2016年11月23日水曜日

上谷遺跡 竪穴住居内遺物分布詳細観察

上谷遺跡A233竪穴住居は墨書土器「西」が多出するとともに鞴羽口や鉄製品が出土して、集落内小集団の有力家の廃絶跡と推定されます。

A233竪穴住居の場所と遺物等は次の通りです。

上谷遺跡 A233竪穴住居の位置と出土物等

遺物・所見についての発掘調査報告書記述は次の通りです。

「遺物の出土は極めて多く、特に土師器片を主体としており須恵器は少なかった。

平面的には遺構全体からの出土であるが、垂直分布としては覆土中層~上層が多くなっている。

墨書土器片などの出土も多く、墨書18点、線刻3点となっており、文字としては「西」が13点を数えている。

住居跡廃絶後の埋没過程の凹みを利用した、不用となった土器片の廃棄場所として使用された様な遺構である。

拡張住居跡と捉えたが、竈火床の遺存や周溝の巡り形からKBに伴う住居跡が最終形態ではないかと捉えた」

発掘調査報告書に掲載されている遺物分布図について、番号とリストを対照させて色塗りしてみました。

A233竪穴住居 遺物分布図


この図から番号と指示線を除くとつぎのようになります。


A233竪穴住居 遺物分布図(番号、指示線なし)


この図から鉄製品と鞴羽口だけを抽出してみました。

A233竪穴住居 遺物分布図 鉄製品と鞴羽口

平面分布が限られた範囲にとなっています。

また垂直分布はほとんど床面上といえるような場所のものばかりです。

鉄製品のこのような垂直分布はA102a竪穴住居と酷似しています。

鉄製品はA233竪穴住居がアクティブであった時に由来する可能性が濃厚です。

A233竪穴住居の住人が使っていた、あるいは廃絶するときに床面に鉄器をお供えしたしたことが考えられます。

廃品としての鉄器を捨てたということはありえないこととして捉えたいと考えます。

A233竪穴住居の床面付近から鉄器及び鞴羽口が出土することは、この住居に居住していて家族が鉄器の配布流通・リサイクルなどに関わる指導層であったことを示していると考えます。

鉄器と鞴羽口の平面分布はこの住居が廃絶する時の行われた祭祀の場所を示していると想定します。

次に「西」墨書土器だけをピックアップしてみました。

A233竪穴住居 遺物分布図 「西」墨書土器

「西」墨書土器の垂直分布は床面上から覆土下層に集中しています。

「西」墨書土器はこの竪穴住居が廃絶した直後に持ち込まれた(置かれた、投げられた、埋められた)ものと考えられます。

平面分布は竪穴住居全体に分布するものではなく、特定の分布形状となっています。

このような分布特性から、「西」墨書土器はA233竪穴住居廃絶に関連した祭祀でこの場所に持ち込まれたものと考えます。

鉄器・鞴羽口と「西」墨書土器は同じ祭祀で持ち込まれたものである可能も考えられます。

鉄器・鞴羽口平面分布と「西」墨書土器平面分布は似ていると捉えることも可能であると考えます。

最後に「西」墨書土器以外の全ての土器の分布をピックアップしてみました。

A233竪穴住居 遺物分布図 「西」墨書土器以外の土器

垂直分布は覆土層全体に及びます。

また平面分布も遺構全体に広がります。

A233竪穴住居廃絶直後の祭祀では鉄器や「西」墨書土器が持ち込まれたのですが、その後の祭祀ではもっぱら土器のみが持ち込まれ、それを供えた場所は遺構全体に広がったと捉えます。

発掘調査報告書ではこの遺構を不用土器片の廃棄場所と捉えていますが、遺構の意義を取り違えていると考えます。

集落内有力家(いわゆる本家)を忍ぶ祭祀が継続して行われた遺構であると捉えます。





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