2016年3月28日月曜日

参考 千葉県における墨書文字「子」「小」(=蚕)出土遺跡

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.315 参考 千葉県における墨書文字「子」「小」(=蚕)出土遺跡

2016.03.26記事「船尾白幡遺跡における養蚕を示す墨書文字「子」「小」」で墨書文字「子」「小」が蚕を意味していて、養蚕発展の祈願語であることを考察しました。

そこで、参考に千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から「子」「小」を検索抽出して、その出土遺跡をピックアップしてみました。

「子」「小」が他の文字と結びついて熟語になると蚕の意味でなくなる可能性がありますから、この記事では、他の語と結びついていないものだけを抽出しました。

(他の語と結びついているものでも蚕の意味と考えられるものもありますが、その詳しい考察は今回省きました。 例 小堤(養蚕発展のための神への飲食物提供)、子山本(養蚕胴元の発展)、子万(養蚕政所の発展)など)

33遺跡から全部で94事例をピックアップすることができました。

墨書文字「子」「小」出土遺跡

これらの遺跡では養蚕が行われていた可能性が濃厚です。そして養蚕発展祈願が墨書土器活動として行われたのですから、養蚕活動が組織活動として展開していた可能性があります。

おそらく古墳時代からの既存集落ではなく、奈良時代に律令国家によって新規開発された遺跡(集落)が多いと考えます。

これまでこのブログで検討してきた鳴神山遺跡、白幡前遺跡なども含まれます。

この33遺跡を地図にプロットすると次のようになります。

墨書文字「子」「小」出土遺跡分布図

千葉県北部に偏在して分布していることが特徴です。

この分布図を出土数グラフにして、同時に下総国領域を書き込むと次のようになります。

墨書文字「子」「小」合計出土数と下総国領域

大きな赤丸となったところは養蚕活動がより活発であった可能性のある遺跡です。

このブログで興味を持っている萱田遺跡群から鳴神山遺跡付近までの奥印旛浦に特に大きな赤丸が集中します。

また、上総国についてみると、太平洋岸には墨書文字「子」「小」出土遺跡がありますが、東京湾岸には全く存在しないことが特徴になっています。

なお、参考までに千葉県で出土した全墨書土器の分布を次に示します。

参考 千葉県墨書土器出土分布図

墨書土器の分布は8世紀9世紀頃の組織活動(律令国家がそのきっかけを作ったプロジェクト活動)の強さを示していると考えます。

上総国の東京湾岸では墨書土器出土が少なく、もともと組織活動が弱かったため、養蚕の組織活動が無かったのかもしれません。

また養蚕ではなく麻布生産(望陀布)が優先していたのかもれません。

安房国は墨書土器の出土が少なく、新規開発がほとんどなかったようです。

参考 小字白幡の分布

地名「白幡」が古代養蚕の場所を示していると考えています。

詳細な検討を今後始める予定です。

墨書文字「子」「小」出土遺跡は、かなりの割合でその近くに地名「白幡」が存在します。

恐らく、地名「白幡」は、そこが当時の既存集落か新規開発地かその区別とは無関係に、古代養蚕が行われた場所を示しているのではないかと想像します。










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