2014年11月30日日曜日

Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その4

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.9Google earthを使った古代東国駅路網変遷文献調査 その4

3 奈良時代前半~中期
東国B期(「日本の古代道路を探す」(中村太一))とⅠ期(「千葉県の歴史」(千葉県))の駅路網図を比較検討します。

3-1 2つの図書の駅路網の比較
次の図に、2つの図書の駅路網の比較と検討箇所を示します。

二つの図書の駅路網の比較と検討箇所

3-2 検討箇所1と2
検討箇所1と2の拡大図を掲載します。

検討箇所1と2の拡大図
検討1…2つの図書とも地名走水から浦賀水道を横断したという考えになっていますが、2014.11.23記事「相模湾と東京湾の古代水運路をつなぐ船越」で検討した通り、この考えは間違っていて、駅家(津)は横須賀市田浦付近にあったと考えます。
また、そもそも「走水駅」という名称自体が文書で確認されたことはなく、想像の産物です。

検討2…房総側の駅家(津)は富津岬北側の小糸川河口のあったと考えることが自然地理的に合理的です。

3-3 検討箇所3と4
検討箇所3と4の拡大図を掲載します。

検討箇所3と4の拡大図
検討3…河曲駅付近のルートがトライアングルとなっていると考える方が合理的です。

検討4…浮島駅の位置推定はこのブログで検討している古代「東海道水運支路」(仮説)にとっての重要であるので、今後検討を深めます。
もし、浮島駅が花見川河口から離れた場所にあると考えると、房総でこの駅家だけが津と関わらない駅家になります。

3-4 検討箇所5と6
検討箇所5と6の拡大図を掲載します。

検討箇所5と6の拡大図
検討5…2つの図書で駅家の位置、分岐地点が大きく異なります。2つの図書では「千葉県の歴史」の方が最新情報ですので、検討5は「千葉県の歴史」の記述をメインの下敷きとして検討を深めていきたいと考えています。

検討6…2つの図書で香取の海の横断場所のイメージがことなります。検討5と同様に、今後「千葉県の歴史」を下敷きに検討を深めます。

3-5 検討箇所7と8
検討箇所7と8の拡大図を掲載します。

検討箇所7と8の拡大図
検討7…東海道と東山道を結ぶ連絡支路の分岐の様子と、平津ルートの分岐の様子が異なります。検討5と同様に「千葉県の歴史」の記述をメインの下敷きとして検討を深めていきたいと考えています。

検討8…東山道の分岐支路の位置のイメージが異なります。検討5と同様に、今後「千葉県の歴史」を下敷きに検討を深めます。

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