を基図としたプロット図
(房総半島の南半分は5mメッシュデータを所持していないので地形段彩図を描けません。)

プロット図と地形との相関は極めて高いものがあるように見えます。

プロットされている場所が台地縁辺部に沿って連続して分布しています。

プロットの意味は旧石器時代遺物出土場所が所在している町丁大字中心地ですから、「旧石器時代人が狩の途中でキャンプした場所の近く」ということです。

従って、上記図からは「旧石器時代人が狩をしたキャンプの分布が台地縁辺部に沿って分布している」と理解することができます。

キャンプ地が台地縁辺部にある理由は水場(湧水)がそこにあること、台地上及び谷下に狩に出やすい場所であること等などと考えられます。

プロットの分布をよく見るとライン状に連なっている場所が多くみられます。

これは狩の移動が長年にわたって同じようなルートをたどった結果生じた、累積キャンプ跡地分布であると考えます。

こうした考えに基づいて、プロット分布から旧石器時代人の狩ルートを想像してみました。

旧石器時代人の狩ルート

なお、旧石器時代には北総には2つの地峡が存在していたことが、「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)に詳しく書かれています。

1つは、下野・北総回廊です。
もう1つは千葉市緑区土気付近の地峡です。

土気付近の地峡には旧石器時代の遺跡が集中しており、北総の狩ルートと南総の狩ルートの結節点となっています。旧石器時代人の情報交換の場として特別な意味がある場所だと上記図書に書かれています。

3 その他感想
・狩という点から見ると、旧石器時代の遺跡分布は狩の最適場所を示していると考えることができるかもしれない。従って、旧石器時代と縄文時代の遺跡分布と比べると、縄文時代には狩最適場所以外の場所に進出した様子がわかるに違いない。そのような視点で次の縄文プロット図を考察してみよう。

・近隣都県の旧石器時代遺跡分布も気になる。旧石器時代人の活動を考えるという気の遠くなるような時間旅行と、千葉県という現代行政区割範囲内に縛られた思考が絶えず衝突する。

・パソコンメモリーが扱える容量に収まるかどうか不明であるが、とりあえず房総南部の5mメッシュも入手して地形段彩図描画を試みる。

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