2016年3月11日金曜日

西根遺跡 墨書文字「大」と「天」

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.303 西根遺跡 墨書文字「大」と「天」

2016.03.10記事「西根遺跡 出土物から見る空間特性 その2」で墨書文字「大」(オオ、オホ)と「天」(アメ、アマ、則天文字)に着目し、その二つの文字が空間的に棲み分けして出土していて、その文字が異なる近隣遺跡の代表文字であることを示しました。

この記事ではその検討の基礎となるデータ・情報を示します。

1 鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の墨書文字

鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の全出土墨書土器データの釈文をソート集計して、上位40位までを一覧表に示しました。

鳴神山遺跡 墨書土器文字(釈文)の数(上位40まで)
千葉県墨書土器データベース 明治大学日本古代学研究所から集計

船尾白幡遺跡 墨書土器文字(釈文)の数(上位40まで)
千葉県墨書土器データベース 明治大学日本古代学研究所から集計

鳴神山遺跡の代表的墨書土器文字は「大」(オオ、オホ)であり、船尾白幡遺跡の代表的墨書土器文字は「天」(アメ、アマ、則天文字)であることを確認できます。

2 「天」(アメ、アマ、則天文字)について
発掘調査報告書や墨書土器データベースでは「帀」という見た目が似ている活字で「天」(アメ、アマ、則天文字)を表現しています。

「帀」は見た目が似ているので苦肉の策として便宜上使っているのであって、漢字で表現するとすると「天」になります。

西根遺跡から出土した「天」(アメ、アマ、則天文字)の例
「印西市西根遺跡 -県道船橋印西線埋蔵文化財調査報告書-」(平成17年3月、独立行政法人都市再生機構千葉地域支社千葉ニュータウン事業本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用

この文字を「天」(アメ、アマ、則天文字)とした理由は次の通りです。

・発掘調査報告書でこの文字が則天文字の「天」に似ていると記述しています。

則天文字「天」の手書き
ウィキメディア・コモンズからダウンロード・引用


・千葉県の他遺跡で「天」(則天文字)として扱っている例が多くあります。

釈文が「天」(則天文字)の例 片又木遺跡(千葉県市原市)
千葉県墨書土器データベース 明治大学日本古代学研究所から引用

「天」(則天文字)をアメあるいはアマと読んでいて、それをエンブレムのようにデザインして「帀」のように書き、「雨」という漢字を念頭に置いて、その4つの点(雨粒)がない字という意識で使っていたと想像します。

3 「天」(アメ、アマ、則天文字)が意味するもの

「大」(オオ、オホ)は大国玉、大神などが出土することから大国魂神つまり大国主神を意味していると考えました。

それから類推すると、「天」(アメ、アマ)を神様の名前に当てはめたくなります。

はたして、「天」(アメ、アマ)が天照大御神を意味するような言葉であるのかどうか、今後検討を深めたいと思います。

船尾白幡遺跡があるこの地域は古墳時代から宗像神社が集中して存在しています。
宗像神社はイチキシマヒメノミコト、タキリビメノミコト、タキツヒメノミコトを祭っています。その3女神を生んだのが天照大御神です。

宗像3女神を信仰する船尾白幡遺跡住民が、そのローカルな信仰を直接外部に持ち出すことをはばかり、だれにでも通じる天照大御神を象徴するエンブレムを使ったのかもしれません。

関連記事 2015.10.26記事「鳴神山遺跡と宗像神社の関係」など

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