2014年12月29日月曜日

千葉市立柏井小学校敷地は古代高津土塁遺構か

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.36 千葉市立柏井小学校敷地は古代高津土塁遺構か

1949年撮影米軍空中写真を実体視すると、現在の千葉市立柏井小学校敷地付近の地物が自然地形とは大きく異なり人工的な古代土塁の跡として見えてしまいます。

私がそのように見えてしまう現象を記録しておきます。

1949年撮影米軍空中写真実体視資料 現在の千葉市立柏井小学校付近

上記実体視資料から見えてしまう地物

見えてしまう地物から想像できる機能

高津土塁の現代地図投影

現在の千葉市立柏井小学校付近の様子(斜め写真)

砦施設と考えた築山は元来平坦であった芦太川河岸段丘の上に望楼(駅楼)としてつくられたものであると考えます。

千葉市立柏井小学校を建設する時、この築山を最初に削りました。

削った後にボーリング調査をしているのですが、そのボーリンデータの1つに、工事攪乱層以下の地層に造成土の可能性を指摘する記述があります。

つまり元来存在していた築山は造成されたものである可能性がこのデータから判ります。

築山は古代に砦の望楼あるいは駅家の駅楼として造成されたものだと考えます。

ボーリング位置図

ボーリング柱状図

造成土の可能性を指摘する記述

0 件のコメント:

コメントを投稿