2016年9月3日土曜日

上谷遺跡 穂積具、鉄製鍬の出土状況

1 穂積具、鉄製鍬の意味

穂積具、鉄製鍬は稲作や雑穀栽培における刈り取りや耕うんに使われたと考えます。

穂積具の例 (A209)
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第4分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

鉄製鍬の例 (A206)
「千葉県八千代市上谷遺跡 (仮称)八千代市カルチャータウン開発事業関連埋蔵文化財調査報告書Ⅱ -第4分冊-」(2004、大成建設株式会社・八千代市遺跡調査会)から引用

2 穂積具の出土状況

穂積具の出土状況は次の通りです。

上谷遺跡 穂積具出土状況

発掘区域の2個所に見られる掘立柱建物集中域の間に出土が限定されているように観察できます。

また竹集団からの出土が多くなっています。

穂積具は主に稲穂の刈り取り用であったと考えます。

集落の東と南を区切る印旛沼へつながる支谷津が主な耕作水田であり、その水田分布に穂積具分布が対応していると考えます。

3 鉄製鍬の出土状況

鉄製鍬の出土状況は次の通りです。

上谷遺跡 鉄製鍬出土状況

出土数が4点と少なくなっています。

それだけ希少品であったということですが、穂積具とくらべて利用面における切実性、必須性が低かったとも考えられます。

分布が発掘区域の端に偏ることから、鉄製鍬は台地上における雑穀や野菜あるいは麻栽培等に使われた可能性が考えられます。

4 墨書文字集団別統計

穂積具と鉄製鍬を一緒にして墨書文字集団別の統計を取ると次のようになります。

上谷遺跡 主要墨書文字別 鉄鍬、穂積具出土数

竹集団からの出土が特段に多くなっています。

水田耕作を墨書文字集団別にみると竹集団がその中心があったと考えて間違いなさそうです。

6 水田耕作の発展を祈願した墨書土器

上谷遺跡から墨書・刻書文字「田」が5点出土しているので、これらは水田耕作祈願(水田開発地拡大祈願、米増収祈願)であった可能性があります。

上谷遺跡 墨書文字 田 出土遺跡

ただし、A136釈文「田」は図像では「木(あるいは本)甲」のように見えてしまいます。発掘調査報告書には「田」以外の説明がありません。

またA226釈文線刻「田ヵ」はその線刻の様子が図像からは判りません。

A177竪穴住居から2点出土した墨書文字「田」は間違いない情報であり、その場所が竹集団の領域ですから、穂積具出土情報と合わせると、竹集団が水田耕作に取り組んでいたという思考を補強します。


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