2015年5月30日土曜日

八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知る

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.140 八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知る

八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物が出土していることを知りましたのでメモしておきます。

1 鍛冶遺物出土情報記載報告書
「千葉県八千代市白幡前遺跡c地点-共同住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(2009、君塚克己・八千代市教育委員会)

2 鍛冶遺物出土場所

白幡前遺跡c地点の場所と鍛冶遺物出土ポイント

3 出土遺物
出土遺物は鞴羽口と鉄滓です。

出土遺物 鞴羽口と鉄滓

4 出土した竪穴住居跡の年代
報告書では鞴羽口と鉄滓が出土した2D住居址の年代を9世紀第4四半期~10世紀第1四半期であると想定しています。

5 白幡前遺跡から鍛冶遺物が出土した意義
白幡前遺跡は律令国家中央と戦地陸奥国の間にある最大の戦略中継基地であったと考えられます。
従って、白幡前遺跡あるいはその周辺に武器や馬具など鉄製品を作製あるいは補修する鍛冶遺構が必ずあったと考えます。
白幡前遺跡c地点の鍛冶遺物もそのような意義を有する鍛冶遺構存在を示すものであったと考えます。

白幡前遺跡と船越及び花見川水運で連絡する東京湾岸拠点である検見川台地直道遺跡でも鍛冶遺物が出土しています。
(2015.03.13記事「検見川台地の鍛冶遺物出土を知る」参照)

戦地陸奥国へ向かう将兵が立ち寄る兵站基地にはそれぞれ鍛冶施設があり、武器等の補修が行えるようになっていたものと考えます。

2015年5月29日金曜日

佐倉市小字地名データベース完成

小字地名データベース作成活用プロジェクト 14

1 佐倉市小字地名データベースの作成
千葉県地名大辞典(角川書店)附録小字一覧のうち佐倉市分の大字・小字の文字表記をルビをセットにして、電子化してテキストデータ及びExcelデータとして作成しました。

これで、千葉市、八千代市、習志野市、船橋市、四街道市、佐倉市分の小字データベースが完成しました。花見川流域がかかる自治体は全て網羅したことになります。

小字地名データベース作成市町村(2015.05.29)

遅くとも2016年3月までには上記小字データベース作成市町村図を全部赤で塗りたいと思っています。

当初無謀だと考えていましたが、作業の効率化が思いのほか進み、コツコツ作業に取り組めば実現できることがわかりました。

2 佐倉市小字地名データベースの諸元と試用
2-1 佐倉市小字地名の諸元
・大字数 76
・小字数 1576

2-2 試用 地名の層序年表との対応
「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)掲載の「地名の層序年表」(※)との対応を調べると、21の語根型のうち、次の6つの語根型が出現しました。
※ 2015.04.10記事「千葉市小字地名の層序学」参照
……………………………………………………………………
佐倉市小字地名データベースから抽出した語根型別地名

【古代地名】
●~部
臼井 遠部台
臼井田 西遠部、東遠部、遠部、遠部台、遠部下
六崎 磯部
宮本 六捨部

●別所
上別所(大字)

●~屋敷
井野 半蔵屋敷
小竹 御門屋敷
臼井 お屋敷
臼井田 御屋敷
角来 屋敷前
下根町 中屋敷
瓜坪新田 屋敷下
吉見 臼井屋敷
飯塚 原殿屋敷

【近世地名】
●~宿
臼井 宿内、大名宿
臼井田 大名宿、宿川岸
臼井台 大名宿
本町 高岡宿、蛭田宿
大佐倉 浜宿
太田 宿
馬渡 本宿
岩富町 下宿、本宿、台宿

●~新田
上志津 新田後
臼井 新田川岸
臼井田 新田川岸
江原新田(大字)
鏑木町 戊新田
萩山新田(大字)
瓜坪新田(大字)
米戸 新田
直弥 新田
天辺 新田
羽鳥 新田
岩富 七石新田

【現代地名】
●~農場
八木 農場
……………………………………………………………………

2-3 試用 漆関係地名の抽出

データベース作成作業をしていて漆関係地名が出てきましたので、抽出してみました。
漆関係地名が生れたのが縄文時代であるのか、古代であるのか、それとも中近世であるのか今は不明ですが、興味の湧く地名の一つです。

田町 宇るし堀
鏑木町 漆作
上別所 漆棒
岩富町 漆谷津

2015年5月28日木曜日

八千代市白幡前遺跡から出土した墨書土器検討のまとめ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.139 八千代市白幡前遺跡から出土した墨書土器検討のまとめ

白幡前遺跡出土墨書土器の文字の意味についてながらく検討してきました。

「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に詳しい文字出土情報が整理されているので、検討を深めることができのです。

自分としては思いもかけず大きな成果を得ることができたと思っています。

自分には墨書を読み取る力はありませんが、専門家の方が読み取った墨書文字の意味を辞書で調べたり、分布図を作成したり、遺構や遺物との対応関係を観察することはできますから、素人の自分にもある程度検討ができたという訳です。

これまでの検討結果を1枚の地図にまとめてみました。

八千代市白幡前遺跡の各ゾーンを代表する墨書土器の文字

各ゾーンを代表する(多数出土する)文字とこれまで調べてきた諸情報(※)からそのゾーンに展開する部隊の職務内容が浮かび上がってきました。

※ これまで調べてきた諸情報…各ゾーンの地形、津との位置関係、建物情報(掘立柱建物と竪穴住居の比率等)、ハマグリ出土状況、銙帯出土状況、瓦塔等出土状況等

1Aゾーン 生・生堤(戦死回避)…戦地陸奥国へ向かう部隊の一時逗留場所
1Bゾーン ○(戦争勝利)・継(基地機能確保)・立(いざ戦わん)…高級将官逗留場所、軍事司令部機能
2Aゾーン 佛(寺院関連)・上(官人出世祈願)…中央貴族接待施設、基地の政治中心施設
2Bゾーン 器(祈願)…2Aゾーンを支える農業集団
2Cゾーン 大一(陰陽道による戦勝祈願)・磨(戦勝祈願)…陰陽師の祈願施設
2Dゾーン 廓(基地警備隊祈願)・文(官人出世祈願)…基地警備隊居住
2Eゾーン 圓(会計係祈願)…基地会計係居住
2Fゾーン 廿(衣服倉庫管理警備隊祈願)…衣服倉庫とその管理警備隊居住
3ゾーン 饒・豊(食料倉庫管理警備隊祈願)…食料倉庫とその管理警備隊居住

感想
白幡前遺跡出土の墨書土器文字の意味検討をした感想をメモしておきます。

・墨書土器は戦地に向かう将兵と基地内で働く官人グループが書いて、使ったものと考えます。律令国家が行う蝦夷戦争遂行業務のなかで、官人によってひろまった風習であると考えます。

・一般農業集落的イメージの強い2Bゾーン(寺院を支える集落)では墨書土器がほとんど出土していなく、また特徴的な文字も出土していません。これは、一般農業そのものは官人が関与するプロジェクトではなく、組織活動ではなかったためであるからであると考えます。

・墨書土器の文字は職務集団毎に(=ゾーン毎に)その職務そのものを象徴する言葉(スローガン)を使っているので、墨書土器作成は組織的に行われた活動であると考えます。

・墨書土器を一人一人が持って生活上における何かを祈願したということから、基地内における組織活動によって人々は大いなるストレスを感じていて、そのストレスを癒す必要があったものと考えます。
・墨書土器による祈願は、当時の組織活動における一種の自己啓発活動(やる気を起こす活動)であったと考えます。

・ゾーンを別にする、つまり部隊を別にする職務集団として通過部隊現場支援(1Aゾーン)、軍事指揮(1Bゾーン)、政治指導(2Aゾーン)、基地警備(2Dゾーン)、会計(2Eゾーン)、衣服倉庫管理警備(2Fゾーン)、食糧倉庫管理警備(3ゾーン)が存在していることがわかりました。基地業務が高度に組織され専門分業体制が構築されていることがわかりました。

・寺院は鎮護国家の観点から戦勝勝利のための活動を精力的に行っていたと考えます。基地活動における政治的側面は寺院活動と密接に関係していたと考えます。しかし、寺院と墨書土器との関係は希薄であることが明瞭です。
・寺院活動は人々の精神活動には食い込んでいなかったようです。

・陰陽師による祈願が行われていたという発見は重大な発見であると考えます。その実体を知るために今後白幡前遺跡の遺構・遺物の詳細検討が必要であると考えます。
・陰陽師による祈願は機密事項であり、一般の墨書土器の風潮と無関係のように感じます。

・寺院による祈願、陰陽師による祈願は国家が行う公式戦勝祈願であったと考えます。寺院と陰陽師が同時に存在して戦勝祈願を行なっている姿は律令国家中央の姿をそのまま反映していると考えます。

興味は尽きず時代区分別に検討するなどすればさらに有益な情報を得ることができると思います。
また全国墨書土器データベースと連動して、文字の全国的な分布との関連から検討することも新しい情報を得る手段となります。

しかし、近隣の他の遺跡にも興味がありますので、白幡前遺跡の墨書土器検討はひとまずここで区切りたいと思います。

2015年5月27日水曜日

墨書土器文字「饒」(ユタカ)の読解

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.138 墨書土器文字「饒」(ユタカ)の読解

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器に書かれた文字の意味について検討しています。
この記事は3ゾーンの検討です。

10 3ゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

●饒の意味、豊の意味

饒、豊は辞書では同じ言葉として次のような意味になっています。

参考
ゆた‐か【豊-・饒-・裕-】
〖形動〗 (「か」は接尾語)
① 満ち足りていて不足のないさま。富んでいてゆとりのあるさま。豊富。富裕。
※書紀(720)仁徳四年三月(前田本訓)「風雨時に順ひて、五の穀(たなつもの)豊穰(ユタカ)なり。三稔(みとせ)の間、百姓富み寛(ユたか)なり」
※竹取(9C末‐10C初)「かくておきな、やうやうゆたかに成り行」
② 広々としていてゆとりのあるさま。
イ  人の心や態度などに余裕があって、おおようであるさま。心が広く安らかであるさま。
※書紀(720)継体即位前(前田本訓)「天皇、壮大(をとこさかり)にして、士(ひと)を愛(め)で賢(さかしき)を礼(ゐやま)ひたまふて、意(みこころ)豁如(ユタカニましま)す」
ロ  ゆったりと広がるさま。ゆるやかなさま。
※古今(905‐914)雑上・八六五「うれしきをなににつつまん唐衣たもとゆたかにたてといはましを〈よみ人しらず〉」
ハ  ゆっくりと落ち着いているさま。のんびりとくつろいでいるさま。
※御伽草子・一尼公(つれなしの尼君)(室町時代物語大成所収)(室町末)「うつつになりてかほをなで、のびをゆたかにかきて」
③ ふっくらとしたさま。豊満で美しいさま。
※東京の三十年(1917)〈田山花袋〉再び東京へ「そこには肥った豊かな頬をした娘がゐた」
④ 他の語に付いて、基準・限度を越えて、十分にあるさま、余りのあるさまを表わす。
※説経節・をくり(御物絵巻)(17C中)一三「いじゃう、なな七日と申には、六しゃく二ふんゆたかなる、もとのをくりどのとおなりある」
派生 ゆたか‐さ〖名〗
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

3ゾーンは掘立柱建物の数が多く、また枢戸(くるるど)の鍵出土から掘立柱建物は倉庫の可能性が考えられています。
一方2Fゾーンから文字「廿」(ツヅラ)が出土し、衣服の倉庫が2Fゾーンに存在していたことが想定されます。
これらの情報から、3ゾーン出土の文字「饒」、「豊」は同じ意味の現代語「豊か」と同じ意味であり、具体的には食料倉庫が一杯となり、食物が豊かであることを祈願した言葉であると考えます。

その祈願をした人間は食料倉庫の管理警備部隊の将兵であったと考えます。

掘立柱建物の枢戸(くるるど)の鍵を管理していた将兵がマイ祈願ツールとしての土器に「饒」あるいは「豊」と墨書したのです。

墨書土器の文字は基地内の職務別にその職務の内容を端的に示す言葉が採用されています。

従って、土器に墨書をするという行為は組織活動の一環として行われたことがわかります。純粋な個人的行為とは距離のある活動です。

3ゾーンの掘立柱建物群集中の様子

●村の意味
村の意味は現代語の意味合いの「第1次産業を主たる生業とする集落単位」のようなイメージでは無いと思います。
白幡前遺跡遺跡の集落は奈良時代に入って地域開発的、計画的に形成されたものであり、一般農業集落ではありません。その本質は軍事兵站・輸送基地です。

「代々農民が群がって居住していて、その有様(景観)を村と呼んだ」のでは無いと思います。

村とはこれまで何もなかった場所に掘立柱建物群をつくり、そこに膨大な食料を貯蔵し、蝦夷戦争のために順次戦地陸奥国に送り出すという風景を指して「軍事倉庫村が出来た」と考え、「軍事倉庫村の管理と警備を全うしたい」という祈願が行われたものと考えます。

村の読みかたは「ムラ」「アレ」「スキ」「フレ」などが考えられます。

奈良時代において、村の意味がこのように新規開発地を指すと考える根拠を示す必要がありますが、その検討は追って別記事で行います。(全国墨書土器データベースから「村」文字データをピックアップして、全国レベルで検討してみます。)

「饒」、「豊」、「村」の3文字は類似した祈願を表現する言葉であると考えます 。

●古の意味
古臭くなって使い勝手が悪くなった地物を新しくしたいという祈願だと考えます。
例 古道具、古武器、古田、古畑、古家、古倉庫(掘立柱建物)など

●卯原の意味
字義は卯(ウサギ)が住む野原ということです。

乙山、赤山と同じような低評価地の価値増大を祈願した言葉であると考えます。

開発したにも関わらずウサギの運動場になっているありさまのこの土地の開発をさらに進め、収穫量を増やしたいという祈願だと思います。

卯原(ウハラ)は通称かもしれませんが、地名でもあると考えます。(八千代市小字に卯原や関連名称はありません。)

古と卯原は同義の祈願語であると考えます。

●左の意味

参考
ひだり【左】
〖名〗
② 令制で、官職を左右対称に区分した時の左方。通常日本では右より上位とした。
※源氏(1001‐14頃)匂宮「例の左あながちに勝ちぬ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

左(ヒダリ)は出世を願った官人の祈願語であると考えます。

同様の官人が出世を願った言葉として、2Aゾーンから「上」(アガリ)が出土しています。

●賀□□の意味
□□の長寿を祈願したものと推察します。

参考
が【賀】
〖名〗
① よろこび祝うこと。ことほぐこと。祝賀。特に長寿の祝いをいうことが多い。⇨賀の祝い。
※古今(905‐914)賀・三四七・詞書「仁和の御時僧正遍昭に七十の賀たまひける時の御哥」 〔後漢書‐礼儀志上〕
『精選版 日本語国語大辞典』 小学館

●粺の意味

参考

字音
漢 ハイ 呉 バ
字義
➊白米。
➋ひえ。穀物の一種。
『新漢語林』 大修館書店

奈良時代に粺(ハイ)が白米の意味で使われていたのか、ヒエの意味で使われていたのか、残念ながら知りません。

どちらの意味であっても、めったに食べられない白米を、あるいは主食のヒエを腹一杯食いたい(あるいはたくさん収穫したい)という祈願だと思います。

八千代市白幡前遺跡3ゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例

2015年5月26日火曜日

紹介 千葉県土地宝典

小字地名データベース作成活用プロジェクト 13

小字地名データベースを作成した四街道市の小字分布図を探して見ました。

四街道市教育委員会にたずねたところ、四街道市域の小字分布図は作成されていないとのことでした。しかし、小字分布が判る資料として昭和初期に作成された「土地宝典」という資料が利用できることを教えていただきました。

「土地宝典」は戦前期に全国的につくられた当時の住宅地図のような資料で、公図や土地台帳を元に編集して地番、地積地目、賃貸価格等級などを記載したものです。

四街道市に係る土地宝典は「千代田町土地宝典」と「旭村土地宝典」の2冊となります。

土地宝典は千葉県立中央図書館にマイクロフィルムとして収蔵されていますので、早速閲覧してみました。

旭村土地宝典の表紙

大字と小字の対照表
旭村土地宝典より引用

土地宝典地図の例
旭村土地宝典より引用

昭和初期における小字の正確な位置がわかる資料です。

1枚のマップに小字界線と小字名がでている資料があれば利用上はベストです。
しかし、何もないことを考えると、土地宝典があるということは、手間をかければ小字分布が結局は判るのですから、ありがたいことです。

この土地宝典地図をスキャンしてIllustrator上で張り合わせて小字名を大字で書きこめば大した手間をかけることなく、即席のプライベイト四街道市小字分布図をつくることができます。

【参考】
千葉県立中央図書館収蔵土地宝典マイクロフィルムの町村リストは次の通りです。

千葉県立中央図書館収蔵土地宝典マイクロフィルムの町村リスト

千葉県分の土地宝典は全て収蔵されているようです。土地宝典はもともと、当時の千葉県全体を網羅するものではありません。

現在の千葉市域分などは見当たりません。別の出版社から類似地図が出版されていたようです。(例 「千葉県千葉郡犢橋村全図」(昭和9年7月、全国町村地番地図刊行会陽明社、全4枚))

2015年5月25日月曜日

紹介 船橋小字地図 図版編 (滝口昭二著 平成13年発行)

小字地名データベース作成活用プロジェクト 12

これまで小字地名データベースを5市について作成していますが、その5市について次のような小字分布図が利用できます。

●千葉市…「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上・下巻」(千葉市発行) 市販 (図書、ほとんどの町丁について小字分布図がついている)
●八千代市…「八千代市の歴史 資料編 近代・現代Ⅲ 石造文化財」別添「八千代市小字図」(八千代市発行) 市販 (大判地図1枚)
●習志野市…「習志野市史 別編 民俗」別添「習志野市域の大字と小字名」(習志野市発行) 市販 (大判地図1枚)
●船橋市…「船橋小字地図 図版編」(滝口昭二著、船橋地名研究会発行) 図書館に所在 (冊子地図帳形式)
●四街道市…「土地宝典」(昭和10年代発行図書) 図書館に所在 (冊子地図帳形式)

この記事ではこれまで紹介していない「船橋小字地図 図版編」を紹介します。

1 「船橋小字地図 図版編」の諸元、内容、目次
【諸元】
●書名:船橋小字地図 図版編
●著者:滝口昭二
●発行:船橋地名研究会
●発行日:平成13年9月2日
●体裁:A4判、61頁

【内容】
「この「船橋小字地図 図版編」は平成6年6月に船橋市社会科研究会の調査協力をいただいて発行した「船橋小字地図」のうち、図版部分を改訂したものです。」(はじめにより引用)

参考:「船橋小字地図」(滝口昭二著・発行、平成5年)

【主要目次】
はじめに
索引地図
船橋市の小字について
小字集成図
第1図~第42図
参考図
小字索引

索引地図

小字集成図

小字地図例(第6図)

2 この地図の特徴
・現在利用できる船橋市域小字分布図はこれだけしかないようです。

・私はこの地図の存在を船橋市教育委員会から教えてもらいました。

・市販された図書ではないので図書館(県立図書館、船橋市図書館)でしかお目にかかれません。

・著者(個人の方)が詳しく調査したもので充実していて正確です。

・角川の千葉県地名大辞典附録小字リストの船橋市分にはルビがないので、これまで読み方がわかりませんでしたが、この地図の索引には読み方が全部出ているので、とても便利です。

2015.05.25 今朝の花見川

空がいつもより青が濃い早朝でした。
ちぎれた雲が薄紅に染まっているので青が強調されているのだと思います。

日の出前

ホトトギスが大きな鳴き声を響かせて飛び回っていました。

花見川

飛行機雲

飛行機

花見川

花見川

弁天橋から下流

弁天橋から上流

いつもよりすがすがしさを強く感じ、気力が充実した早朝散歩となりました。

2015年5月24日日曜日

墨書土器文字「小堤」(ショウテイ)の読解

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.137 墨書土器文字「小堤」(ショウテイ)の読解

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器に書かれた文字の意味について検討しています。
この記事は2Fゾーンの検討のつづきです。

9 2Fゾーンに出土中心を持つ文字の検討 つづき
●小堤の意味
検討1
小(ショウ)は小生(ショウセイ)の略で自分自身のことであると考えます。
堤(テイ)は提出の意味(ヒサゲ(提)で神に酒を注ぐ)で、自分の替わりにこの土器に入った飲食物を神に捧げることによって、本当の自分の命や健康を守ろうという祈願であると考えます。
(白幡前遺跡付近では提と堤の混同が多くみられます。)

参考
しょう‐せい セウ‥【小生・少生】
2  〖代名〗 自称。男子が自己をへりくだっていう時に用いる語。書簡文に用いることが多い。
※明衡往来(11C中か)上末「小生言ㇾ詩之輩両三人相随可ニ参候一」
※坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉九「諸先生方が小生の為に此盛大なる送別会を御開き下さったのは」 〔韓愈‐孟郊・雨中寄孟刑部幾道〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

参考
ひさげ【提・提子】
〖名〗 (動詞「ひさぐ(提)」の連用形の名詞化。鉉(つる)があってさげるようになっているところからいう) 鉉と注ぎ口のついた、鍋に似てやや小形の金属製の器。湯や酒を入れて、さげたり、暖めたりするのに用いる。後には、そうした形で、酒を入れて杯などに注ぐ器具にもいう。
※宇津保(970‐999頃)蔵開中「おほいなるしろがねのひさげに、わかなのあつものひとなべ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

検討2
小(ショウ)は子どもを、堤(テイ)は提出の意味(ヒサゲ(提)で神に酒を注ぐ)で、子どもの替わりにこの土器に入った飲食物を神に捧げることによって、本当の子どもの命や健康を守ろうという祈願であると考えます。

参考
しょう‐じん セウ‥【小人・少人】
〖名〗
① 幼少の人。少年。子ども。こもの。しょうにん。
※保元(1220頃か)下「少人引具し奉ていづかたへも落行」
※謡曲・烏帽子折(1480頃)「鞍馬の少人牛若殿と、見奉りて候ふなり」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

理由を説明できるまでの思考に至っていませんが、現時点では検討1の方が有力であると考えています。

●子の意味
子どものの命や健康、あるいは子宝に恵まれることなどを祈願したものと考えます。

●善の意味
○○が好ましくあってほしいという祈願だと考えます。

類似の祈願語はこれまでに「満」「大」「成」など多数が出土しています。

参考
よ・い【良・善・好・吉・佳・宜】
〖形ク〗 よ・し 〖形ク〗 物事の本性、状態などが好ましく、満足すべきさまであるの意。「あし」「わるし」に対していう。古くは「よろし」よりも高い評価を表わす。くだけた口語表現では終止形・連体形が「いい」の形をとる。
一  (正邪・善悪の立場から) 理にかなっている。正しい。正当である。善である。
※書紀(720)継体七年一二月(前田本訓)「賢(さかしきひと)は善(ヨキわさ)為るを最も楽とす」
※宇治拾遺(1221頃)一〇「おほやけの御政をも、よきあしきよく知りて」
二  性質、状態、機能、様子などが、比較的、相対的にすぐれていて好ましい。まさっている。
① すぐれている。立派である。上等である。条件が整っていて、好ましい。
※書紀(720)推古一四年五月(岩崎本訓)「今朕、丈六の仏を造りまつらむが為に、好(ヨキ)仏の像を求む」
※徒然草(1331頃)六〇「よきいもがしらを選びて、ことに多く食ひて、万の病をいやしけり」
② 美しい。醜くない。奇麗である。優美である。
※万葉(8C後)一四・三四一一「多胡の嶺に寄せ綱延(は)へて寄すれどもあにくやしづしその顔与吉(ヨキ)に」
※和泉式部日記(11C前)「十二月十八日、月いとよき程なるに、おはしましたり」
※みだれ髪(1901)〈与謝野晶子〉舞姫「おほつづみ抱へかねたるその頃よ美(ヨ)き衣きるをうれしと思ひし」
③ 美味である。
※霊異記(810‐824)中「門の左右に蘭(かうば)しき〓饍(ヨキクラヒモノ)を備けて諸人楽しび食ふ。〈国会図書館本訓釈 〓饍 ヨキクラヒモノ〉」
④ 健康的である。身体の調子がすぐれている。
※蜻蛉(974頃)中「よからずはとのみ思ふ身なれば、〈略〉にはかにては、おぼしき事もいはれぬものにこそあなれ」
※はやり唄(1902)〈小杉天外〉六「一日も速く癒(ヨ)くならなきゃ損なんだもの」
⑤ 賢い。さとい。聰明で立派である。博識である。教養がある。
※書紀(720)仁徳即位前(前田本訓)「豈、能才(ヨキかと)有らむとしてなれや」
※天草本伊曾保(1593)尾長鳥と、孔雀の事「サイチ yoqu(ヨク)、ゲイ タニ スグレラレタ ジンタイヲ」
⑥ 効果がある。ききめがある。「体によい食物」
※万葉(8C後)一六・三八五三「石麻呂に吾れ物申す夏痩に吉(よし)といふ物そ鰻取り喫(めせ)」
⑦ 身分が高い。家柄がすぐれている。尊貴である。卑しくない。
※書紀(720)神代下(鴨脚本訓)「門の前の井の辺の樹の下に、一の貴(ヨキ)客有り」
※源氏(1001‐14頃)常夏「よき四位・五位たちのいつき聞えて」
⑧ 家が栄えている。勢力がある。富裕である。
※伊勢物語(10C前)一六「貧しく経ても、猶、昔よかりし時の心ながら」
⑨ 上手である。巧みである。うまい。⇨よく。
※伊勢物語(10C前)七七「とよみけるを、いま見れば、よくもあらざりけり」
※徒然草(1331頃)一二六「其の時知るをよきばくちといふなり」
⑩ こころよい。快適である。楽しい。おもしろい。
※万葉(8C後)八・一四二一「春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくし与四(ヨシ)も」
※謡曲・西行桜(1430頃)「よきご機嫌に申して候へば、さらば見せ申せとのおんことにて候ふほどに」
⑪ ほめたたえるべきである。⇨よいかな。
⑫ 評判がすぐれている。評価が高い。
※書紀(720)欽明即位前(寛文版訓)「加(また)以て幼くして穎(すぐ)れ脱(ぬけ)て、早く嘉(ヨキ)声(な)を擅にし」
⑬ 仲がむつまじい。親しい。うとくない。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「父おとど、よき御なかなり」
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三「急に母子の折合が好(ヨク)なって来た」
⑭ 利益がある。得である。割に合う。有利である。ためになる。
※古事記(712)上(兼永本訓)「我、汝命の為に善(ヨキ)議(はかりこと)を作(な)さむ」
※真空地帯(1952)〈野間宏〉六「妻帯はしているが、まだ子供がないのでいくらか条件がよいというのは内村だけだった」
⑮ 値が高い。高価である。「よい値がつく」
⑯ 確かである。「記憶がよい」
⑰ (数や量が) 十分である。
※人情本・花筐(1841)初「此方のはうは、衆人(みんな)お腹が満(ヨイ)とまをします」
三  めぐりあわせに恵まれる。
① めでたい。祝うべきである。吉である。縁起が悪くない。
※古事記(712)中「故、阿佐米余玖(あさめヨク)〈阿より下の五字は音を以ゐる〉汝取り持ちて、天つ神の御子に献れ」
※源平盛衰記(14C前)三六「源氏は軍の手合に、門出能(ヨシ)とて勇けり」
② 幸いである。幸福である。幸運である。
※観智院本名義抄(1241)「喜 ヨシ ヨロシ ヨロコブ」
※白羊宮(1906)〈薄田泣菫〉冬の日「いまの憂身に、そのかみの美(ヨ)き日をしのぶ」
四  あるべきさまである。ふさわしい。
① 適当である。につかわしい。相応である。
※書紀(720)仁徳二二年正月・歌謡「衣こそ 二重も予耆(ヨキ) さ夜床を 並べむ君は 恐(かしこ)きろかも」
※安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文〉二「七八年もすぎたら製茶養蚕がさかんになって老少婦女子(をんなこども)のよい職業(しごと)サ」
② 時機が適当である。好都合である。折が悪くない。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「かの仰せ言は、いとよき折に聞えさせてき」
※曾我物語(南北朝頃)一「ここに、祐経が二人の郎等大見、八幡は、これを聞き、斯やうの所こそよき便宜なれ」
③ 欠けるところがない。不足がない。十分である。
※虎明本狂言・二人袴(室町末‐近世初)「はじめじゃ程に、かみしもをばきせたらばよからふが」
④ (転じて、逆説的に) 基準を越えている。十分すぎる。⇨よい年。
五  同意できる。承認できる。
① 許される。差しつかえがない。許可できる。かまわない。よろしい。
※古事記(712)下・歌謡「独り居りとも 大君し 与斯(ヨシ)と聞こさば 独り居りとも」
※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二「ソレ吹からに、ネ。よしかへ」
② 仕方なく応ずる。やむをえない。
※虎明本狂言・地蔵舞(室町末‐近世初)「『一夜の宿をかさせられひ』『いやそっとの間もならぬ』『それならばよう御ざる』」
③ 然るべきである。賛成である。
※竹取(9C末‐10C初)「そのおはすらん人々に申し給へと言ふ。よき事なりと承けつ」
④ (「…がよい」「…ばよい」などの形で) それが適当であると判断する意、また、それを勧める意などを表わす。
※坊っちゃん(1906)〈夏目漱石〉一「そんな大病なら、もう少し大人(おとな)しくすればよかった」
語誌
⑴上代の文献にはヨシの古形、エシが見られる。⇨善(え)い。
⑵中古には「よし・よろし・わろし(わるし)・あし」と四段階の評価があり、ヨシはヨロシよりも高い評価を表わしたといわれる。「日葡辞書」にヨシは「良い、非常によい」、ヨロシイは「良い、適当な(もの)」などと説明されており、中世も同様の傾向にあったと考えられる。
⑶連用形「よう」「よく」は副詞に転成することもある。⇨よう・よく。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

●□信の意味
二語構成で、後に「信」という配置であり、これだけでは合理的な意味を推察できませんでした。

参考に全国墨書土器データベース(CSVファイル)(明治大学日本古代研究所)を検索すると「信」の字が含まれる墨書土器データは全部で52件あります。
このうち「信」の前に文字(判明しているもの)がくるものは次の1件のみ存在します。

「忠信」(遺跡名 落内遺跡、住所 栃木県下野市薬師寺)

参考
ちゅう‐しん【忠信】
〖名〗 忠と信。忠実と信義。まごころを尽くし、うそ偽りのないこと。
※霊異記(810‐824)上「天皇勅して留むること、七日七夜、彼の忠信を詠ひ」 〔易経‐乾卦・文言〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

●乙□の意味
これまで乙山が2Bゾーンで出土しています。

乙山(オツヤマ、メリヤマ)では次のような検討を行いました。2015.05.13記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その3」参照
……………………………………………………………………
●乙山の意味
乙(オツ)と読んで、十干の第二番目、甲に次ぐ第二位という意味があります。
また乙(メリ)と読んで、減ること、費用のかかることという意味があります。
乙とは、何れも上等ではなく、マイナス評価されることの意味です。
ですから乙山(オツヤマ、メリヤマ)は赤山(セキヤマ)と同義の言葉であると考えます。
乙山(オツヤマ、メリヤマ)という名称の(まだ産物の少ない)地域開発地が付近にあり、その発展成長を願ったという説になります。
赤山(セキヤマ)、乙山(オツヤマ、メリヤマ)と揃いましたので恐らくそれらの名称は、関係者が苦労している有様(生産性が低い有様)を表現したあだ名的通称であり、正式名称ではないと思います。
もしかしたら、赤山(セキヤマ)も乙山(オツヤマ、メリヤマ)も同じ対象を指しているのかもしれません。
……………………………………………………………………
「乙□」も乙山と同様のマイナス評価地物等のプラス評価転換を願った祈願であると推察します。

●丈の意味
人面墨書土器「丈部人足召代」が2Aゾーンから出土していて、丈部(ハセツカベ)は近隣遺跡からも多数出土していることから白幡前遺跡付近一帯の指導層の姓が丈部(ハセツカベ)であったことが推察されています。

従って、丈はハセツカベと読み、丈部の略であり、その土器を所持した人物の姓であると考えます。

自分の姓を土器に書き、その土器に神に対するお供え物を盛り、そのお供え物が自分自身(身代わり)であることを神(悪神)に知ってもらい、本当の自分自身は災厄から免れようという祈願だと思います。

●得足の意味
人足、赤足が別に出土していて、人名と考えられるので、得足も人名であると考えます。
祈願の趣旨は丈と同様に考えます。

●千□の意味
千の後に別の文字という配置であり、これだけでは合理的な意味を推察できません。

参考に全国墨書土器データベース(CSVファイル)(明治大学日本古代研究所)を検索すると「千」の字が含まれる墨書土器データは全部で1229件あります。
「千□」で目立って多いと感じた例をカウントすると次のようになります。
千万 213件
千田 183件
千山 82件

田や開発地を拡げることができ、そこから収穫物が沢山採れることを祈願するという趣旨の文字のようです。

「千□」も同様の祈願語であると考えます。

八千代市白幡前遺跡2Fゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例

2015年5月23日土曜日

墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.136 墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由

墨書土器の文字「廿」(ツヅラ)は被服廠として利用された倉庫(掘立柱建物)の管理警備部隊の将兵が祈願に使ったものと考えます。

墨書理由は、直接的には衣服や関連物品の管理警備業務が滞りなく実行されることや、上部組織からあてがわれる業務ノルマを達成することを祈願するためのものです。

ですから、墨書土器は業務上つくられ、将兵に配布されたものと考えます。

墨書土器は将兵一人一人が自主的に祈願活動を行えるようにするためのマイ祈願ツールです。古代における自己啓発活動ツールです。

この時代は一般民衆(将兵)が初めて文字というものを身近なものとして使うことが出来るようになり、文字の威力が絶大であった時代だと考えます。

次に、墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由を想像的に検討してみました。

墨書土器文字「廿」(ツヅラ)拡散理由の想像的検討

ア 被服廠(掘立柱建物)の管理警備部隊による「廿」墨書土器作成

ア→イ 隣接倉庫(ウ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→ウ 隣接倉庫(ウ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→エ 政治中心施設あるいは寺院への進物献上に伴う「廿」墨書土器の移動

ア→オ 出征部隊キャンプ地への慰問食料献上、あるいは勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→カ 基地最大倉庫(カ)(アの組織上部筋)への進物献上、あるいは勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→キ 隣接倉庫(キ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

2015年5月22日金曜日

墨書土器文字「廿」(ツヅラ)の読解

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.135 墨書土器文字「廿」(ツヅラ)の読解

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器の文字の検討を継続しています。この記事から2Fゾーンと3ゾーンの検討に進みます。

8 2Fゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

●廿の意味
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)では現代国語表記の制限から廿の表記をしていますが、実際の墨書表記は次の通りです。

墨書「廿」の実例

墨書「廿」は下記漢和辞典の会意のとおり「十+十」を合わせて書かれています。

この「廿」の読みは下記漢和辞典の難読事例「廿楽」(ツヅラ)を参考にして、ツヅラであると考えます。

ツヅは十(ジュウ)を、ラは複数を表す語尾です。

参考
廿を漢和辞典で調べると次のような情報を得ることができます。
●(十を二つ横に並べたような字、廾の左縦棒がまっすぐの字)は廿の俗字
●読みジュウ(ジフ)、ニュウ(ニフ)
●字義 にじゅう(にじふ)(二十)。はたち。
●難読 廿山(つつやま・つづやま)・廿日(はつか)・廿日出(はつかで)・廿楽(つづら)
●注意 『康熙字典(コウキジテン)』では、廾部に所属する。
●会意。十+十。十を二つ合わせて、二十の意味を表す。
『新漢語林』 大修館書店

参考
つづ
〖名〗
② とお。じゅう。十。〔日葡辞書(1603‐04)〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

ら【等】
〖接尾〗
② 名詞に付いて、それと限定されない意を表わす。
イ  事物をおおよそに示す。
※万葉(8C後)一六・三八八四「彌彦神の麓に今日良(ラ)もか鹿の伏すらむかはごろも着て角つきながら」
※平中(965頃)一「この男のともだちどもあつまり来て、言ひなぐさめなどしければ、酒ら飲ませけるに」
ロ  主として人を表わす語また指示代名詞に付いて、複数であること、その他にも同類があることを示す。
※万葉(8C後)一・四〇「あみの浦に船乗りすらむをとめ等(ら)が玉裳の裾に潮満つらむか」
※平家(13C前)一「秦の趙高、漢の王莽、〈略〉是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

墨書土器文字「廿」(ツヅラ)の意味は衣服を入れる蔓で編んだかごの意味であると考えます。

参考
つづら【葛】
③(「葛籠」と書く)衣服を入れる、アオツヅラの蔓で編んだかご。後には竹やヒノキの薄板で作り、上に紙を貼った。つづらこ。
『広辞苑 第六版』 岩波書店

次に、文字「廿」(ツヅラ)の出土地点分布を示します。

「廿」(ツヅラ)出土地点分布図

「廿」(ツヅラ」出土地点は2Fゾーンの中心から離れ、3ゾーン(倉庫群地帯)に近い掘立柱建物群そばから集中的に出土しています。

この分布情報から「廿」(ツヅラ)集中出土箇所の掘立柱建物群は、いわば被服廠であった可能性が濃厚です。

基地内で食料・武器等とは別に葛籠(カズラで編んだかご)に軍用・官用等の衣服や関連調度品等をストックする倉庫があったことがこの「廿」の一文字から推定できます。

「廿」(ツヅラ)の分布状況から、1Aゾーンと2Aゾーンの出土土器は2Fゾーン集中箇所から人が持参していった物である可能性が濃厚です。

集中出土箇所以外の2Fゾーン、3ゾーン出土箇所も同様に考えますが、それらの場所と集中出土箇所との間に業務上の繋がりが透けて見えてくるような感じがして、興味をそそられます。

特に3ゾーンとは同じ倉庫管理警備部隊としての業務上の繋がりが感じられます。

つづく

2015年5月19日火曜日

墨書土器文字の読解

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.134 墨書土器文字の読解

八千代市白幡前遺跡の2Dゾーンと2Eゾーン分布中心を持つ墨書土器文字について検討しています。

6 2Dゾーンに出土中心をもつ文字 つづき
●文の意味

ふみ【文・書】
1 〖名〗
① 文書・書物など、文字で書きしるしたもの。かきもの。
イ 漢文の典籍・経典の類をいう。
※書紀(720)推古一〇年一〇月(岩崎本訓)「是の時に書生(フミまなふるひと)三四人を選びて観勒に学び習は俾む」
ロ 一般に、文書・記録・日記などの類をいう。
※書紀(720)皇極四年六月(図書寮本訓)「倉山田麻呂臣進みて三の韓(からひと)表文(フミ)を読み唱ぐ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

参考
慣用句 ふみ の つかさ
① (「図書寮」と書く) 令制での官司の一つ。中務省(なかつかさしょう)に属して、官有の書籍・仏具の保管、図書の書写・製本を行ない、紙、筆、墨などを製造して諸司に給付し、また、国史の修撰をつかさどった役所。ずしょりょう。ふんのつかさ。〔二十巻本和名抄(934頃)〕
② (「書司」と書く) 令制の後宮十二司の一つ。天皇御用の書籍、文房具および楽器のことをつかさどる。尚書一人、典書二人、女嬬六人を置く。しょし。ふんのつかさ。ふみ。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

「文」は上記辞書から抜書きしたような意味であり、「文」をフミと読み、基地業務における文書作成担当官(書記官)の祈願の文字と考えます。

●田の意味
「田」(タ)は水田開発地の拡大(「大田」と同じ)、あるいはイネの豊作祈願の言葉(「草田」(クサダ、カヤタ)…収穫の少ない田(草田)の収穫が増えますように、と同じ)であると考えます。

●得の意味

とく【得】
〖名〗
① 得ること。なすことの叶うこと。成就すること。
※讚岐典侍(1108頃)上「一とせの行幸の後、又見参らせばやと、ゆかしくおもひ参らするに、そのとくなければ」 〔春秋左伝‐定公九年〕
② (「徳」とも) もうけ。利益。利得。
※落窪(10C後)一「時の受領は、世にとく有物といへば、只今そのほどなめれば、つかうまつらむ」
※雁(1911‐13)〈森鴎外〉一「我儘をするやうでゐて、実は帳場に得(トク)の附くやうにする」 〔漢書‐項籍伝〕
③ (形動) 有利であること。便利であること。また、そのさま。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

「得」(トク)は上記の辞書の意味の通り、プラス事項を得たいという祈願語です。
類似の祈願語としてこれまで「満」、「万」、「大」、「盛」などが出てきています。

●魚の意味

さか‐な【肴・魚】
〖名〗 (「さか」は「さけ(酒)」、「な」は、副食物の総称)
① 酒を飲むときに添えて食べる物。飲酒のときの魚、肉や果実、野菜など。さかなもの。酒のさかな。
※常陸風土記(717‐724頃)久慈「遠邇(をちこち)の郷里より酒と肴(さかな)とを齎賫(もちき)て」
※徒然草(1331頃)二一五「この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。さかなこそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると」
② 酒席に興をそえるような行為や事柄。歌や踊り、隠し芸、話題など。酒席の座興。
※とはずがたり(14C前)一「『御酌を御つとめ〈略〉こゆるぎのいそならぬ御さかなの候へかし』と申されしかば、〈略〉今様をうたはせおはします」
※仮名草子・元の木阿彌(1680)下「数杯の酒の御さかなと、禿(かぶろ)は扇おっとり、立ち出で」
③ (魚) うお。魚類の総称。
※甲陽軍鑑(17C初)品三〇「日数をへて、さかなのさがるに、塩をいたす事もなく」
④ 主食に対して、副食物。おかず。
※幼学読本(1887)〈西邨貞〉六「飯に続きて必要なる物は肴なる可し」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

な【魚】
〖名〗 (「な(肴)」と同語源) 食用、特に、副食物とするための魚(さかな)。
※書紀(720)持統三年七月「越の蝦夷八釣魚等に賜ふ。各差有り(魚、此をば儺(ナ)と云ふ)」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

上記辞書内容の通り、「魚」と書いてナあるいはサカナと読んだ文字で、宴会のごちそうが沢山あることを願った言葉であると考えます。

2Cゾーンで出た「厨」(クリヤ)とほとんど同義だと思います。

●太の意味
「太」(タ)は「太一」(タイイツ)、「太一星」(タイイツセイ)の略で、意味としては具体的な北極星を表現し、陰陽道で武運を祈願した言葉であると考えます。

「太」をフトルと読んで、肥えて大きくなるという意味から繁栄を祈願したとも考えられなくはないけれども、その可能性は低いと想像します。

●工の意味

たくみ【工・匠・巧】
(動詞「たくむ(工)」の連用形の名詞化)
1 〖名〗
一 人についていう。
① 手や道具を用いて物を作り出すことを業とする人。細工師。工匠。職人。「こだくみ(木工)」「かなだくみ(金工)」など。
※書紀(720)神代上(兼方本訓)「即ち、石凝姥(いしこりとめ)を以て冶工(タクミ)と為て、天香山の金(かね)を採て以て日矛(ひほこ)を作(つく)らしむ」
② 特に木材で物を作る職人。こだくみ。大工(だいく)。
※書紀(720)雄略六年二月・歌謡「我が命も 長くもがと 言ひし柂倶彌(タクミ)はや」
※大鏡(12C前)二「工(たくみ)ども裏板(うらいた)どもをいとうるはしくかなかきて」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

「工」(タクミ)は基地で働く大工、金工、石工などの技能者が、仕事の質向上や高い評価を受けることを祈願した言葉であると考えます。

7 2Eゾーンに出土中心をもつ文字

●圓の意味

まる【丸・円】
(「まろ」の変化した語)
1 〖名〗
③ 金銭、特に貨幣をさしていう。
※歌舞伎・隅田川続俤(法界坊)(1784)口明「イヤモウ〇になることならなんなりと相談に来ることさ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

「圓」(マロ、マル)と読んで、貨幣を扱う官人つまり基地の会計係集団が会計業務の帳尻が合うことを祈願した言葉であると考えます。

●赤足の意味
これまで出てきた人足、得足を人名と考えてきていますので、この「赤足」(アカタリ)も人名と考えます。

自分の名前が書いてある土器に、お供え物を盛って、その土器全体を自分に見立てて悪神にささげ、本当の自分は悪神から逃れるという算段です。

●上挟の意味
「上挟」(ウワバサミ)は上等な挟(文房具のハサミ)という意味で、文書作成等の基地業務に携わる書記官がその出世を願って祈願した言葉であると考えます。

文官として出世すれば上等の鉄製鋏が支給されることを想像しています。

●十
2Eゾーンは「圓」「上挟」が出土しているので書記官集団(下級官人集団)が活動していたようです。

そうした状況から想像すると、例えば「十」は十干… 甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)を意味していて、書記官の活動の成績を意味する基準であると考えることができます。

「十」(ジッ)は十干の意味で官人の出世の祈願語であったと考えました。

●加の意味
「加」(カ)は増やす、増えるという意味であり、繁栄を願う祈願語であると考えます。

類似の祈願文字に「得」、「満」、「万」、「大」、「盛」などがあります。

八千代市白幡前遺跡2Dゾーン、2Eゾーンに出土中心を持つ墨書土器文字の実例

2015年5月18日月曜日

墨書土器文字「廓」の意味

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.133 墨書土器文字「廓」の意味

八千代市白幡前遺跡の2Dゾーンと2Eゾーンに出土分布中心を持つ墨書土器文字について検討を進めます。

6 2Dゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Dゾーンに出土中心をもつ文字

2Dゾーン、2Eゾーンに出土中心を持つ文字

●廓の意味

次の辞書の意味のほぼそのままと考えてよいと思います。

かく クヮク【郭・廓】
〖名〗
① 都の外まわりを囲んだ土壁。転じて、ものの外まわり。また、囲まれた場所。くるわ。
※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉三一「青山郭(クヮク)を繞(めぐり)て連なり」 〔孟子‐公孫丑〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

つまり、白幡前遺跡は奈良時代から平安時代にかけて軍事兵站・輸送基地であり、その基地の内外を区画する土塁とか塀が在ったものと考えます。

軍事基地ですから、外部とは画然と区画されていたはずです。

その外部から切り離された場所、囲まれた場所を「廓」(カク)と呼んだものと考えます。

墨書土器の文字「廓」(カク)は廓(つまり基地)の機能が全うされることを祈願したものと考えます。

廓の施設が災害で壊れたりしないこと、廓に集まる軍需物資が適切に保管され輸送されること、廓に到着し出発する将兵の間に争いがないことなど、廓(基地)機能の保全について祈願したのだと思います。

もっと具体的にイメージするならば、文字「廓」で基地の警備・施設管理グループが職務上の祈願をしたのだと思います。

なお、職務上の祈願をしたという把握は、墨書土器の機能を社会的に観察した時の捉えた方です。

実際は、基地(白幡前遺跡)に関わる人々は、職務上の祈願を墨書して自分のマイ祈願ツールをつくり、そのマイ祈願ツールで日常の様々な些細な祈願(病気を治したいとか、家族を増やしたいとか、おいしいものをたべたいとか…)もしていたと想像します。

墨書した文字は職務集団のスローガンみたいなものであると考えます。

墨書土器 廓のスケッチ例
「千葉県の歴史 資料編 古代 別冊出土文字資料集成」(千葉県発行)から引用

【メモ 中間考察】
これまでの検討で、出土数の多い文字はほとんど蝦夷戦争に関わる職務に関する祈願です。

1Aゾーン 「生」 兵卒 (戦闘で)戦死しないで生きる
1Bゾーン 「○」 高級将官 蝦夷戦争勝利
      「継」 高級将官 戦略基地機能の確保
      「立」 高級将官 戦地へ出発(いざ戦わん)
2Cゾーン 「大一」 陰陽師 祈願(武運…蝦夷戦争勝利)
2Dゾーン 「廓」 職務集団 基地の警備・施設管理

白幡前遺跡出土の墨書土器の文字は蝦夷戦争に関わる職務上の祈願がメインであることが明瞭に浮かび上がってきました。

基地業務を仕切る官人グループが墨書土器による祈願という風習を積極的に持ち込み、基地を通過する将兵や基地運営集団にその風習をひろめ、成員の意識向上を図ったと考えます。

現代サラリーマン社会で「自己啓発」というジャンルの活動がありますが、墨書土器による祈願は古代組織社会の自己啓発活動であると考えます。

つづく

2015年5月16日土曜日

組文字「大一(たいいつ)」の出土分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.132 組文字「大一(たいいつ)」の出土分布

2015.05.14記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4」で八千代市白幡前遺跡の2Cゾーンから「大一(たいいつ)」を表現する組文字が集中的に出土することに注目しました。

大一(たいいつ)とは大一星(太一星・太乙星)のことで、「北天を運行する一星。天帝神として、兵乱・禍災・生死などをつかさどるとされる。陰陽道ではとくに重要視され、その八方遊行の方角を求めて吉凶を占うのを、太一占の法という。」(『精選版 日本国語大辞典』 小学館)であると考えました。北極星そのものを指していると考えました。

組文字「大一(たいいつ)」が2Cゾーンに集中的に出土することから、2Cゾーンに陰陽師の拠点があるのではないかと考えました。

この記事では実際の組文字「大一(たいいつ)」の出土分布を見てみます。

1 白幡前遺跡における「大一(たいいつ)」の分布

墨書土器文字「大一(たいいつ)」出土地点

2Cゾーンに偏在してることが確認できます。

2 2Cゾーンにおける「大一(たいいつ)」の分布

2Cゾーンにおける「大一(たいいつ)」の分布

2Cゾーンの中でも掘立柱建物群のある場所に偏在しています。
掘立柱建物群のなかに陰陽師関連施設が存在していたと考えます。

陰陽師が所属した陰陽寮は、陰陽道を国家機密として管理していましたから、八千代市白幡前遺跡に陰陽施設があるということは、律令国家がこの場所に特別に陰陽寮の出先機関を設けたことを示しています。

2Cゾーンが遺跡(集落)のなかでも最も奥にある理由は、陰陽施設の存在が機密事項であったためであると考えます。

【参考】
律令制においては、陰陽寮の修習生に登用された者以外の一切の部外者(神官・僧侶はもちろん官人から民間人に至るまでの全て)が、天文・陰陽・暦・時間計測を学び災異瑞祥を説くことを厳しく禁止しており、天文観測や時刻測定にかかわる装置または陰陽諸道に関する文献についても、陰陽寮の外部への持ち出しを一切禁じ、私人がこれらを単に所有することさえ禁じていた。このため、律令制が比較的厳しく運営されていた平安時代の初期(9世紀初頭)まで、陰陽道は陰陽寮が独占する国家機密として管理されていたが、その後、時代の趨勢に合わせるために律令の細部を改める施行令である「格」・「式」がしばしば発布されるようになり、各省ともに官職の定員が肥大化する傾向を見せると、陰陽寮においても平安時代中期までに、かなりの定員増がはかられるようになり、その制度も弛緩した。(Wikipediaより引用)

八千代市白幡前遺跡に陰陽施設があるということは、それだけ蝦夷戦争勝利のために国家の有する総力を投入したということです。
国家から白幡前遺跡に送られた陰陽師は、呪術や占術を駆使して戦争勝利のための指針を戦地に向かう部隊や基地で働く部隊にアドバイスしていたものと考えます。

陰陽師が存在していたこと自体が、八千代市白幡前遺跡が都と戦地陸奥国の中間に位置する最大の軍事兵站・輸送基地(戦略的後方基地)であったことを物語っていると考えます。

3 下総国における「大一(たいいつ)」の分布

組文字「大一(たいいつ)」出土件数

下総国における「大一(たいいつ)」出土をみると、それは白幡前遺跡に限られているといっても過言ではない状況になってます。

陰陽道はだれでも行えるものではなく、国家機密として厳重管理していたものですから、その施設があった場所からのみその痕跡が見つかることは、当然のことです。

2015年5月15日金曜日

八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その5

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.131 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その5

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器文字の詳細検討を続けています。この記事は2Cゾーン検討のつづきです。

2Cゾーン出土文字の最大の特徴である大と一の組文字について、それが大一(タイイツ)星であることがわかりました。

大一(タイイツ)星とは「北天を運行する一星。天帝神として、兵乱・禍災・生死などをつかさどるとされる。陰陽道ではとくに重要視され、その八方遊行の方角を求めて吉凶を占うのを、太一占の法という。太一。」(『精選版 日本国語大辞典』 小学館)であり、北極星そのものを指すとされています。

寺院と中央貴族接待施設が存在する2Aゾーンに隣接した2Cゾーンが陰陽寮施設である可能性が出てきました。

白旗前遺跡は蝦夷戦争において都と戦地陸奥国を継ぐという戦略的重要性のある軍事兵站・輸送基地であると考えています。

その軍事基地に戦争勝利を祈願する宗教施設である仏教寺院と、呪術・占術という技術で戦争勝利に寄与する陰陽師の双方が存在していた可能性が出てきました。

予期せぬ展開です。注意深く検討を進めます

2Cゾーンにおける大一(タイイツ)以外の文字の検討を進めます。

●磨の意味
磨の主要な意味として、「刃物などをとぐ。といで鋭利にする。」(『精選版 日本国語大辞典』 小学館)があります。

これが祈願の内容だと考えます。武器を研いで戦いに勝利するという祈願・祈祷です。

百戦練磨(「たびたび戦ったり、経験を積んだりして、錬りみがき、鍛えあげられること。」『精選版 日本国語大辞典』 小学館)の祈願・祈祷がこの「磨」文字の背後に観察できると考えます。

●満の意味
○○(願い事)が不足が無く叶う、願い事でいっぱいになるという祈願の言葉だと思います。満願ということです。

万(万事)と同じような意味の文字と考えます。

●家の意味
1Bゾーンで「堤家」が出ていて、「家屋、住居としての建造物が火災・暴風雨・雪害等から安全であることを祈願したものと考えます。墨書土器に盛ったお供え物を家に見立てて、災害神に提出し、その代わりに本物の家屋の安全を確保したのだと思います。」と思考しました。

「家」は同様の家屋安全・繁栄祈願と考えます。

●田生の意味
田は水田と考えます。生は1Aゾーンで多出し、そこでは戦死の反意語としての命の意味で考えました。

田生(タイキ)は1Bゾーンで出た「牧万」(高津馬牧の万事がうまくいきますように)と同じように、「水田に命(あるいは生気・勢い)が充ちて豊作でありますように」という雰囲気の祈願語であると考えます。

2Bゾーンで「草田(クサダ、カヤタ)」が出ましたが祈願内容は同じです。「草田(クサダ、カヤタ)」ではなかなか稲が育たない現場の苦労から出た祈願語ですが、「田生」は理念的に「水田に命を!」という非現場サイドの祈願語と考えます。

●式の意味
式(シキ)は式神(シキガミ、シキジン)であると考えます。

しき【式】
⑦式神(しきがみ)の略。
『広辞苑 第六版』 岩波書店

しき‐がみ【式神・識神】
〖名〗 陰陽道で、陰陽師が使役するという鬼神。陰陽師の命令に従って変幻自在、不思議な術をなすという。式の神。しきじん。しき。〔新猿楽記(1061‐65頃)〕
※宇治拾遺(1221頃)一一「供なる童は、式神をつかひて来たるなめりかし」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

2Cゾーンが陰陽師活動ゾーンであるとする考えの駄目を押す出土文字です。

式神について詳しい検討は追って行いたいと思います。

式(シキ)と書いて式神(シキガミ)を使って(式神を陰陽師が操作して)行う祈祷を表現しているものと考えます。

陰陽師の技術とは、すなわち式神を操るなどの技術だと思います。

●神万の意味
これまで出てきた□+万は次の通りです。

1Bゾーン 牧万 (検討 牧は高津馬牧を指していると考えて間違いありません。白幡前遺跡1Bゾーンには基地司令部があり、高津馬牧はその傘下にあったと想像しています。1Bゾーンに詰める高津馬牧関係者、あるいは高津馬牧担当将官が高津馬牧の全て(万事)が成功的に進捗して、基地機能向上に貢献することを祈願したものと考えます。)

2Aゾーン 生万 (検討 生は命で、万は万事の意味で、全ての危険・災厄から逃れて命を保つことを祈願したのだと思います。生万でセイバンと読むのだと思います。)

両方とも□+万の□(牧、生)を良くする(発展させる、安全を保つなど)対象物(祈願対象物)として考えました。

神万も同じように考えたいと思います。

陰陽師の祈祷ですから、神を良くする(良い神を招き、悪い神を退散させる)という神自体を操作対象物とした祈願・祈祷であったのだと思います。恐らくそうした神の操作技術が陰陽師という職業に求められたプロパー技術であったのだと思います。

例えば、○○(戦争勝利とか、干ばつ回避とか、病気快癒とか)の祈願の際、その祈願の前提条件をつくるために、神万(ジンバン、シンバン)という祈願を行い、悪神を退散させ、善神・福神を招くということが行われたと考えます。

●酒真利の意味
正確には□酒真利であり、酒の上に1字以上の文字があります。

真利はマリと読み、次の鋺・椀のことだと思います。

まり【鋺・椀】
〖名〗 古く、水・酒などを盛った器。もい。
※書紀(720)允恭元年一二月(図書寮本訓)「大中姫(ひめ)の捧(ささ)げたる鋺(マリ)の水、溢(あふ)れて腕(たふさ)に凝(こ)れり」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

この椀(マリ)に注いだ(○○の)酒を神にお供えして、△△について祈願します、という意味だと思われます。

●新家古の意味
古い家を新しくしたい(してほしい)という祈願だと考えます。繁栄祈願です。

●□□天□の意味
天はアマあるいはアメと読み、神々のいる天という意味で使っているのではないかと想像します。
神との関わりで天が使われて、何かを祈願したのだと思います。

●厨の意味
厨(クリヤ)の3つの意味のどれかの繁栄・安定等を祈願したものと考えます。

くり‐や【厨・庖・厨家】
〖名〗
① 飲食物を調理する所。台所。
※書紀(720)大化二年正月(北野本訓)「一人を以て廝(クリヤ)に充てよ」
② 「⇨くりやびと(厨人)」の略。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「くりや、ざふし合はせて五人ばかり、別当、預どもつきたり」
③ もてなすこと。饗応。
※小右記‐長徳三年(997)一〇月一日「有厨御贄、一献左大臣、不令献者飲」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

一言で言えば、「家」と同じような繁栄祈願です。

●盛の意味
盛(セイ)は○○が勢いよく栄えるということの祈願語で、これまで出てきた次のような祈願語と同類であると考えます。

2Aゾーン 上(アガリ)(検討 官人が身分や位が上にあがることを祈願した。)
2Aゾーン 安(ヤスマル)(検討 苦痛がおさまる、病気がなおるなどの祈願をしたのだと思います。)
2Aゾーン 長(チョウ)(検討 長寿の意味であると考えます。延命を願ったのだと思います。)

●大の意味
大(ダイ)も○○が大きなってほしいという祈願語であると考えます。

●万の意味
万(バン)もすべて○○になってほしいという祈願語であると考えます。万事の万。

●井の意味
井は水を汲みとる場所であり、水の不自由回避の祈願であると考えます。

●大家の意味
1Bゾーンで出てきた大寺(オオデラ 寺院が大きくなるように祈願する。)と同じく、家(建物)が大きくなるように祈願したと思います。

八千代市白幡前遺跡2Cゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例


2015年5月14日木曜日

八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.130 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その4

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器文字の詳細検討を続けています。この記事では2Cゾーンについて検討します。

5 2Cゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Cゾーンに出土中心を持つ文字

2Cゾーンに出土中心を持つ文字

2Cゾーンでもこれまでのどのゾーンと比べても異なる大変特徴的な文字(組文字Z)が集中出土しています。その文字は他のゾーンではほとんど出土しません。

2Cゾーンは建物や銙帯等の出土情報から、現在までのところ農業的業務を行っていたと推測していますが、墨書土器の出土数が多く、墨書土器出土が少ない2Bゾーンのように特殊的に劣位なポジションにあったのではないようです。

特定のプロジェクトに携わるタスクフォース(部隊)が存在していたと想定しますが、そのプロジェクトが何であるか、あぶり出したいと思っています。

●組文字Zの分解
組文字Zを活字にすると次のようになります。

組文字Z

実際の墨書のスケッチは次のようになります。

Zの実例

このZの実例から、Zは次のように大と一の組み合わせであると考えることが出来ると思います。

Zの漢字組み合わせ

書き順(組わせ順)は大→一だと思います。一→大としても検討しますが、恐らく一大ではないと思います。

●組文字Zの意味
一大(イチダイ)は接頭語として使われることがありますが、そのものとしては使われないようです。
一→大の順で書いた(読んだ)ことはないと思いました。

辞書には大一としては1つの古い言葉大一(タイイツ)しか掲載されていません。オオイチ(バン)とかオオイチ(モンジ)とかの言葉はありますが、大一という2字の言葉は大一(タイイツ)だけです。

Zはこの古い言葉である大一(タイイツ)だと思います。

たい‐いつ【太一・太乙・泰一・大一】
1 〖名〗
① 中国の上代の思想で、天地・万物の生ずる根元。宇宙の本体。
*藤樹文集(1648頃)三「夫皇上帝者大乙之神霊、天地万物之君親」 〔礼記‐礼運〕
② 天神の一つ。天上の五帝をすべるとされ、天帝・上帝の別名ともいう。また、北極紫微宮をその居所とするところから、時に北極星そのものを指す。
*本朝文粋(1060頃)三・立神祠〈三善清行〉「烹ㇾ鷺而祭ニ太一一、安知ニ求ㇾ仙之徴一」 〔宋玉‐高唐賦〕
2 =⇨たいいつせい(太一星)
*律(718)職制「凡玄象器物、〈略〉、太一雷公式、私家不ㇾ得ㇾ有、違者徒一年」 〔易緯乾鑿度〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

たいいつ‐せい【太一星・太乙星】
北天を運行する一星。天帝神として、兵乱・禍災・生死などをつかさどるとされる。陰陽道ではとくに重要視され、その八方遊行の方角を求めて吉凶を占うのを、太一占の法という。太一。〔文明本節用集(室町中)〕 〔晉書‐天文志〕
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

大一(タイイツ)とは陰陽道で特に重要視される中国由来の天神であり、北極星そのものを指すようです。

陰陽道についてほぼ無知識の私ですが、Zのスケッチを見て、それが漢字の組み合わせであるだけでなく、図像として星を表現しているらしいと強く感じます。

大+一を2Cゾーン住人が墨書した時、次のようなイメージ変遷プロセスを瞬間的に経ていたのではないかと想像します。

土器に墨書大+一を書く

墨書土器に星型をイメージする

墨書土器に大一星をイメージする

大+一の文字は陰陽道の立場から、大一星(北極星)に○○を祈願したということだと思います。

2Cゾーンの集団は陰陽道を信奉する集団であることが判明しました。

1Bゾーンは高級軍人のゾーンで○(則天文字 星)を白星=勝利として祈願していて、○は具体的には北極星を指す可能性があり、妙見信仰との関係について今後検討することにしました。

2Aゾーンは仏教寺院が存在します。

そして2Cゾーンには陰陽道を信奉する集団が存在するようです。

仏教寺院と陰陽道と軍事組織の3者の関係を知ることが大切のようです。

つづく

2015年5月13日水曜日

八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その3

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.129 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その3

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器文字の詳細検討を続けます。1Aゾーン、1Bゾーンの検討が済みましたので、この記事では2Aゾーン(寺院と中央貴族接待施設のあるゾーン)と2Bゾーン(寺院を支える農業集落)について検討します。

4 2Aゾーン、2Bゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Aゾーン、2Bゾーンに出土中心を持つ文字

2Aゾーン、2Bゾーンに出土中心を持つ文字

ゾーン別墨書土器出土数については既に2015.05.08記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器出土の分布」で詳しく検討していますので、そちらを参照していただきたいと思いますが、2Aゾーン、2Bゾーンは墨書土器が最も少ないゾーンです。

この事実から墨書土器という風習は寺院サイドから発生したものでないことは明白です。

仏教で佛に祈るという行為と墨書土器を道具に使って神に祈ることはその原理が異なりますから、2Aゾーンや2Bゾーンで墨書土器出土が少ないことは当然です。

これらのゾーンに特徴的で多数出土する文字はありません。

しかし2Aゾーンは中央貴族接待係(集落の最上位階層)や寺院関係者が居住していたと考えられるので、そういう特権階級特有の文字が出土しています。

【2Aゾーンの文字】
●佛の意味
神の替わりに佛に対して、土器にお供え物をして、○○について祈った、という風に考えることが順当のようです。

●つの意味
不明。

●寺坏の意味
所有を表す言葉として寺坏を墨書して、寺院活動で使ったということで考えます。

●上の意味
ア 上(アガリ)と読み、官人が身分や位が上にあがることを祈願した。
イ この場所が中央貴族接待施設や寺院があり上(ウエ)の場所(貴い人がいる所)であり、その上(ウエ)に住む私が、○○○について祈願する。

●又の意味
又(マタ)と読み、以前良いことがあった(立身出世、財産増大等)が、同じような状態がもう一度出現することを祈願する。
欲張りな上層階層の祈願です。

●赤山、提赤山の意味
ア 人名説
赤山(アカヤマ)と読んで人名であると考え、提赤山は自分をお供え物として差し出して、本当の自分の命を死神から守ろうとする説です。
しかし、提+□□□形式で□□□に入る言葉で、人名のものが他に見つかりませんから、恐らくこの説の信憑性は低いと思います。

イ 寺院の山号説
2Aゾーンの寺院の山号が赤山(セキサン)であるとする説です。
提赤山で寺院を神(あるいは佛)に(お供えものとして)差し出して、本当の寺院の安泰を願うというストーリーになりますから、大いに無理があります。

ウ 開発地説
赤山(セキヤマ)という名称の地域開発地が付近にあり、その発展成長を願ったという説です。

赤地(セキチ)というと「草木のまったくない土地。旱魃(かんばつ)などのために作物がみのらない土地。」(『精選版 日本語国語大辞典』 小学館)、「作物の収穫のない土地。不毛の地。赤土(せきど)。」(『広辞苑 第六版』 岩波書店)という意味です。

ですから、赤山(セキヤマ)と呼ばれる、開発の効果がまだ出ていない特定開発地が存在し、その発展を願ったと考えるという説です。

提赤山と書いて、開発地赤山の発展・有用産物多産を祈願したのだと思います。

1Bゾーンで出てきた「山」の意味は「樹木を得る場所の確保や産物が沢山採れることを祈願したのかもしれません。白幡前遺跡には鍛冶遺構(*)が出土していますから、多量の炭をつくるために膨大な樹木伐採の必要があったものと考えます。」と書きました。
赤山の山もそれと類似した意味だと思います。

この付近に、現代に伝わる小字名として坊山、川崎山など山のつくものがあります。2015.04.21記事「八千代市白幡前遺跡 古代寺院関連地名」参照

もしかしたら赤山はこの坊山のことかもしれません。1Bゾーンの「山」も同じ坊山を指しているのかもしれません。

3つの説のうち、ウ開発地説の確からしさが最も強いと考えます。

●丈部人足召代の意味
2015.05.07記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字の意味」で詳しく検討しました。

「丈部人足(はせつかべひとたり 墨書を書いた人名)の身体が病気(や死)に召される(招かれる)代わりに<人面>(疾病神、死神)に、この甕に入れた物(食べ物 疾病神・死神に対する賄賂)を奉ります(さしあげます)」という意味になります。(人面は丈部人足の自画像であると考えることもできると思います。)

●人足の意味
上記人面墨書土器を書いた丈部人足のことであると考えます。
丈部人足が○○について祈願しますという意味です。

●生万の意味
生は命で、万は万事の意味で、全ての危険・災厄から逃れて命を保つことを祈願したのだと思います。
生万でセイバンと読むのだと思います。

●長
長(チョウ)は長寿の意味であると考えます。延命を願ったのだと思います。

●安の意味
安(ヤスマル)と読んで、苦痛がおさまる、病気がなおるなどの祈願をしたのだと思います。

●丁の意味
丁(テイ)と読んで、提、堤、貞と同じ意味に用いたのだと思います。神に祈願する事柄をこめたお供え物を提出する(ひさげる、かかげる)という意味です。

●井口の意味
井(イ)は流水から用水を汲み取る場所ですから、井口(イノクチ)は水を汲みとる口から水をいつでも不自由なく汲み取りたいという祈願に使ったのかもしれせん。

【2Bゾーンの文字】
●器の意味
この器にお供え物を入れて、祈願しますという意味だと思います。1Aゾーンの「土垸」(土の埦)と同じだと思います。

●草田の意味
ア 地名説
草田(カヤタ)と読んで現代にまで伝わる大字地名に対比させて考えられています。(「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)等)

草田(カヤタ)に住む私が、○○を祈願します、ということだと思います。

イ クサダ説
草田(クサダ、カヤタと読んでも同じ)つまり草の生い茂った生産性の低い田の生産性向上を願ったものと考えます。
2Bゾーンは農業集落的性格が強いゾーンです。ですから、農業生産に関わる者が草田(クサダ、カヤタ)の生産性向上を祈願することは至って当然です。

2Aゾーンの赤山(セキヤマ)や次の乙山(オツヤマ、メリヤマ)と同類の祈願として草田(クサダ、カヤタ)を分類できると思います。

赤山(セキヤマ)や乙山(オツヤマ、メリヤマ)と一緒に出土する文字ですから、イのクサダ説の方がアの地名説より確からしさが上位と考えます。

●乙山の意味
乙(オツ)と読んで、十干の第二番目、甲に次ぐ第二位という意味があります。
また乙(メリ)と読んで、減ること、費用のかかることという意味があります。
乙とは、何れも上等ではなく、マイナス評価されることの意味です。

ですから乙山(オツヤマ、メリヤマ)は赤山(セキヤマ)と同義の言葉であると考えます。

乙山(オツヤマ、メリヤマ)という名称の(まだ産物の少ない)地域開発地が付近にあり、その発展成長を願ったという説になります。

赤山(セキヤマ)、乙山(オツヤマ、メリヤマ)と揃いましたので恐らくそれらの名称は、関係者が苦労している有様(生産性が低い有様)を表現したあだ名的通称であり、正式名称ではないと思います。

もしかしたら、赤山(セキヤマ)も乙山(オツヤマ、メリヤマ)も同じ対象を指しているのかもしれません。

●下の意味
ア 地名説
2Aゾーンに「上」(ウエ)が出土し、その意味の一つとして「この場所が中央貴族接待施設や寺院があり上(ウエ)の場所(貴い人がいる所)であり、その上(ウエ)に住む私が、○○○について祈願する。」と検討しました。
その上(ウエ)の傍のゾーンで、2Aゾーンを支える農業ゾーンが2Bゾーンです。ですから2Bゾーンは対比上「下」(シタ)になります。
ですから下(シタ)に住む私が、○○○について祈願すると考えることができます。

イ クダサル説
下をクダサルと読んで、神が○○を下さると受身的に祈願している様子としても考えることができます。

アの地名説の方が、無理が無いような気がします。

八千代市白幡前遺跡2Aゾーン、2Bゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例

1Bゾーンでは蝦夷戦争勝利祈願がメインであったのが、1Aゾーンでは出生・長寿・健康祈願がメインのようになり、その際立った差異がゾーンの基本機能の違いによく対応しています。

また、丈部人足召代の人面土器は貴重な多くの情報を提供していますが、それは墨書土器全体の中では特殊例外的なものであることがわかりつつあります。

2015年5月12日火曜日

八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その2

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.128 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その2

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器文字の詳細検討を続けます。

3 1Bゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●1Bゾーンに出土中心を持つ文字

1Bゾーン出土文字

大変特徴的な出土文字様相です。
このゾーンの出土数第1位文字は「○」(星 則天文字)ですが、遺跡全体では32出ている内の実に31がこのゾーンで出ています。
出土数第2位文字「継」、第3位文字「立」もこの1Bゾーンに集中的に表れています。

以下具体的に検討します。

●○(星 則天文字)の意味
○(星 則天文字)のWikipediaによる説明は次の通りです。

Wikipediaによる則天文字○の説明

さて、1Bゾーンは竪穴住居跡と掘立柱建物跡の比や銙帯出土状況等の遺構・遺物の状況から兵站基地における「司令部機能又は高級将官逗留施設」と考えてきています。2015.04.24記事「八千代市白幡前遺跡 出土銙帯分布からわかること」参照

白幡前遺跡の軍事の中心がこの1Bゾーンです。一般兵士というより高級将官が居住あるいは逗留して軍事面の指揮を執った場所であると考えてきています。

そうした遺跡のゾーニングを考えると、○(星 則天文字)は白星(勝利)であると考えざるを得ません。

本日(2015.05.12)新聞朝刊に大相撲記事があり、過去対戦星取表が掲載されています。

大相撲過去対戦の星取表

この本日の新聞記事の○は則天文字由来の記号で、白星=勝利を表現しています。

8世紀後半から9世紀初頭にかけての高級軍人たちも、則天文字○を白星(勝利)の意味で使い、蝦夷戦争勝利を祈願したのだと思います。

一般兵士が逗留した場所と考えた1Aゾーンでは「生」の出土が多く、一般兵士は戦死しないことを祈願したのですが、高級軍人たちはもう少し高次の意識であったことがわかります。「○」で戦争勝利を祈願したのです。

1Aゾーンで○の中に万の字を書く文字(記号)が出土していますが、「万」(バン)の意味を万事と同じ「すべて」「あらゆる」と捉え、全ての戦いで勝利する(白星をあげる)という祈願として捉えることができます。

●継の意味
継(ツグ、ツギ)とは白幡前遺跡(集落)の機能、つまり軍事兵站・輸送基地機能そのもののがしっかり確保されて、蝦夷戦争が成功的に遂行されることを祈願したのだと思います。

囲碁で、断点を補う手を継(ツギ)といいます。直接切れないように補うことです。

白幡前遺跡(集落)の高級将官たちは、この基地が都と陸奥国を継ぐ重要な軍事兵站・輸送基地であることをしっかりと自覚していて、この基地機能が十分発揮されることを祈願したものと考えます。

祈願のレベルが個人の枠を大きく超えていて、国家戦略レベルです。
継と祈願した高級将官は中央官僚レベルと同じ意識です。

白幡前遺跡は下総国にありますが、検見川から花見川を通り高津、萱田地区(白幡前遺跡周辺)に抜けるルートは中央直轄領的な様相を呈していたと思います。

この周辺に勅旨田開発があることもそのことを裏付けています。2015.05.06記事「千葉市花見川区幕張の小字地名「奈良熊」「実籾田」は勅旨田開発か」参照

●立の意味
立(タツ)は出発する、出立するという意味で、これから蝦夷戦争の戦地である陸奥国へ向かうという決意を表現していて、その勝利・無事を祈願したものだと思います。「いざ戦わん」という意味だと思います。

○(戦争勝利)、継(基地機能確保)、立(いざ戦わん)という3つの祈願語が1Bゾーンに多数出土することから、この場所に高度に組織されて、恐らく士気も高かったであろう軍事指揮集団が存在していたことがわかります。

●牧万の意味
牧は高津馬牧を指していると考えて間違いありません。
白幡前遺跡1Bゾーンには基地司令部があり、高津馬牧はその傘下にあったと想像しています。
1Bゾーンに詰める高津馬牧関係者、あるいは高津馬牧担当将官が高津馬牧の全て(万事)が成功的に進捗して、基地機能向上に貢献することを祈願したものと考えます。

●益の意味
益(マス)は兵員、牛馬、軍事物資などの数量が多くなることを祈願したものと考えます。

●嶋の意味
人名?

●大井の意味
井(イ)は流水から用水を汲み取る場所ですから、大井はその場所を拡げ用水の不便を少なくしたいという祈願に使ったのかもしれせん。

●山の意味
樹木を得る場所の確保や産物が沢山採れることを祈願したのかもしれません。

白幡前遺跡には鍛冶遺構(*)が出土していますから、多量の炭をつくるために膨大な樹木伐採の必要があったものと考えます。

*「千葉市八千代市白幡前遺跡c地点-共同住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(2009、君塚克己・八千代市教育委員会)

●堤家の意味
家屋、住居としての建造物が火災・暴風雨・雪害等から安全であることを祈願したものと考えます。
墨書土器に盛ったお供え物を家に見立てて、災害神に提出し、その代わりに本物の家屋の安全を確保したのだと思います。

●大寺の意味
次のような解釈ができます。
ア 2Aゾーンにある寺院が大きくなるように祈願する。
イ 2Aゾーンにある名称「大寺」(の地区)に住む私が○○を祈願する。

アの可能性が大きいと考えますが、その場合、仏教寺院が大きくなることを神に祈願していたことになります。
あるいは、仏教寺院が大きくなることを神ではなく、佛に祈ったのでしょうか。
神仏の関係は今後の検討課題とします。

●臣の意味
臣(オミ)は、私は神の忠実な家来、臣下になりますから、私の祈願を成就してくださいという祈願語だと思います。

●庄の意味
庄は荘園・庄園を指しますから、1Bゾーンにある基地司令部が監督する近くの荘園の充実発展を祈願したものと考えます。

●財の意味
富や所有物の増大を祈願した言葉であると考えます。個人的な財産という意味ではなく、公共的な基地の財産が増えることを祈願したと考えます。

●大生人の意味
大いに生きる(殺されない)人でありたいという祈願と考えると、他の祈願語とこれだけ大いに異なり、個人主義の色彩が濃くなります。他の解釈があるか、今後検討を深めます。

●成の意味
次のような解釈ができます。
ア 大願成就という意味で成(ジョウ)1語を使う。○○を成就したいという祈願。
イ 成(ナス)と読み、○○を生む、産出する、つくる、行うという能動的祈願。
ウ 成(ナル)と読み、○○というこれまでなかったものが、新たに形をとって現れ出ることの期待、受動的祈願。

●寺の意味
寺の発展や厄払いの祈願。
あるいは寺に籍を置く者(関係者)が、○○を祈願する。

●子猨嶋の意味
人名(コザルジマ)?

●主の意味
主(ヌシ)はお供え物の所有者という意味で、神と同義だと考えます。お供え物を供える相手を主(=神)と呼んだのだと思います。


墨書土器の文字実例

八千代市白幡前遺跡1Bゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例

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【メモ】

○が則天文字で星を意味し、それが白星=勝利(蝦夷戦争勝利)として使われました。星と武力が固く結びついています。

この背景に妙見信仰が存在しているのではないだろうかと、疑います。

墨書土器の○は北極星を表現しているのかもしれないと疑います。

奈良時代にあっては、白幡前遺跡を含む萱田付近を丈部一族が主導していますが、丈部一族と妙見信仰の関わりがあるのではないかと疑います。

今後注意深く検討していきたいと思います。

2015年5月11日月曜日

八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その1

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.127 八千代市白幡前遺跡 墨書土器の文字検討 その1

1 はじめに -墨書土器多数出土文字の意味がほとんど解明されていない理由-
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に第404表萱田地区出土文字資料一覧という表があります。

この表をExcelに転記して全文字について遺跡の特性との関わりで分析しますので、順次記事にします。

Excelに転記して調整した出土文字資料一覧(部分)
この資料では文字と考えられるものだけを抽出していて、記号そのものは掲載していないようです。

遺跡の特性(蝦夷戦争における軍事兵站・輸送基地)をあぶりだすことができるメドが素人なりにつきましたので、詳細にわたる検討になりますが、記事にするという算段です。

白幡前遺跡出土文字の意味の検討は上記報告書をはじめとする既往専門書では極一部の文字しか検討されていません。

これまで検討されてきている文字の意味は次のようなものです。
1 人面墨書土器の文字(丈部人足召代)
2 地名に関わる文字(草田)
3 人名に関わる文字(丈部人足、赤足、得足)
4 寺院に関わる文字(大寺、寺坏)

白幡前遺跡の出土最大多数文字である「生」字ファミリーの文字の意味について検討なり解釈したものは、いくら探してもありません。

出土数が上位の文字は全てこれまでその意味の検討はありません。(見つけていません。)

●白幡前遺跡 出土数上位の文字(数値は出土数)
1位 生 71
2位 (大の字の下に一) 42
2位 廓 42
4位 継 37
5位 ○ 32
6位 入 23
7位 立 20
8位 廿 20
9位 饒 18
10位 圓 16

強いていえば出土数同率2位の「廓」について、「倉庫を意味すると思ったが3ゾーンだけでなく2Dゾーンなどからも出土するので、倉庫を意味するものではないと判った」という検討はあります。しかし、結局のところ「廓」の意味は不明のままです。

なぜ、これだけ特徴的な文字出土が観察出来るのに、その意味の検討の記述が無いのか、そのこと自体が不思議でした。

専門家が出土文字の意味に興味が無いわけはありませんから、主要文字の意味についての記述が全くない理由は、検討がされなかったのではなく、検討はしたけれど説得力ある意味の想定が出来なかったからであるといえます。

なぜ、白幡前遺跡出土文字の意味の想定ができないのか、その理由は明白です。

この遺跡に関わる全ての専門家が、この遺跡を「一般農業集落」として認識していて、蝦夷戦争における有数の軍事兵站・輸送基地とは考えていないからです。

白幡前遺跡遺跡を「一般農業集落」、その中の寺院を「村落内寺院」として一般論として捉えてしまっています。

そのような遺跡本質を捉えていない、ピントが合っていない認識からは出土文字の意味をイメージすることが出来なかったということだと考えます。

つづいて、ゾーン別にそのゾーンに出土中心をもつ文字の検討を行います。

2 1Aゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●1Aゾーンに出土中心を持つ文字

1Aゾーン出土文字

日本語表記できない文字は次の通りです。
Xの表示
則天文字であり、「一生」「生きるが一番」「人」などの意味があるといわれています。

Yの表示
噴水が噴き出す、あるいは樹木が四方に繁るなどのイメージの湧く象形文字です。
(この象形文字の出自については引き続き検討し、判れば記事にします。)

Wの表示

↑も象形文字として扱われています。
(この象形文字の出自については引き続き検討し、判れば記事にします。)

●「生ファミリー」出土数
生の字の出土が71であり、その出土中心が1A、1Bであり、白幡前遺跡の墨書土器文字を代表する文字となっています。
近隣の遺跡を加えると生だけで163の出土になり、生の文字は白幡前遺跡だけでなく萱田地区全体の墨書土器文字の代表になります。

生の字は単独で使われるだけでなく、則天文字として、あるいは他の文字と結合しても使われています。
これらを「生ファミリー」と称して、それだけをピックアップしてみました。

「生ファミリー」の統計
「生ファミリー」出土数は白幡前遺跡では全部で102、萱田地区では201になります。
%で示すと、白幡前遺跡では18.3%、萱田地区では24.4%が出土文字に占める「生ファミリー」の割合です。

●生の意味
生の字の意味は多岐にわたり、国語大辞典(小学館)では「生」1文字の見出しが46に及び、それぞれの見出し毎に数項目の意味を説明しています。

この資料を参考にして、私は白幡前遺跡出土「生」の辞書的な言葉意味は次のようであると思いました。

いき…生きること。
いきる…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。
いく…命を保つ。生存する。死にそうな状態からのがれて助かる。

白幡前遺跡とそれを含む萱田地区は蝦夷戦争の軍事兵站・輸送基地であることから、多くの将兵がここを経由して戦地である陸奥国に向かった場所です。

その将兵の最大の本能的関心事は、蝦夷戦闘員との戦いで生きるか、死ぬかということで間違いないと思います。

飛んでくる矢に射ち抜かれたり、白兵戦で刃に倒れたりする状況をイメージして、そうならないで、生き残りたいという願望が最大のものであったことは確実です。

そうした将兵が、一時逗留した場所の日常生活における祈願で、自分の器を作る時(墨書する時)「生きたい」「生き残りたい」というような心情のもとに「生」(イク)の字を書くことは極自然なことであると思います。

「生」の字は、戦地に向かう将兵一般が使うポピュラーな祈願文字であったと考えます。

「生」の字は、この墨書土器に盛ったお供え物と引き替えに、私の生(生きること)を下さいということを意味します。

「生」の字は、特定の親族集団とか特定のプロジェクトグループに関わる文字ではなく、白幡前遺跡に一時逗留して戦地に向かう将兵がだれでも使ったものと考えます。

墨書行為は一人一人の将兵が実行したというよりも、上官が、あるいは基地専属の世話要員が行ったということも考えてよいと思います。

なお、作った自分の墨書土器を使って、日々祈願する内容は、当然のことながら生活のあらゆる事柄に及んだと思います。まだ戦地に行ってないのですから、「生き残りたい」だけではなかったと思います。

祈願の道具である墨書土器に書かれた「生」の字は、それを持つ人がこれから戦地に向かう将兵であることを自覚するための重要な記号であったとも考えます。

生を意識することで戦死の覚悟が無意識の内に形成され、より充実した戦闘員になれたのだと思います。

1Aゾーン、1Bゾーンは基地で働く人ではなく、移動将兵の逗留場所であると考えられますから、その場所から「生」の字が沢山出土することは、ゾーン機能の見立てと「生」字意味の見立ての双方がお互いにその確からしさを補強しあいます。

●提・堤の意味
提、堤、提生、生堤、堤X(則天文字)の意味について検討します。

提は提出の提と同じ次のような意味だと思います。
かかげる、かかげ示す。

提だけで、土器に入ったお供え物をかかげます、という意味になります。奉(タテマツル)(差上げる、献上する)と同じ意味だと考えます。

提生ならば、「命を掲げます」という意味になります。つまりその墨書土器に入れたお供えの食べ物を自分の命に見立て(命に替えて)神にささげるという意味です。それによって、本当の命を確実なものにするということです。

堤(テイ)は提(テイ)の混同だと思います。

貞(テイ)も恐らく提(テイ)の意味で使ったものと考えます。

●入の意味
入(ニュウ)は納入の入の意味で、おさめる、献ずるという意味になります。
提、奉と同義です。

●有の意味
所有の有と同じで、所有することの意味になります。
有で「神の所有物」を表すと考えます。
提、奉、入、有は同義だと思います。

●奉の意味
奉(タテマツル)(差上げる、献上する)であり、墨書土器に盛ったお供え物を神に差上げますから、祈願をかなえてくださいという意味の言葉です。
提、奉、入、有は同義だと思います。

●土垸の意味
垸はわん(埦)を意味するようですので、土垸(ドカン)で墨書土器そのものを表現すると考えます。

「この墨書土器は神にお供え物をして祈願する時に使う器(土垸)です」という思考を「土垸」で表現しているものと考えます。
広く考えれば、提、奉、入、有と同義です。

●Yの意味
未検討(今後検討予定)。

●Wの意味
1Bゾーンに○(則天文字)が多数出土しますので、そこで検討します。戦争勝利に関わることだと考えています。(次記事予定)

●富の意味
富(フ)でとみ、財貨、財産の意味になります。

富を守る、富を増やすために、この墨書土器にお供え物をしますから、神様よろしくということだと思います。

3ゾーンで饒、豊などと一緒に詳しく検討しますが、個人的な富というよりも、兵站基地全体の富、公的な富(=軍事物資)という意味の可能性が高いと考えます。

●大田の意味
大きい田を祈願する内容と考えます。個人が自分の広い田を望むという願望ではなく、兵站基地の田(兵站基地を支える田)を広くしたいという公共的な願望だと思います。
3ゾーンで検討する饒、豊などと一緒の言葉です。

●↑の意味
今後検討します。今は、矢(武器)の記号で、戦争勝利、武運長久という意味合いだと考えています。

●草の意味
2Bゾーン出土文字草田(カヤタ)=萱田(現存地名)と同じ意味だと考えます。祈願者が自分の居る場所を神に知らせたのだと思います。

墨書土器の文字実例 (2015.05.12追記)

八千代市白幡前遺跡1Aゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例