2014年12月3日水曜日

「駅家と津、駅路網と水運網」の検討と地形

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.11「駅家と津、駅路網と水運網」の検討と地形

2014.12.03記事「慎ましやかそして密かなるビッグプロジェクト」で5mメッシュ利用域を拡大する時に生じる心理現象を記録しました。
とりあえず2.5万地形図24面分の5mメッシュの利用域拡大作業を実施しました。

最初の作業は結果オーライでうまくいきました。
今回追加した5mメッシュを加えた全体の5mメッシュの範囲を示すと次のようになります。

2014.12.03現在の5mメッシュ利用域
レーザ測量由来の5mメッシュを対象としています。
虫食い状の部分は5mメッシュ未整備域です。

追加した範囲(古代東山道と東関道の連絡支路付近を含む北関東の5mメッシュ拡大域)の情報は次の通りです。

北関東の5mメッシュ拡大域(2014.12.03)

この図面は5mメッシュを地図太郎PLUSの自動地形段彩図機能で描いた地形段彩図です。
2図書の駅路網図をプロットしてあります。

この図面がパソコンモニター上に映された段階で、次のような思考が私に生じました。

「2つの図書の駅路ルートとも、それで決め手となるとは言えない。」
「北関東の地形を考慮すると、第3のルートも有り得る。」

という思考です。

そこで、後先逆になりますが、香取の海周辺の駅家、駅路網の検討の前に、北関東の東山道と東海道の連絡支路付近の駅路網についてだけ、この記事で検討します。

次の図に北関東における東山道から東海道を経て平津駅至る2つの図書の駅路ルートの間違いをメモしました。

北関東の駅路ルートの検討

東山道から東海道に延びる支路は上野・下野の兵員・兵糧を平津駅に運び、陸奥に届ける役割がその基本であると考えます。
そう考えると、「日本の古代道路を探す」(中村太一)のルート(イを通るルート)はあまりにも遠回りしすぎていて、戦時の軍事道路の役割を果たさないと考えます。
このルートは東山道から常陸国府に至るルートです。駅制によるものかどうかは別にして、そういうルートもあったに違いありません。

「千葉県の歴史」のルート(アを通るルート)は、それを平津駅と上野・下野を結ぶ陸上(=高速)通信移動ルートと考えると、合理的なルートです。現在の国道50号のルートそのものです。
しかし、物資運搬ではなく、通信移動ルートとして、そのようなルート構築が国家中央にとって必要なものであったかどうか、疑問が残ります。

東山道から東海道に延びる支路は上野・下野の兵員・兵糧を平津駅に運び、陸奥に届ける役割がその基本であると考えると、最も実用的なルートは、大神駅から水運路をメインにするルートです。
5mメッシュで地形を見るとわかる様に、大神駅は涸沼川の上流に位置していて、そこから涸沼川を下ればそのまま平津駅に着きます。運搬路として、このような地勢を利用しないで、わざわざ別ルートを通るという非合理発想を古代人がするとはとても思えません。

駅制のルートはアのルート、運搬路としてはウのルート、国府間を結ぶルートとしてはイのルートが併存していたのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿