2016年2月19日金曜日

鳴神山遺跡検討のまとめ・課題・感想

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.292 鳴神山遺跡検討のまとめ・課題・感想

2015.09.04記事「鳴神山遺跡検討の興味」からスタートして2016.02.17記事「鳴神山遺跡のメイン生業は? その2」まで足掛け6か月の間に関連するものを含めて93記事を書きました。

興味を掘り下げていけばまだまだ検討は続きますが、際限がなくなりますので、いったん鳴神山遺跡検討を締めくくります。

この記事ではこれまでの検討のまとめ・課題・感想をメモします。

1 鳴神山遺跡検討のまとめ
1-1 鳴神山遺跡の特性

・8世紀に新たに建設された台地開発地で、8世紀後半に発展し、9世紀になると飛躍的に大発展して9世紀第2四半期に竪穴住居軒数がピークを迎えます。その後衰退傾向を示し、9世紀第4四半期には凋落します。

・8世紀(厳密にはこの地域の蝦夷戦争動員が終了する9世紀初頭まで)の開発は律令国家主導であり、9世紀の開発は民間(在地勢力)主導であったと想定します。

・集落のメイン生業は牧であると想定されます。鳴神山遺跡は牧現場から離れた牧集団の居住地であると想定されます。紡錘車が多数出土するので、麻糸や絹糸が生産されていたと推定できます。

・8世紀第3四半期と第4四半期に直線道路が機能していて、東京湾岸牧の牛馬を「香取の海」岸に搬送する軍事道路であったと想定されます。

・9世紀に武器(鉄鏃・刀子)が多数出土し、治安悪化が読み取れます。集落凋落の主要因が治安悪化であった可能性があります。

・千葉県下の墨書土器最多出土遺跡であり、9世紀の集落大発展期に墨書土器風習が急速に広まりました。墨書土器文字の多くは自分が属する集団の生業(職種)に関わる文字であり、生業(職業)の発展を祈願していると考えます。


1-2 検討方法
・発掘調査平面図をGISに展開することによって竪穴住居の緯度経度情報を取得しました。

・竪穴住居の年代を発掘調査報告書から得ました。

・位置情報・年代情報を含む出土物等の詳細情報を竪穴住居レコードとするデータベースを作成しました。

・そのデータベースをGISにプロット(csv結合)することにより、遺物等の空間分布状況を年代別に検討しました。

2 今後の課題
2-1 直線道路
・直線道路がどことどこを結び、そのルートはどうであったか。その機能(役割)はなんであったか。それらの証拠となる情報を、下総台地多数遺跡の情報を総合して得ます。

・東京湾岸と「香取の海」岸を結ぶ古代陸路ルートを近世絵図資料(下総国印旛沼御普請堀割絵図)の陸路ルートと対比して検討します。

参考図

・発掘前古代道路線形情報を(現代開発前の)空中写真で判るという事実を検証します。


2-2 牧範囲の検討
・鳴神山遺跡発掘調査報告書を精査するとともに、近隣台地の古代遺跡発掘調査報告書を閲覧して、鳴神山遺跡に対応する牧の場所の推定を行います。

参考図

2-3 詳細検討
・これまでの検討は主に平成11年3月報告書のサンプル調査(183竪穴住居)で行っています。サンプル調査以外の竪穴住居と竪穴住居以外の遺構から出土した遺物はあまり検討していません。

・いつか機会があれば、鳴神山遺跡と白井谷奥遺跡に関係する4報告書の全データをGISデータベース化して検討したいと考えます。

3 感想
3-1 牧検討が重要であるとわかる
鳴神山遺跡のメイン生業が牧であると判り、それをきっかけに萱田遺跡群の白幡前遺跡が高津馬牧の母集落のようだという見立てが生まれました。

古代にあって、わざわざ台地面に大規模の進出して集落を形成するということの意味がだんだん判ってきまました。

下総台地の古代は牧の時代であると考えるようになりました。

台地の主な利用は牧としての利用であり、畑はあくまでもサブであったと考えます。

牧を主軸にして、それを支援する様々な生業(職種)集団が派生したのだと考えます。

恐らく、牧という現場(牧場)は広大であり、それにかかわる集団は集落を形成して、そこで衣食住を自活しながら牧業務を行っていたと考えます。

牧集団の集落には牧業務の痕跡が残ると考えますが、その痕跡を重視しないと、その集落を単なる一般農業集落と誤って認識してしまうと考えます。

3-2 集落消長の要因をより深く知りたい
蝦夷戦争までの律令国家による計画的開発は国家的戦略の下の開発であり、その戦略を詳しく知りたくなります。広域の中での鳴神山遺跡の位置づけを知りたくなります。

また9世紀の鳴神山遺跡の集落大発展の主要因と凋落の主要因を詳しく、いわば立体的に知りたくなります。

3-3 GISによる発掘調査報告書の詳細分析が有効
発掘調査報告書の詳細データをGISデータベース化して、情報をグラフや地図に変換すると、遺跡の特性を把握できることを体験できました。

今後、他の発掘調査報告書でもその詳細データをGISデータベース加して検討することにより、新たな情報を汲み取るつもりです。

3-4 資料入手に苦労
鳴神山遺跡の報告書情報の入手には大変苦労しました。

ブログ「花見川流域を歩く 番外編」2015.10.26記事「情報入手に関する懸案事項解決と若干の後味の悪さ」参照



鳴神山遺跡の次は船尾白幡遺跡の検討を行います。




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