2015年3月11日水曜日

古代幕張付近のハマグリ採集者は誰か

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.83 古代幕張付近のハマグリ採集者は誰か

突然ですが、気がついた問題意識そのものを記録しておきます。

ある別の問題意識からブログ過去記事を見ている時(※)、偶然に次の図を見ました。2014.04.05記事「花見川地峡の利用開発の変遷についてイメージできるようになる」掲載の図です。
※ 実際はブログ本体ではなく、ブログ記事を再掲して見やすくしたサイト「花見川地峡史-メモ・仮説集-」を見ていました。

花見川地峡にかかわる利用・開発の例(ハマグリの古代物流ルート)

上ノ台遺跡が「ハマグリ生産遺跡」と大きく書いてあり、最近分析検討した上ノ台遺跡のイメージと異なります。

自分の書いたものながら、大いに違和感を持ちます。

この図の素図を掲載した記事は2013.07.16記事「古代花見川地峡の物流証拠<ハマグリ>」です。その記事では「八千代市の歴史 通史編 上」(八千代市発行)を次のように引用紹介しています。

印旛沼に面する上谷・栗谷遺跡では、海に産するハマグリやアサリの貝殻が出土している。その場所は、A群とC群の単位集団に集中する傾向がある。また、萱田遺跡群では、白幡前遺跡と権現後遺跡でハマグリを中心とした貝層が確認されており、特に白幡前遺跡1群Bの井戸状遺構からは多量のハマグリが出土している。ハマグリやアサリは言うまでもなく海の貝であり、この八世紀から九世紀の古代集落に持ちもこまれたハマグリやアサリは、海岸部からもたらされたものである。では、これら海の貝は、どこから供給されていたのであろうか。その最も有力な候補地が、現在の千葉市から船橋市周辺の干潟に面した集落遺跡である。

その一つ上ノ台遺跡は、千葉市稲毛区幕張の干潟に面した台地に立地する。古墳時代後期(6~7世紀)の集落遺跡である。発掘調査の結果、竪穴住居からは多量の貝殻が出土している。その貝層のサンプル1799点の約65%がハマグリで占められ、ここではハマグリを集中的に採集していたと考えられる。

上谷・栗谷遺跡や萱田遺跡群が最盛期を迎えようとしていた九世紀初頭の弘仁年間、奈良薬師寺の僧・景戒がまとめた仏教説話集「日本霊異記」中巻「力ある女、ちからくらべし試みる縁 第四」には、ハマグリを市場で商う女性の姿が描かれている。彼女は、尾張国(現在の愛知県)の海岸地域・愛智郡片輪里に住み、その近辺で採ったハマグリ桶50石を船に載せて長良川を遡り、三野の国(美濃国、現在の岐阜県)片県(かたかな)の郡(こおり)少川(おがわ)の市(いち)に持ち込み、それを商おうとしている。

八千代市内の古代集落から出土するハマグリやアサリなども、「日本霊異記」の説話と同様、海の近くの集落から、川を遡り運ばれていたと推定できる。具体的には、上ノ台遺跡のような海辺の集落の人々が、幕張周辺の干潟でハマグリなどの貝を採り、その貝は、花見川を遡り台地を越えて新川の上流に到り、新川沿いに下って萱田遺跡群や印旛沼に面した上谷・栗谷遺跡に持ち込まれたと推定できる。東京湾側から、新川などの河川にそって印旛沼に到るルートが存在していたのである。」(「八千代市の歴史 通史編 上」八千代市発行、p189-190)

この引用文をよく読むと、たしかに、「8~9世紀に八千代市内に持ち込まれたハマグリの採集者の有力候補の一つは、6~7世紀の集落遺跡の上ノ台遺跡である」という意味が読めます。

しかし、6~7世紀の集落が8~9世紀の集落にハマグリを供給するということは理解できることではありません。

この引用文の最後の方では「具体的には、上ノ台遺跡のような海辺の集落の人々が、幕張周辺の干潟でハマグリなどの貝を採り、その貝は、花見川を遡り台地を越えて新川の上流に到り、…」と書いています。

「上ノ台遺跡の“ような”」ですから、上ノ台遺跡と特定しているわけではありません。

八千代市通史編の著者は「花見川河口付近では6~7世紀上ノ台遺跡でハマグリが出土している」という参考情報と「8~9世紀の八千代市内ハマグリはその時代の花見川河口付近の(上ノ台遺跡のような)集落が採集していて、それが運ばれてきた」という推論を述べたかったのだと思います。

当方の文章読解力が虚弱で、また上ノ台遺跡に関する知識が無くて、八千代市通史編の文章を誤解してしまい、勝手に上ノ台遺跡がハマグリ生産遺跡であると不適切な理解をしてしまったようです。

なお、上ノ台遺跡では55軒の竪穴住居址の覆土層からハマグリとシオフキを主とする貝層が検出されています。

しかし、「ハマグリが一度に捨てられた貝の量は小さく見積もられ、食糧資源での貝の占める割合は比較的小さかったと想像される。ハマグリは5年以上を経た成熟貝の占める比率が非常に高い。本遺跡では捕獲圧の影響は認められない。」(千葉・上ノ台遺跡(付篇)」とされています。

貝層の分布と報告書の記述から、貝は集落内でおかずとして利用されたもので、交易品等になることは無かったと考えます。(2015.02.17記事「上ノ台遺跡の生業と漁業活動」参照)

さて、ここからがこの「ハマグリの古代物流ルート」図を見て、私が感じた問題意識のメモです。

●問題意識
8~9世紀の八千代市遺跡出土ハマグリの採集者は誰であるか。

8~9世紀には上ノ台遺跡は集落として終焉しています。

検見川台地の直道遺跡・居寒台遺跡は巨大集落のようですから、ハマグリ採集者の第一候補者にあげられます。

しかし、その場所一帯のイメージは公的軍事的機能(多数の掘立柱建物址、馬、玄蕃所等)、花見川河口津の水運機能、浮島駅家の陸運機能、官牧である浮島牛牧の軍事生産機能等で満たされていて、現在のところ漁業活動の情報に接触していません。

従って、これから直道遺跡・居寒台遺跡(及び近隣遺跡)の詳細分析を進めるにあたって、ハマグリ交易の証拠が見つかるかどうか、意識して行きたいと思います。

ハマグリ採集者はだれかという問題意識をもう少し展開すると次のようになります。

●問題意識の展開
・直道遺跡・居寒台遺跡(及び近隣遺跡)では、公的軍事的集団の居住と漁業・米雑穀栽培・機織(麻栽培)等の1次2次産業に関わる一般住民の居住がどのような構成で、どのような空間配置で、どのような関係で存在していたか。

・花見川-平戸川筋における公的軍事的集団の活動(軍事物資輸送、俘囚輸送など)とハマグリ交易活動とはどのようにかかわるのか。

このような問題意識も持ちつつ、直道遺跡・居寒台遺跡(及び近隣遺跡)の分析検討を進めます。

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