2016年8月6日土曜日

上谷遺跡 墨書土器文字の鳴神山遺跡との比較

上谷遺跡墨書土器の主要文字について、白幡前遺跡に続き鳴神山遺跡との比較を行います。

上谷遺跡の墨書土器出土数は千葉県第2位1043、鳴神山遺跡は第1位1158です。


上谷遺跡と鳴神山遺跡の位置

墨書土器主要文字別出土数グラフを上谷遺跡と鳴神山遺跡について掲示します。


上谷遺跡 墨書土器 文字別出土数
千葉県墨書土器データベース(本編、補遺1、補遺2)(明治大学)から作成


鳴神山遺跡 墨書土器 文字別出土数
千葉県墨書土器データベース(本編、補遺1、補遺2)(明治大学)から作成

鳴神山遺跡と比較すると、上谷遺跡に次のような特色をみることができます。

●上谷遺跡の特色

ア 出土数が少ない文字の絶対量が少ない

釈文された墨書土器のうち上位4位までのものを除いた出土数は上谷遺跡では113ですが、鳴神山遺跡では346であり、3倍の違いとなります。

この特色は白幡前遺跡と比較したときにも検出されたものです。

特定の文字の出土が多く、多様な文字の出土が見られないということになります。

文字種類貧弱性があるということて、次の特性で逆から説明できます。


イ 主要文字の出土数が多い

釈文文字の第1位から第4位までの合計は上谷遺跡では364(全体の35%)ですが、鳴神山遺跡では296(全体の26%)です。

上谷遺跡では主要文字の出土数が多いという特性が、白幡前遺跡との比較とも共通してみてとれます。


ウ 漢字の使い方の難易度が低い

白幡前遺跡との比較では、上谷遺跡は難易度の低い漢字を使っているという特色を考察しました。

鳴神山遺跡との比較では、上谷遺跡は出土数上位4位までが全て単漢字の墨書となっていますが、鳴神山遺跡では2漢字(大加)と3漢字(久弥良)が含まれます。

単漢字より2漢字、3漢字の利用の方が文字操作としては難易度が高いと考えれますから、上谷遺跡は漢字の使い方の難易度が低いといえます。

なお、このブログではこれまで鳴神山遺跡の文字と次のように考えてきています。

大(大国主神)、大加(大国主神を信奉する集団に加勢する)、依(キヌ…絹生産)、久弥良(クビラ…金毘羅)

この解釈については今後再検討する予定です。

上谷遺跡文字の発掘調査報告書による解釈(得と万は福徳の祈願、西は方位、竹は地名に関連すると推定)と比較すると、鳴神山遺跡では神が出てくるので、鳴神山遺跡の方がより強い文化的刺激を受けているような印象を持ちます。

エ 人面・多文字墨書土器が多出する

白幡前遺跡との比較と同様に、鳴神山遺跡と比較しても上谷遺跡では人面・多文字墨書土器の多出が特徴となっています。



以上、鳴神山遺跡と比較して上谷遺跡の特徴から次のような集落特性を推察します。

・人面・多文字墨書土器は集落の支配層が書いたと考えられますから、上谷遺跡の方が鳴神山遺跡より支配層の人数が多かった可能性が考えられます。

・単文字や少数文字墨書土器は集落構成員(一般民衆)が組織活動において書いたと考えられ、それに多様性がないことから、集落構成組織は上谷遺跡の方が鳴神山遺跡より単純であった、あるいは集落存続期間が短期間であったと考えられます。

・文字種が貧弱である分だけ上谷遺跡は鳴神山遺跡と比べて集落ミッションが虚弱であったような印象を受けます。

・恐らく上谷遺跡のほうが鳴神山遺跡より生業職種が貧弱であったと考えます。

次に記事で、上谷遺跡墨書文字特性が白幡前遺跡や鳴神山遺跡と何故異なるのか、その一つの可能性を検討します。



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