2015年2月8日日曜日

古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.60 古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏

杉葉見遺跡の報告書を閲覧して鍛冶遺跡と妙見信仰に興味を持ち、以前からうすうす気がついていた地名「畑」が秦氏の秦であるという感得を強め、泥縄式情報収集・検討に熱中しています。

ただ、このまま記事を書き続けると本論(古代水運の船越実在実証とその意義検討)がどこかに隠れてしまう恐れが出てきました。そこで、鍛冶遺跡検討に関する課題をこの記事でまとめて、当面は漸次、鍛冶遺跡関連記事を終息させ、本論の検討に戻りたいと思います。

本論をしばらく進めながら、機会をみつけて鍛冶遺跡関連記事を復活させる予定です。

【鍛冶遺跡検討の課題】
1 鍛冶遺跡検討作業
杉葉見遺跡の検討から、鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏の関連が浮かび上がってきましたので、その3つの情報がどのように関連するのか、今後検討したいと思います。

具体的には前方後円墳の分布を把握した範囲について、製鉄・鍛冶遺跡分布、妙見社分布、ハタ地名分布をGIS上にプロットして、情報相互の地理的関係を分析します。

鍛冶遺跡検討範囲(前方後円墳分布を把握した範囲)

GISを使った前方後円墳-製鉄・鍛冶遺跡-妙見社-ハタ地名のオーバーレイ分析イメージ

使う情報は次のものを予定します。
・前方後円墳分布:ふさの国文化財ナビゲーション情報
・製鉄・鍛冶遺跡分布:ふさの国文化財ナビゲーション情報
・妙見社分布:丸井敬司「房総地方の妙見信仰と製鉄・鍛冶について」(2005、千葉市立郷土博物館紀要第11号)掲載一覧表
・ハタ地名:角川日本地名大辞典資料編小字一覧等

2 ハタ地名検討のためのデータベース作成
ハタ地名と鍛冶遺跡、妙見信仰が関連していることを、データ上で確かめたいと考えています。

そのために当面、千葉県内の市町村別小字リストをpdf化して、パソコン内で市町村別町丁目別に小字をpdfで即座に確認できるようにします。

(中期将来的にはこの情報を電子化してエクセルファイルとし、検索できるようにします。長期将来的には小字をGISにプロットして、地図上で小字を検索できるようにします。)

3 ハタ地名の分析
ハタ地名が偏在していることが強く感じられるようになりましたので、データ上で確かめたいと考えています。

●ハタ地名偏在の例
・杉葉見遺跡付近-大字畑、小字白旗・台幡・西畑
・小板橋遺跡-大字大和田、小字裏畑・中畑・白幡前・台畑・和田・入和田

データで示すことができないのは残念ですが、幡・旗・和田などの言葉が出てくる場所は少なく、上記例は特に密集して存在している例になります。

4 【参考】 地名白幡(白旗)についての考察
鍛冶遺跡である杉葉見遺跡及び小板橋遺跡付近に共通して地名白幡(白旗)が随伴します。

少し探して見ると、別の鍛冶遺跡である南山遺跡(印西市浦部字南山)でもすぐ近くに地名白幡があります。

また、鍛冶遺跡に限らず、千葉県の遺跡全体を対象に検索すると、白幡(白旗)の名称のつく遺跡が全部で25ヒットします。数が多いように感じます。そのほとんどが古代遺跡です。

さらに白幡(白旗)でWEB検索すると全国多数の古代遺跡がヒットします。

このような事実から白幡(白旗)という地名が古代遺跡と随伴する例が特別多く感じ、それだけにハタ地名の中でも特定のキーワードとしての意味を有する地名であることに気がつきました。

いろいろな検討を行ったのですが、次のような結論に至っていますのでメモしておきます。

白(シラ)は新羅(シラ、シンラ)=白羅(シラ、シンラ)であり、意味としては新羅(シラギ)であり、幡(旗)は秦氏であると考えました。

つまり、地名白幡(白旗)は新羅系渡来人である秦氏の居所という意味だと考えました。

Wikipediaの新羅の項には次の情報が掲載されています。
当初の「斯蘆」という文字の発音は現代日本語では「しろ」現代韓国語では「サロ」だが、漢字の上古音では「シラ」である。
日本では習慣的に「新羅」を「しらぎ」と読むが、奈良時代までは「しらき」と清音だった。万葉集(新羅奇)、出雲風土記(志羅紀)にみられる表記の訓はいずれも清音である。いずれにせよ、「新羅」だけで「しんら」=「しら」と読めるのに、後に「き」または「ぎ」という音が付加されている。これは「新羅奴」(憎い新羅というニュアンス)、あるいは「新羅城」ではないかという説があり、新羅と日本が敵対していた事実を反映しているとする。

地名白幡(白旗)を随伴する鍛冶遺跡は、以上の考察に従えば、新羅系渡来人の秦氏グループに所属する技術者集団によってつくられたということになります。

なお、秦氏の中でもさらに同系統であることを示す地名白幡(白旗)を随伴する鍛冶遺跡が花見川流域(杉葉見遺跡)と平戸川流域(小板橋遺跡)に所在するのですから、花見川-平戸川が古墳時代に人の移動(情報の伝播)のための重要な交通路になっていたことが確実なこととして認識できます。

奈良時代に、船越に直線道路が建設される以前から、この船越が利用されていたことが古墳時代鍛冶遺跡分布から確認できました。

1 件のコメント:

  1. 葛飾逸鳥さん コメントありがとうございます。地名「白幡」は4-5年前に生まれた興味ですがその後徹底して検討しないで自分レベルでは保留状態にあるものです。このブログでは次のような記事を書き、最新(2016.03.21)が当時の到達点です。
    2015.02.08記事「古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏」、2015.04.21記事「八千代市白幡前遺跡 古代寺院関連地名」、2015.05.09記事「四街道市小字地名データベース完成」、2015.06.27記事「古代遺跡名称に多く現れる「白幡」」、2015年8月17日記事「小字DB活用効果の展望 2(例 白幡)」。2016年3月21日記事「船尾白幡遺跡 紡錘車」
    秦氏は殖産集団ですからその足跡は製鉄、絹生産、妙見信仰などと重なると考えます。興味の湧く地名話題です。わかったことがあれば教えていただければありがたいです。

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