2015年10月23日金曜日

鳴神山遺跡の墨書文字「寺」「佛」の分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.229 鳴神山遺跡の墨書文字「寺」「佛」の分布

鳴神山遺跡出土の墨書文字「寺」「佛」の分布を示します。

文字「寺」「佛」出土分布

寺院名「波田寺」「播寺」が出土しています。「播寺」が出土した遺構からは「寺ヵ」が2点出土しています。

「波田寺」「播寺」とも祈願語であり、「波田寺」「播寺」の発展を祈願したのだと思います。祈願した人は寺関係者ということになります。

祈願した先は佛であったと考えますが、神だった可能性もあると思います。

「波田寺」「播寺」が近接して出土しているので、近くの掘立柱建物群に寺院が存在した可能性を感じます。
場合によってはその場所の掘立柱建物群全体が寺院とその関連建物かもしれません。

なお、「波田寺」と「播寺」は同じ寺院を意味していると考えます。

しかし、「播寺」は「ハタデラ」あるいは「ハタテラ」とは読めません。読むとすれば「ハデラ」、「バンデラ」となります。

恐らく「幡寺」と書くべきところを、筆を持った手が「播寺」と書いたのだと思います。「幡」と「播」は字形も読みも似ているので、そうなったのだと思います。無意識的勘違いです。

全く同じ勘違いが、この墨書土器を発掘調査した現代専門家にもあることは、勘違い説の根拠として大変参考になる情報です。

「波田寺」も「播寺」も音声表記では「はたてら」であり、同一のものを表記していると考えられる。」
「千葉ニュータウン埋蔵文化財調査報告書 XIV -印西市鳴神山遺跡Ⅲ・白井谷奥遺跡-」(平成12年3月、都市基盤整備公団千葉地域支社千葉ニュータウン事業本部・財団法人千葉県文化財センター)より引用。

なお、「波田寺」も「播寺」も音声表記では「はたてら」であり、同一のものを表記していると考えられる。」という記述に接した時、私自身も違和感をもつことは全くなく、その通りだと思いました。

古代人も現代人も漢字に関して、共通の勘違いをするという実例としても興味が湧きます。

なお、今後次の視点で「ハタデラ」の興味を深めていくつもりです。

●「ハタデラ」と小字「白幡」との関係
古墳時代の渡来人の活動を示すと考える地名「白幡」のハタと「ハタデラ」のハタは同じです。ここからどのような情報を引き出すことができるか、今後の楽しみです。

●「ハタデラ」の空間的位置
印旛浦舟運のミナト(西根遺跡)を表とすると、「ハタデラ」は最も奥に位置しています。

白幡前遺跡でも周溝を巡らした寺院は同じような空間的位置にありました。

このような遺跡全体構造で「ハタデラ」を捉えてよいのかどうか、検討の価値があると考えています。

場合によっては「ハタデラ」は奥にあるのではなく、手賀沼や利根川方面から見て表(前)にあるという関係があるように感じるからです。

もし奥なら、遺跡の西にあるべきであり、遺跡の北にあるということは手賀沼や利根川方面とつながりを持っているからかもしれないと推測します。

0 件のコメント:

コメントを投稿