2014年11月7日金曜日

規模別に見た遺跡分布 その2

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.2旧石器時代の移動路>3.2.14旧石器時代遺跡と地形 事例検討その8 規模別に見た遺跡分布その2

2014.1106記事「規模別に見た遺跡分布」で遺物集中地点の出土石器数による規模区分により大づかみに遺跡意義を検討しました。

この記事ではもう少し細かく遺跡規模について、地形との対応を見ながら検討します。

1 地形区分
「千原台ニュータウンⅩ-市原市草刈遺跡(東部地区旧石器時代)-」(平成15年、財団法人千葉県文化財センター)で扱っている調査範囲の地形区分を次に示します。

地形区分図

等高線密度から台地面・緩斜面、斜面、急崖の3つの地形に区分することができます。地形断面のイメージは2014.11.02記事「旧石器時代遺跡と地形 事例検討その3 地形断面図の作成」に掲載してあります。

この地形区分と対応させながら遺物集中地点について検討します。

2 規模Aの遺物集中地点分布

規模Aの遺物集中地点分布

規模Aの遺物集中地点は10箇所ありますが、全て台地面・緩斜面に立地しています。

現時点では遺物集中地点の規模と対応する施設は次のように考えています。

石器出土規模と対応する施設・活動のイメージ

規模Aの遺物集中地点は石器を作っていた遺跡であり、全て臨時キャンプつまり短期居住の場であると考えます。

この臨時キャンプは狩場全体に分布していますから、狩が終わった後に利用し出したことがわかります。狩で獲得した獲物の加工処理の期間を含めて、獲得した獲物をあらかた消費するまで居住した場所であると考えます。
この臨時キャンプは世代を超えて長期にわたり繰り返し使われた結果、規模Aの遺跡として出土したものだと考えます。

地形との関係を微細にみると、北方向(茂呂谷津方向)に落ちる谷津流域に6地点、南向き急崖直上に4地点分布しています。台地面・緩斜面といっても、実は北方向をより強く意識した分布になっています。これは狩が北方向に動物を追いたてて茂呂谷津の急崖から動物を墜落させたことに対応していると考えます。

3 規模Bの遺物集中地点分布

規模Bの遺物集中地点分布

規模Bの遺物集中地点は16箇所あり、台地面・緩斜面が13箇所、斜面が3箇所となっています。
台地面・緩斜面13箇所の内訳は南向き急崖直上が7箇所、北向きの浅い谷に5箇所、狭窄部に1箇所となっています。

規模Bの遺物集中地点も規模Aと同じように狩の後獲得した獲物をあらかた消費するまで居住する臨時キャンプ的性格が強いのでこのような分布になったものと考えます。

斜面にある3箇所は急崖直上であり狩が終わった後獲物の加工処理をする場所ですから、居住より現場作業施設的な性格が強い施設の跡と想像します。

4 規模Cの遺物集中地点分布

規模Cの遺物集中地点分布

規模Cの遺物集中地点は13箇所あり、台地面・緩斜面が11箇所、斜面が2箇所となっています。臨時キャンプ的性格の施設と現場作業的性格の施設が入り混じっているように考えています。

5 規模Dの遺物集中地点分布

規模Dの遺物集中地点分布

規模Dの遺物集中地点は17箇所あり、台地面・緩斜面が9箇所、斜面が8箇所となっています。台地面・緩斜面の地点は狭窄部では待伏せ猟の狩施設あるいは狩後の獲物加工処理施設と考えます。斜面の地点は全てその立地から狩後の獲物加工処理施設と考えます。

茂呂谷津谷底で動物を仕留め解体大分けし、谷底はほとんど日当たりが無いので、急崖直上の斜面に解体したものを全て運び上げ、そこで干し肉づくり、皮干し、骨の加工等をしたと考えます。

規模A、規模Bなどの遺物集中地点が同時にあるので、規模D、規模Eなどの施設は現場作業を行った場所であり、居住した場所ではない(そこで石器はつくっていない)と考えます。
現代と同じように住宅と仕事場が分かれていたのだと思います。

後期旧石器時代人は居住の場と仕事場を分けて、居住では日当たり、高燥、眺望など快適環境を確保していたのだと思います。(別記事で説明しますが、このような遺物集中地点の規模分化が確認できるのは第4文化層(Ⅶ~Ⅸa層)以降のことです。)

6 規模Eの遺物集中地点分布

規模Eの遺物集中地点分布

規模Eの遺物集中地点は42箇所あり、台地面・緩斜面が31箇所、斜面が11箇所となっています。斜面の1箇所はガリー斜面に立地している特徴から、ガリーを利用して動物を追い落すときの狩施設だと考えられます。全て狩施設あるいは狩後の獲物加工処理施設と考えます。

台地西側の南向き急崖直上の孤立して5地点が密集していますが、これは崖下の村田川を利用した動物解体の後の獲物加工処理施設と考えます。茂呂谷津に追い落とすことなく台地面・緩斜面で捕えた獲物を近くの村田川谷津で解体大分けし、その後処理をこの場で行ったと考えます。

狭窄部は待伏せ猟関連の狩施設・獲物加工処理施設と考えます。

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