2014年12月8日月曜日

【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.13【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網

2図書の駅路網について検討してきましたが、2図書のいいとこどりをした上で、2図書(資料)から離れて、自分のイメージを絵にしてみました。

この自分のイメージを原点(出発点)にして、これからの活動で得られる情報と照合して、イメージを絶えず修正していけば、より合理的な駅路網理解ができるように感じます。

2図書から離れてみたのは、それぞれの説がそれほど確からしさがないと感じる部分があるからです。2図書の駅路網のうちどちらかをベースにしてしまうと、自分の考えている古代「東海道水運支路」(仮説)の展開がしづらくなるためです。

次の図は駅制成立時頃の駅路網と水運網のイメージをまとめたものです。
5mメッシュから得られる地形情報を参考にしながら、駅路ルートと水運ルートを概括的ではありますが、できるだけ合理的に引いてみました。

【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網

この図を拡大すると次のようになります。

【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網 北図

【検討】駅制成立時頃の駅路網と水運網 南図

この図から云えることは、駅制成立時頃の駅路ルートは水運網ルートと密接に関わっていたということです。

高速通信・移動網は駅路網、物流は水運網で行われ、それぞれの結節点拠点がほとんどすべて重複し、その拠点は駅路網からみれば駅家であり、水運網からみれば津(直轄港湾)であったのです。

細密にみれば、駅家と津が全く同じ敷地内にあった場合もあれば、少し離れた場所に在る場合もあったと思います。現在の乗換駅同士の関係と同じで、便利な乗換と不便な乗換があるのと同じです。

駅路網は水運網の津(直轄港湾、支配拠点)を活用して最初のネットワークが形成されたのですが、その後駅路網は独自の論理(通信・移動機能の高速性のあくなき追求)に従って、メインルートを単純化直線化していきます。

しかし、駅路網の変更に当たって、新規駅路網は既存の水運網を活用していますから、駅路網と水運網の関係(高速通信・移動機能と物流機能の分担)は基本的に変化はなかったと考えます。

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