2017年6月8日木曜日

西根遺跡がミナト空間廃絶遺跡である証拠

西根遺跡がミナト空間廃絶遺跡であるという仮説は次の記事で詳しく述べました。
2017.04.20記事「西根遺跡学習用作業仮説
2017.04.26記事「西根遺跡は翡翠原石入荷ミナトか? 学習用作業仮説追補

そして2017.06.07記事「西根遺跡 土器接合片分布からわかる土器配置活動」を検討するなかで、西根遺跡がミナト空間廃絶遺跡である証拠の1つに気が付きましたのでメモしておきます。

2017.06.07記事では流路から離れた場所の3C95小グリッド出土特大深鉢B1aの破片が流路中に位置する9C09小グリッドから出土していることを知りました。
9C09小グリッドは流路中に位置していて11器の大小土器が出土しています。
同じ人の活動として流路中にも陸域にも多くの土器が置かれています。

流路中の土器配置は9C09だけでなく、西根遺跡全体にわたって存在しますが、9C09をサンプルに詳しくその様子を見てみます。

4C09小グリッドの位置

4C09小グリッドから出土した土器のスケッチを並べてみました。

4C09小グリッドから出土した土器

器高は復元できた部分の高さですが、最大55.2㎝で50㎝超がこれを含めて2器、40㎝超が2器、30㎝超が2器、20㎝超が4器あります。これらの10器は水中に置かれた場合水面から頭を出していた可能性が大です。

この場所まで丸木舟で土器を運んできたと考えますが、丸木舟が着いたその場所の水中に水面から頭を出す土器を沢山配置するといういことは、その場の丸木舟利用はそれが最後であるということを意味すると考えます。

次に出土11土器を土器集中部分に任意に平面配置配置してみました。

4C09小グリッド出土土器の平面配置例(任意想定)

発掘時の土器集中部分と出土土器の平面投影面面積がほぼ一致することが確認できます。
概ね土器は正位に近い形で置かれたようです。
この図から、流路横断面の大半は土器が配置され、丸木舟の利用はほとんどできなくなることが判ります。
この図からも、土器を運んできた丸木舟を最後にこの場より上流に丸木舟は行けなくなります。

以上の情報から、土器が配置されることにより陸域も水域も利用できなくなることが判ります。

丸木舟が利用できるのに丸木舟が利用できなくなるようにするという行為は施設空間廃絶特有の縄文人の活動であると考えます。

それまでミナトとして水域も陸域も使っていた場所を廃絶することになり、その場を全て土器送り場・獣調理肉食祭祀のばとして物で「埋めた」(覆いつくした、使えなくした)のだと考えます。

施設空間廃絶における祭祀は炉穴や竪穴住居だけでなく、ミナトに関しても行われたと考えます。

縄文時代における施設空間廃絶祭祀の例

西根遺跡ミナトの廃絶は縄文時代後半の海面低下(印旛沼水面低下)に起因する戸神川河口の南進であると推測します。

それまで印旛沼から丸木舟で直通できた戸神川ミナトが水面低下で使えなくなり、しかたなく廃絶することにして、水域も陸域も土器で覆いつくし使えなくしようとしたのだと思います。

ミナトは翡翠商人がくる大切な場所であったので、ミナトを利用する印旛沼沿岸集落群が共同で廃絶祭祀を行ったと考えます。

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