2017年8月30日水曜日

聖地空間としての西根遺跡 土器塚学習9

1 西根遺跡は低地水場堅果類加工場に関連するか?
西根遺跡は、縄文時代後期技術革新としての低地水場堅果類加工場に関連する現象であるとする見立てがあります。
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こうした技術革新を反映する現象の一つとして、低地の水場における堅果類の加工場の出現を考えることができる。
印旛沼沿岸では印西市西根遺跡、霞ケ浦沿岸では陣屋敷低地遺跡などのムラから離れた低地からの粗製土器の大量出土例などがこれに関連する現象と考えられる。」「阿部芳郎(2002):遺跡群と生業活動からみた縄文後期の地域社会、縄文社会を探る(学生社)」から引用
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この見立てを検証するために低地水場堅果類加工場の例を赤山陣屋跡遺跡を例に、いくつかの資料により学習してみました。

赤山トチの実加工場復元図
「縄文社会を探る」(学生社)から引用

赤山トチの実加工場関連遺跡
「縄文社会を探る」(学生社)から引用

赤山陣屋跡遺跡の例では湧水を利用した谷頭低地の加工場そのものからの土器多量出土はないようです。
多量出土しているのは加工場を利用した台地集落遺跡からのようです。

この学習で、低地加工場ができて主食増産が可能になった様子はよくわかりますが、それにより低地で土器が多量に出土する条件はみつかりませんでした。

低地加工場ができればその近辺低地で土器が多量に出現する条件が生まれるという考えは専門家の説にも関わらずその根拠を探せません。
さらに万が一根拠があるにしても西根遺跡では低地加工場が出土していないばかりか、その条件も希薄ですから、西根遺跡は低地加工場とは無関係の遺跡であると考えます。
2017.08.25記事「低地水場の堅果類加工場 土器塚学習5」参照

西根遺跡は土器送り場プロパーの遺跡であり、一種の聖地空間であったと想像します。
台地集落の土器塚とは別に、水辺空間を利用した低地の祭祀遺構としての土器塚(といっても塚は形成されないで平面展開する土器集積)という新たな類型を想定する必要があるのだと思います。

水田耕作と無関係の縄文時代においても、ある条件下の水辺空間(景観)を神聖視する思考があった可能性について興味を持ちます。

「縄文社会を探る」(学生社)を読むと寿能泥炭層遺跡(さいたま市)など西根遺跡と同じ出自かもしれないと感じる低地遺跡の名前が多く出てきていて、発掘調査報告書を入手して読んでみたくなりました。

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