2015年12月17日木曜日

鳴神山遺跡作業図集サイト開設

現在連載している鳴神山遺跡検討に使う作業実用サイトとして「鳴神山遺跡作業図集」を開設しました。

鳴神山遺跡の空間構造を検討する上で、自分がどのような空間検討図を作成したのか、一覧表示して確かめるためです。

WEBサイト「鳴神山遺跡作業図集」の画面

10月頃と12月に入ってから墨書土器文字分布、出土物分布などを作業図として表現して来ています。

遺跡分析方法も遺構をGISプロットし、遺構別遺物をcsvファイルにして遺物分布図をGIS機能を使って作成するという自分レベル新方法を採用しています。

ここにきて、これまで遺跡の構造をなす環状道路と考えていた遺構が溝(牧施設)であることを発掘調査報告書を詳しく「読めるようになって」知りました。

背景に事情があるとはいえ、自分のだらしないお粗末検討でした。

さらに、・・・、発掘調査報告書で壮大な視野の広がりの中で道路であると書いてある直線遺構が、どう考えても溝(牧施設)であり、発掘調査報告書に「一杯食わされている」という特殊的思考(感情)を持つにいたりました。

否が応でも鳴神山遺跡の空間構造に興味が向きます。

そのような事情から徹底して鳴神山遺跡の空間構造を知りたくなり、これまでの自分の検討を完全に自分のものにしておいくためのツールとしてWEBサイト「鳴神山遺跡作業図集」を開設したのです。

この図集を見ると、発掘調査報告書でそれが7㎞離れた「竜腹寺跡」に向かっている可能性のある道路と論じている遺構が、鳴神山遺跡の空間を南北に2分する機能を有していることが察せられます。

そのような感想を持てただけでも図集サイトを開設して良かったと思います。

発掘調査報告書の道路という見立てが正しいのか、今それが根本的に違っていて牧施設であると考えることが正しいのか、結論は出ると思います。

ブログ花見川流域を歩くでこの問題を検討し、記事にします。

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鳴神山遺跡の直線道路とされる遺構が牧施設であり鳴神山遺跡の空間を二分するような機能を持っていたと考えています。

しかし、そうではなく発掘調査報告書にいうように、その主機能が谷津をも乗り越えて進む直線交通機能であったということが判明することもあるかもしれません。

そうであれば、自分の思考における盲点ともいえるようなものの存在がわかり、自分の見立ての不十分さが余すところなくわかることになり、学習が本当に進むと考えます。

結論がどうあれ、学習が大いに進む状況を楽しみたいと思います。

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