2016年2月29日月曜日

西根遺跡の検討作業着手

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.297 西根遺跡の検討作業着手

船尾白幡遺跡と西根遺跡は台地上と沖積地という立地の違いはありますが、一つの集落の居住空間と生産・交通・祭祀空間であり、一体的に検討する必要があると感じました。

そして、西根遺跡の特性をあらかた捉えてから船尾白幡遺跡と一体的に検討することがより効率的な学習方法であると感じました。

そこで、急遽西根遺跡の特性を検討します。

まず、西根遺跡の情報をGISにプロットすることから学習作業を開始しました。

西根遺跡の情報をGISにプロットして船尾白幡遺跡との関連を見た3枚の同じ図をスケールを変えて示します。

西根遺跡地図情報のプロット 1

西根遺跡の北端部が船尾白幡遺跡から戸神川谷津に降りる支谷津の出口に当たります。

西根遺跡地図情報のプロット 2

西根遺跡の南端部は船尾白幡遺跡から戸神川谷津に降りる支谷津から離れた位置になります。

西根遺跡地図情報のプロット 3

西根遺跡の北端部の詳細遺物出土情報(木製品等)を見ると、木製の馬形、人型などが出土しています。少し離れますが、馬の歯が1頭か2頭分出土しています。

まだ詳しい検討はしていませんが、同じ西根遺跡という局所的発掘現場でも、船尾白幡遺跡から戸神川に降りて出るその現場に祭祀的出土物が集中出土する様子を感得します。

ここでは詳しい情報を掲載しませんが、西根遺跡の南端(船尾白幡遺跡から戸神川に降りた場所から離れた場所)では生産活動の実用品が主に出土しています。

ざっと西根遺跡の情報を見た印象ですが、西根遺跡の状況を詳しく知ることにより、船尾白幡遺跡の特性をより立体的に把握できそうです。

学習作業を進めます。







2016年2月28日日曜日

2016.02.28 活動日誌 西根遺跡の検討など

1 学習方法の軌道修正

船尾白幡遺跡の検討に入り、鳴神山遺跡と同じ方法で検討することができるようになりました。

今後詳しい検討を行います。

同時に船尾白幡遺跡の一部と考えられる西根遺跡の報告書も取り寄せ、古墳時代後期から奈良・平安時代の記述をざっと読みした。

西根遺跡の発掘調査報告書

西根遺跡は戸神川沖積地の水辺の遺跡であり、台地上の居住空間と異なります。発掘調査報告書では祭祀空間であると論じています。

このブログでは以前、西根遺跡の縄文時代の項について学習したことがあり、とても興味のある場所です。
2014.09.28記事「印西市西根遺跡埋蔵文化財調査報告書を学習する」など多数

また、西根遺跡発掘調査報告書では西根遺跡、船尾白幡遺跡、鳴神山遺跡の関係を論じています。

西根遺跡、船尾白幡遺跡、鳴神山遺跡の位置関係

そこで、これからの検討は船尾白幡遺跡と西根遺跡を一体のものとして学習・検討していくことにしました。

さらに、自分の問題意識を鮮明にするために、西根遺跡の概要を最初に学習し、次いで船尾白幡遺跡の学習を鳴神山遺跡と絶えず関係づけながら行うことにします。

また、必要に応じて萱田遺跡群の再検討を行い、萱田遺跡群と西根遺跡、船尾白幡遺跡、鳴神山遺跡を関連付けて検討することにします。

萱田遺跡群と鳴神山遺跡及び近隣遺跡の位置

遺跡発掘調査報告書の悉皆学習ということで進めている学習ですが、問題意識が煮詰まってきましたので、あまりに機械的な学習を進めても、非効率になります(学習のための学習になってしまいます)ので、学習方法を軌道修正する次第です。

2 ブログ記事データベースの作成

1学習方法の起動修正とも関連しますが、ブログ記事データベースをFile Makerで作成しました。

鳴神山遺跡検討記事が全部で76あるのですが、残念ながらその詳細を全部記憶している状況ではありません。さらに検討事項の相互関連性とか、検討発展性をつぶさにチェックしてきていません。

ブログ記事ということですから、どうしてもその日暮らしの学習検討になってきてしまっています。

そこで、鳴神山遺跡の過去記事を「軽い操作」で閲覧して自分のメモを書けるファイルを作成しました。

これまで、検討を振り返るには、ブログの検索機能を使ったり、過去記事リストを使ったりしていたのですが、対象記事が多く、「検索結果を自分の物に出来ない」という感覚を持つようになりました。記事に対するメモを書けないことが違和感に繋がっていると思います。

このような違和感を取り除き、過去の検討の長所・短所を自ら知るためにデータベースを作成した次第です。

ブログ「花見川流域を歩く」記事のデータベース画面(リスト)

ブログ「花見川流域を歩く」記事のデータベース画面(カード)

記事そのものはpdfで収録し、他の項目は日付、表題、検索用分類、メモ欄だけのシンプルなものとしてスタートしました。

(ブログ記事のpdfを作成して、それをFile Makerに取り込む作業が思いのほか簡便です。)

現在は鳴神山遺跡検討が始まった2015年9月以降分が全部入る200記事をデータベース化していますが、今後萱田遺跡群検討分も全部データベース化する予定です。

ブログ記事データベースを有効活用して、学習・検討の質を高めたいと考えています。

2016年2月26日金曜日

船尾白幡遺跡の竪穴住居と掘立柱建物

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.296 船尾白幡遺跡の竪穴住居と掘立柱建物

船尾白幡遺跡の竪穴住居と掘立柱建物について基礎的なデータを作ってみました。

船尾白幡遺跡の竪穴住居と掘立柱建物の分布

船尾白幡遺跡の竪穴住居軒数は70、掘立柱建物棟数は36です。

この関係を竪穴住居10軒あたり掘立柱建物棟数という指数にして近隣遺跡と比較してみました。

船尾白幡遺跡・鳴神山遺跡と萱田遺跡群遺跡の建物情報比較

竪穴住居10軒当たり掘立柱建物棟数

遺跡のくくりをどのように設定するかによって、この指数の意味が変わってしまいますから、厳密な比較はできませんが、竪穴住居10軒あたり掘立柱建物棟数の値が大きければ、その遺跡(遺跡としてくくられた範囲)は管理的・拠点的様相が強まると考えて間違いないと思います。

鳴神山遺跡は範囲として広大であり、船尾白幡遺跡は範囲として狭いので、その点は考慮する必要がありますが、船尾白幡遺跡は管理的・拠点的な遺跡であり、鳴神山遺跡は管理的・拠点的な場所を含みつつ、現場的様相(牧集団の居住地)が強いことを上記指数は示していると考えます。

萱田遺跡群でも白幡前遺跡と井戸向遺跡は管理的・拠点的様相が強く、つまり支配層の居住・執務の場所であり、北海道遺跡、権現後遺跡は現場的様相が強かったことはこれまでの検討で明らかになっています。

以上の検討は年代という要素を捨象して検討した結果です。

次に、船尾白幡遺跡の竪穴住居の年代について検討します。

年代別竪穴住居数は次のようになります。

船尾白幡遺跡(Ⅰ、Ⅱ)年代別竪穴住居軒数

この年代の内、Ⅱ期(8世紀後葉~9世紀初頭)は約50年間を含み、他の年代区分と比べるとその幅が大きくなっています。

その点を考慮すると、このグラフは鳴神山遺跡の竪穴住居消長と似ています。

参考 鳴神山遺跡 竪穴住居の消長

ただし、竪穴住居件数のピークが鳴神山遺跡では9世紀第2四半期であるのに対して、船尾白幡遺跡ではⅤ期(9世紀第3四半期)と1四半期分ずれています。

鳴神山遺跡の検討では、竪穴住居軒数のピークは確かに9世紀第2四半期であるけれども、他の要素(例えば平均土器出土数)からみると、9世紀第3四半期にも社会が成長していた側面を見ることもできます。

ですから、船尾白幡遺跡で竪穴住居軒数のピークが9世紀第3四半期になっても大きな不思議はないと考えることもできます。

一方、現場的場面(空間)では9世紀第3四半期には既に退潮の兆しが現れ、管理的場面(空間)では9世紀第3四半期まで退潮の兆しが及ばなかったとも考えられます。

今後他の分析が進み、データが増えれば、この点はおのずから判ると思います。

船尾白幡遺跡の竪穴住居の年代別分布は次のようになります。

船尾白幡遺跡 Ⅰ期竪穴住居分布
8世紀前葉

この付近の開発が始まった場所がこの分布図からわかると考えます。

船尾白幡遺跡 Ⅱ期竪穴住居分布
8世紀後葉~9世紀初頭

Ⅰ期の開発地点を拠点にして、遺跡全体に集落範囲が広がったことが推察できます。
(Ⅱ期は以降のⅢ~Ⅴ期と比べて期間が長いので、その点を考慮する必要があります。)

船尾白幡遺跡 Ⅲ期竪穴住居分布
9世紀第1四半期

それまでと比べて、遺跡全体で竪穴住居密度が高まったと考えます。

船尾白幡遺跡 Ⅳ期竪穴住居分布
9世紀第2四半期

遺跡全体で竪穴住居密度が急速に高まります。集落が大発展しました。

船尾白幡遺跡 Ⅴ期竪穴住居分布
9世紀第3四半期

さらに遺跡全体で竪穴住居密度が高まります。

船尾白幡遺跡 Ⅵ期竪穴住居分布
9世紀末~10世紀前半頃

一挙に集落が凋落します。




2016年2月25日木曜日

2016.02.25 花見川の薄雪化粧

夜明け前に雪が降り、花見川が薄っすらと雪化粧しました。

直ぐに消えて無くなる雪ですが、空の青さとの対比で、いつもと違う風景の趣が生まれました。

花見川堀割縁の台地

花見川風景

花見川風景

花見川風景

花見川風景

花見川風景

弁天橋から下流

弁天橋から上流

畑の空

横戸緑地の梅林

梅の木の枝に積もった雪が太陽にあたって溶けて、一斉にひらひらと枝から降ってきて、それが太陽光で輝いて、贅沢な風景でした。

2016年2月24日水曜日

船尾白幡遺跡検討の興味

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.295 船尾白幡遺跡検討の興味

船尾白幡遺跡の発掘調査報告書2冊を図書館から取り寄せ、検討に入りました。

鳴神山遺跡では発掘調査報告書コピーの入手にてこずりましたが、船尾白幡遺跡の場合は現物を自分の机の上に用意することができ、大変快適です。

2週間の貸し出し期限がありますが、他の人の予約が無ければ延長を2週間できます。

図書館から取り寄せた船尾白幡遺跡の発掘調査報告書

この記事では船尾白幡遺跡の検討における興味をまとめておきます。

1 集落特性の把握

船尾白幡遺跡の集落特性がどのようなものであるのか、生資料から自分なりに把握したいと思います。

次のような点に興味を持って検討する予定です。

●主な生業は何か?(鳴神山遺跡と同じように牧がメインか?)

●鳴神山遺跡との関係は?(鳴神山遺跡との間に上下関係のような関係があるのか?機能の違いが見られるか?)

●印旛浦舟運との関係は?

船尾白幡遺跡付近の地勢は次のようになります。

船尾白幡遺跡付近の地勢

船尾白幡遺跡は印旛浦の奥深くに位置しています。一方、台地と小河川戸神川との接点に位置していると捉えることもできます。

このような地勢の中で、鳴神山遺跡の生業や舟運との関わりについて考えます。

次に、遺構全体図のGIS貼り付けを行い、鳴神山遺跡と一緒に次に示しました。

遺構全体図のGIS貼り付け

戸神川という小さな谷津を隔てて対面する鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の関係が気になります。

萱田遺跡群では白幡前遺跡と井戸向遺跡が同じように小さな谷津(寺谷津)を挟んで対面していて、その間の関係を考察したことがあります。

戸神川が印旛浦に流入する地点により近い船尾白幡遺跡の方が鳴神山遺跡より社会関係のポジションが上であるのかどうか、知りたいと思います。

2 GISを使った発掘調査報告書学習の定型化

船尾白幡遺跡では、鳴神山遺跡で試行したGISを使った発掘調査報告書学習をより効率的にして定型化したいと考えています。

遺構、遺物(墨書土器文字を含む)をGISデータベース化して年代別空間分布状況を把握できるようにし、必要に応じて鳴神山遺跡の情報とも合わせて検討したいと思います。

船尾白幡遺跡遺構全体図


2016年2月23日火曜日

墨書土器データベースのGIS分析の可能性

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.294 墨書土器データベースのGIS分析の可能性

墨書土器データベースをGISデータベース化して分析することによって新たな検討資料を得ることができると考えていますので、その方法(原理)をメモしておきます。

例えば、ある特定文字(例「大」、「大ヵ」を対象とする)のGISプロットは次のような方法で可能です。

1 墨書土器データベース(個別土器をレコードとするデータベース)から特定文字(例「大」、「大ヵ」)を含むレコードを抽出してファイル(個別土器別特定文字ファイル)とする

2 個別土器別特定文字ファイルから、遺跡別レコード数データ(遺跡別特定文字土器数ファイル)を作成する。

3 遺跡別緯度・経度情報ファイル作成する。(ふさの国ナビゲーションから遺跡位置情報取得可能)

4 遺跡別特定文字土器数ファイルと遺跡別緯度・経度情報ファイルを遺跡名でリレーションして、遺跡別特定文字土器数ファイルに緯度・経度情報を書き込む。

5 緯度・経度情報を含む遺跡別特定文字土器数ファイルをcsv出力してGIS(地図太郎PLUS)に取り込み、特定文字土器数グラフの分布図を作成する。

千葉県における、文字「大」、「大ヵ」を含む土器数グラフの分布図は次のようになります。

千葉県における墨書土器文字「大」の分布

この図を鳴神山遺跡付近を中心に拡大すると次のようになります。

墨書土器文字「大」の分布

「大」は鳴神山遺跡では最大集団の祈願語であり、その集団は大国主神(大国玉神)を信奉し、牧をメイン生業とすると考察しました。

鳴神山遺跡近くの船尾白幡遺跡、西根遺跡からも「大」が出土していますから、場所が近接しているので、同じ集団のものと考えられます。

さて、鳴神山遺跡では直線道路が出土し、東京湾岸から「香取の海」岸への牛馬搬送軍事道路の可能性を検討しました。

その検討で注目した起終点にも「大」が出土します。

東京湾岸の夏見台遺跡、印内台遺跡、東中山大遺跡、本郷台遺跡と「香取の海」岸の駒形北遺跡です。

夏見台遺跡は大結馬牧(延喜式記載)との関連が考えられています。

これら東京湾岸の「大」出土遺跡と鳴神山遺跡と「香取の海」岸の駒形北遺跡が果たして墨書土器文字「大」でつながるのか否か、興味が沸きます。問題意識をもつことができます。

墨書土器データベースをGISプロットすることによって、発想を刺激する資料を得ることができると考えます。




2016年2月21日日曜日

2016.02.21 今朝の花見川

大変暖かい朝で、昨晩の雨のためか空気が湿っていて、靄がかかったようになっています。

潤っているという感じを受けて、快適で落ち着いた雰囲気になります。

路上の水たまりから潤い感を感じ、歩きにくさよりむしろ歓迎したい心境です。

風景の色はパステルカラーになっています。

コジュケイのけたたましい鳴き声が途切れなくあちこちから聞こえます。

花見川堀割の縁から西岸を望む

花見川風景

花見川風景

花見川風景

弁天橋から下流

弁天橋から上流

横戸緑地の梅林

白梅
花びらに残った水滴が印象的です。

紅梅
花びらに残った水滴が印象的です。

2016年2月20日土曜日

遺跡発掘調査報告書のGIS利用分析方法のメモ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.293 遺跡発掘調査報告書のGIS利用分析方法のメモ

鳴神山遺跡で使った、GIS利用による発掘調査報告書の分析学習方法をまとめ、その効率化・高度化について技術的な検討を行います。

現在進めている花見川-平戸川筋古代遺跡発掘調査報告書の悉皆閲覧活動は、今後、主要遺跡はGIS利用分析学習に切り替える予定です。

この記事ではGISを利用した分析方法をメモしておきます。

● 鳴神山遺跡検討で使ったGIS利用分析方法
1 基礎ファイル(データファイル)の作成
1-1 遺構の位置情報取得
1-1-1 遺構配置図をGISに取り込む

遺構配置図をスキャンしてjpgファイルを作成して、GISでそのjpgファイルを開く→画像位置合わせします。

遺構配置図の例

1-1-2 遺構にドットを記入し遺構番号を記述する

GISに遺構分布レイヤー(点情報のレイヤー)を作成して、遺構毎にドットを記入し、その属性情報として遺構番号を書き込みます。

遺構配置図をGISに取り込み、遺構にドットを記入した様子

1-1-3 遺構分布レイヤーをcsvファイル出力する

遺構分布レイヤーをcsvファイル出力します。csvファイルには遺構番号と緯度・経度情報が含まれます。
このcsvファイルをExcelファイルに変換します。

遺構別緯度・経度情報のExcelファイル(部分)

1-2 遺構の年代情報取得

遺構別緯度・経度情報ファイルに四半期別年代項目を設定し、報告書記載の遺構年代情報(年代一覧表)から遺構別に該当年代にチェック(具体的には数値1を記入)します。

このExcelファイル(遺構別緯度・経度情報及び年代情報)を遺構別レコードベースファイル(ベースファイル)と呼ぶことにします。

遺構別レコードベースファイル(ベースファイル)

1-3 遺構の出土物情報取得

ベースファイルに出土物項目欄をつくり、報告書記載から遺構別出土物数量を記入します。

遺構別出土物数量の記載の様子(土器以外)

土器は器種別の数量を記入しました。

遺構別出土物数量の記載の様子(土器 部分)

墨書土器は墨書土器データベースの情報(個別墨書土器片をレコードとする情報、遺構番号が掲載されている)を遺構別に整理しなおして(ソートして)、文字別数量を記入しました。

遺構別出土物数量の記載の様子(墨書土器文字 部分)

鳴神山遺跡では出土物項目(器種別土器項目、墨書土器文字項目を含む)は全部で約250となりました。

ベースファイルに出土物項目を書き込んだファイルをデータファイルと呼ぶことにします。

2 年代別集計及び分布図の作成

データファイルから年代別に遺物出土数の合計をカウントすることは通常のExcel操作で簡単にできます。

またカウント結果をグラフにすることもExcel操作でできます。

遺物出土数の単純出土数及び年代別出土数の分布図作成は次のような作業ファイルを作成して行います。

例えば土師器坏の単純出土数分布図と年代別分布図を作成する場合は次のような作業ファイルを作成します。

データファイル(元ファイル)

単純出土数分布図作成のための作業ファイル(Aファイル)

年代別分布図作成のための作業ファイル(Bファイル)

Aファイルをcsv出力してそれをGISにインポートします。インポートファイルは遺構のプロット図になります。
そのインポートファイルにAファイルのcsv出力ファイルをcsv結合すると、土師器坏の単純出土数グラフを描くことができます。(地図太郎PLUSの場合)

Bファイルをcsv出力してそれをGISにインポートして、そのインポートファイルにBファイルのcsv出力ファイルをcsv結合すると、年代別に土師器出土数のグラフを描くことができます。(地図太郎PLUSの場合)

3 検討
3-1 データファイル作成の効率化

データファイル作成に時間と労力投入が必要です。

発掘調査報告書の記載を理解して、そこから出土物の数量をカウントしてExcelファイルに書き込む作業が最も根気のいる作業となります。

この作業は図書館ではできませんから、自宅に発掘調査報告書(あるいはそのコピー)を用意する必要があります。(鳴神山遺跡では尋常な方法ではコピーを用意することが出来ず、作業が大幅に遅滞しました。)

また、出土物の数量をカウントするといっても、例えば器種別土器の場合、鳴神山遺跡では器種が53になります。類似した表現の器種53を記憶して作業するということは、効率化の工夫をいろいろするにしても、大変時間のかかる作業です。

これらの作業の効率化がこれからの別遺跡作業での課題です。

3-2 年代別分布図の作成

データファイルが完成してしまえば、その後の分析作業は軽快に行うことができ、時間もわずかしかかかりません。

しかし、数量のグラフ分布図作成は地図太郎PLUSでは次の3種しかできませんし、その設定機能もシンプルです。

円グラフ

四角グラフ

棒グラフ

地図太郎PLUSではなく、QGISに高度なグラフ分布図作成機能があれば、それにいつか乗り換えたいと考えています。 

3-3 GIS利用分析の意義

感覚的な感想ですが、発掘調査報告書の詳細情報(出土物記載情報)をGISを使って分析検討している例は花見川-平戸川筋遺跡では見当たりません。

また、GISは使わなくても、詳細情報(出土物記載情報)全般を統計等の手法により分析している例も極めて限られているようです。

詳細情報(出土物記載情報)は宝庫に眠る金銀財宝であり、その宝庫を開いて金銀財宝を取り出している人はほとんどいないような印象を持ちます。

主要な遺跡についてことごとくGIS分析を適用して検討して、遺跡間の対照比較をおこなえば、恐らく有用な新情報を多量に得ることができると考えます。