2017年8月4日金曜日

戸神川谷津の縄文海進海面高度

2017.08.01記事「戸神川谷津の縄文海進海面分布」で戸神川谷津の縄文海進クライマックス期の海面分布を推定しました。
このデータに基づき、戸神川谷津の縄文海進クライマックス期海面高度を推定します。

次に窓をあけた部分のボーリングデータを分析します。

縄文海進クライマックス期海面高度検討領域

次のような結果となりました。

縄文海進堆積層の上面高度から推定する縄文海進クライマックス期海面高度

データ2とデータ3の堆積層上面高度から縄文海進クライマックス期海面高度を標高3.6mと推定しました。
(データ1は海進時堆積物と海退時堆積物の区分が困難であり、データ4は河成堆積物であると考え、省きました。)

印西付近は(房総付近は)縄文海進後現在までの間に地殻が上昇しています。ですから、絶対的な意味での縄文海進高度を求めようとするならば地殻上昇分の数値を差し引く必要があります。しかし、この付近の遺跡検討をするうえで地殻上昇分は一律であると考えることができますから、それを考慮する必要はありません。

なおボーリングデータから分かるとおり、縄文海進後の堆積物は谷津内部ではほとんどが腐植土です。泥炭であり草炭とも呼ばれ燃料として利用されたこともあるものです。江戸時代の花見川における印旛沼堀割普請ではこの腐植土が化灯土とよばれ、工事難航の主因になりました。
腐植土の厚さはデータ2では4.6m、データ3では5.85m、データ4では5.4mに及びます。

なお、縄文海進クライマックス期海面高度が3.6mに対して、データ2の地表面高度は9.0m、データ3の地表面高度は10.0mになります。
これから、2017.07.31記事「印旛沼・手賀沼付近の縄文海進海面分布イメージとその移動ルート」で検討した縄文海進海面分布を標高10mの等高線で捉えようとする簡易的方法が何も情報がなければある程度有効であることを示しています。

次の記事で、縄文海進クライマックス期海面高度3.6mという値を使って、縄文時代後期(西根遺跡の加曽利B式土器期)の海面高度とその分布を検討します。

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