2015年2月7日土曜日

花見川-平戸川筋の古墳時代鍛冶遺跡分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.59 花見川-平戸川筋の鍛冶遺跡分布

杉葉見遺跡の報告書を閲覧して鍛冶遺跡と妙見信仰に興味を持ち、得意の泥縄式情報収集を展開しています。

花見川-平戸川筋の古墳時代鍛冶遺跡分布を作成してみました。

花見川-平戸川筋の古墳時代鍛冶遺跡分布図
情報源はふさの国文化財ナビゲーションから得た情報と杉葉見遺跡報告書です。

まず強く感じることは、鍛冶遺跡が前方後円墳分布と対応しているかのような分布をしていることです。

恐らく、この地域では、前方後円墳がミニミニ国家に対応していて、それぞれのミニミニ国家に1箇所ずつ鍛冶遺跡があったと考えます。

次に感じることは、小板橋遺跡です。この遺跡のある付近の地名(大字)は「大和田」です。すぐ近くには小字「和田」もあります。

「大和田」「和田」から秦氏を連想してしまいます。

次の遺跡-地名対応は偶然ではないと考えます。

●鍛冶遺跡の遺跡-地名対応
・杉葉見遺跡-畑
・小板橋遺跡-大和田

鍛冶という古墳時代の最先端技術をこの地にもたらした技術者集団が必ずいると考えます。その集団が秦氏であったと考えます。

小板橋遺跡と妙見神社(廃社)(※)との対応も無理なくつきます。

※所在地-八千代市大和田町高津字西、祭神-北斗北辰、神格-製鉄・武神・鎮守 [(丸井敬司「房総地方の妙見信仰と製鉄・鍛冶について」2005、千葉市立郷土博物館紀要第11号)掲載一覧表による]

渡来系技術者集団の秦氏が花見川-平戸川筋地域に鍛冶技術と妙見信仰をもたらしたと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿