2016年9月12日月曜日

上谷遺跡 一気埋戻し竪穴住居が馬歩行空間を示す

1 一気埋戻し竪穴住居

上谷遺跡では竪穴住居廃絶直後に一気に埋戻し、その場が穴として存在しないようにした遺構が34個所報告されています。209ある竪穴住居の16%が該当します。

一気埋戻し竪穴住居と自然堆積竪穴住居のデータの違いを次に例示します。

人為的投入土により瞬時的に埋め戻した住居跡(A182)
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第3分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

覆土は様々な色調の自然堆積(A179)
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第3分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

発掘調査報告書では「人為的投入土で埋戻し。焼却なし。住居廃絶後に「穴」としての面を許さず、平面を作る必要があったと考えられるが、その目的までは判然としない。」(A175)とか「人為的投入土で埋戻し、穴放置をみとめない。」((A178)などと着目されて記述されています。

2 一気埋戻し竪穴住居の分布

一気埋戻し竪穴住居の分布を次に示します。

人為投入土による一気埋戻し竪穴住居跡分布

この分布図を見ると、竪穴住居廃絶後その場所を穴として存在することを許さない場所は想定した農業空間の境界付近に集中していることが明瞭にわかります。

この分布から、上谷遺跡は馬具が出土し、馬が存在していたことが確実であることから、馬の歩行空間に地形上の穴ができることを避けて竪穴住居跡を埋め平坦化したものと考えます。

もし竪穴住居跡の穴で馬が転び、骨折すると、育てた高額商品が無価値になることを恐れ、その防止策を積極的に執ったのだと考えます。

一気埋戻し竪穴住居跡の存在は上谷遺跡に牧が存在したことを物語る証拠になると考えます。

3 一気埋戻し竪穴住居跡と掘立柱建物跡分布

次に一気埋戻し竪穴住居跡と掘立柱建物跡分布を示します。

人為投入土による一気埋戻し竪穴住居跡と掘立柱建物跡分布
 
この分布図を見ると、一気埋戻し竪穴住居跡が掘立柱建物の近くにあるものが存在することが判ります。

発掘調査報告書では掘立柱建物の近くだから穴を埋め戻したのではないかと推定してます。言外に人の利用の便をにおわせています。

しかし掘立柱建物群近くのほとんどの竪穴住居は自然堆積ですから、掘立柱建物の近くだから一気埋戻したという理屈は生まれません。

私は、掘立柱建物のなかに厩舎として利用されてたものがあり、その付近の竪穴住居が廃絶したとき、馬が転ばないように一気埋戻ししたものと考えます。

掘立柱建物は養蚕、織物、乾漆などの作業場であるものだけでなく、厩舎として利用したものが存在していたから、その付近で竪穴住居の一気埋戻しが実施されたと考えます。

4 馬が歩いていた可能性のある空間(想定)

以上の検討から馬が歩いていた可能性のある空間を想定しました。

牧と厩舎(掘立柱建物)周辺がこのあたりであったという想定図です。

馬が歩いていた可能性のある空間(想定)

上谷遺跡では4つの掘立柱建物群がみられ、それぞれ得、万、竹、西という墨書文字を持っていますが、それぞれの掘立柱建物群の近くに一気埋戻し竪穴住居跡が存在しています。

この分布状況から、厩舎(掘立柱建物)は4つの集団がそれぞれ持っていた可能性を感じることができます。

竪穴住居の平面形状等の特性から、その用途を推察できるかどうか、その予察検討をしてみることにします。

以前居寒台遺跡で、厩舎として利用されていた掘立柱建物は細長い形状のものが該当する可能性があると検討したことがあります。


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