2015年12月11日金曜日

鳴神山遺跡の鉄製品出土状況

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.243 鳴神山遺跡の鉄製品出土状況

鳴神山遺跡の竪穴住居から出土する生産・生活に関連する鉄製品(紡錘車、穂積具、鎌、鉋、斧、鍬、釘、鍵、不明品)の出土遺構を調べると次のような分布になります。

鉄製品出土遺構

遺跡全体に分布しているように観察できます。

個々のアイテムは限られているけれども、鉄製品全部の出土分布は広がっているように見えます。

このような分布は刀子出土遺構の分布と類似しています。

参考 刀子出土遺構

生産・生活に関するすべての鉄製品と刀子の分布が類似しているということは、当時の社会にあって刀子というものが特殊的に普及していたことを表現しています。

刀子は武器でもあり、同時に万能工具でもあった特殊な重要性をもっていたものと考えます。

逆に考えると、生産や生活のための個々鉄製品の普及は進んでいなかった状況を感得できます。

対人殺傷兵器である鉄鏃は鉄製品全体と比較すると、その出土は限られますが、それでも数が多く、生産や生活にかかわらない兵器の出土割合の高さに驚きます。

参考 鉄鏃出土遺構

鉄の使い道として、刀子や鉄鏃など武器が第一であり、生産や生活の効率性向上のための鉄利用は二の次であったことがわかります。

刀子や鉄鏃が社会活動において必須であった環境が存在していたのだと思います。

奴隷や下層人の使役、反抗(反乱)に対する備え、盗賊に対する備え、集団間のいさかいなどに対処するために刀子と鉄鏃は必須品であったと考えます。

鳴神山遺跡の竪穴住居を対象に鉄製品等の出土遺構数を調べると、生産・生活のための鉄製品出土竪穴住居数より刀子出土竪穴住居数の方が上回ります。

鳴神山遺跡 鉄製品等出土竪穴住居数

鉄製品等出土数も刀子の方が上回ります。

鳴神山遺跡 鉄製品等出土数

なお、参考までに上グラフと同じ方法で萱田遺跡群(白幡前遺跡、井戸向遺跡、北海道遺跡、権現後遺跡)について集計図化すると次のようになります。

参考 萱田遺跡群 鉄製品等出土数

萱田遺跡群では生産・生活のための鉄製品出土数の方が刀子出土数より上回るので、鳴神山遺跡より社会の鉄利用が進んでいたと考えます。

鉄製品の種類も萱田遺跡群の方が多様となっています。

鉄利用の面からみて、萱田遺跡群の方が鳴神山遺跡より豊かであったと考えます。

萱田遺跡群の方が鳴神山遺跡より、より効率的な社会活動が行われていたと考えます。

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