2017年7月25日火曜日

イナウ ヌササン学習 「アイヌ芸術」による

大膳野南貝塚の竪穴住居柱穴深度分析で竪穴住居跡にヌササン(祭壇)が存在していたらしいことを突き止めました。
また西根遺跡出土物閲覧で「杭」とされるものがイナウである可能性がほぼ確実になりました。

そこでイナウ、ヌササンの付け焼刃学習をしておきます。

この記事では「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)(昭和48年復刻、北海道出版企画センター)の学習を行います。

この記事では単体の削りかけをイナウ、イナウをセットで配置したものをヌササンとします。

1 野外に設置したヌササンの例

日高地方の例
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用

熊祭に於けるイナウの配列順序 日高
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用

熊祭イナウ配列順序 石狩
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用

2 イナウの例

クマ頭神を配した例
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用

イナウの例
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用
左の3対のヌサは樺太の例(腕状枝)

イナウの例
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)から引用
右の輪のイナウは樺太の例

3 考察
3-1 アイヌのイナウ、ヌササンの意義
これらのイナウ、ヌササンはすべて近代工業製品である鉄器を利用して現代アイヌが作成したものです。
また縄文時代前期から数えて7000年~6000年くらいの時間が、縄文時代後期から数えて4500年~3000年くらいの時間が経過しています。
縄文社会が倭人社会とアイヌ社会に分かれ、アイヌ文化も変遷しているに違いありません。
しかし上記イナウ、ヌササンは縄文時代の原始的祭具の様相を伝えていると考え、縄文時代前期竪穴住居の柱穴から想定したヌササンをイメージする手がかりとして活用できると考えます。
また、縄文時代後期出土物をイナウと想定した思考の裏付けになると考えます。

3-2 住居内外のヌササンについて
図書の中にアイヌ住居内ヌササンについての記述があり、住居内東北隅に配置される例が記述されています。
またアイヌ住居東窓の外に見えるようにヌササンが常備設置され、そのヌササンが法事や供養の場となっている例も記述されています。
これらの記述からこれまでの自分のヌササン、イナウに関する思考は竪穴住居の廃絶祭祀、あるいは土器送り(ミナト送り)祭祀関連に限られていて大変限定した思考であったことに気が付きました。
特に大膳野南貝塚の学習では竪穴住居跡の情報は全て廃絶祭祀の結果であるということではなく、竪穴住居で人が生活していたとき、住居内に設置されたヌササンや住居近辺に設置されたヌササンも柱穴分析の中で見つかるかもしれないことに気が付きました。

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「アイヌ芸術」の表紙
「アイヌ芸術 第二巻木工編」(金田一京助、杉山寿栄男 昭和17年)(昭和48年復刻、北海道出版企画センター)から引用

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