2018年4月30日月曜日

貯蔵土坑の二次利用 廃土坑墓・送り場・巨大柱穴

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 33

大型貯蔵土坑を中心に土坑の二次利用について検討します。

1大型貯蔵土坑の二次利用
これまでの検討図に二次利用の様子を書き込んでみました。

概算容量2㎥以上の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑

貝層・獣骨・焼土・石器などが出土する土坑とそれらの出土がない土坑の区別が明瞭であることからそれらが出土する貯蔵土坑の二次利用は送り場であると特定しました。
人骨が出土する土坑は廃土坑墓と考えました。
大型土坑の二次利用は廃土坑墓と送り場以外は見つかりませんでした。
概算容量2㎥以上貯蔵土坑6基のうち廃土坑墓・送り場1基、送り場3基、二次利用なし2基となりました。
382号土坑は廃土坑墓としてまた送り場として二次利用されたと考えました。2018.03.27記事「フラスコ形土坑からヒト骨が出土した意義」参照

概算容量1㎥以上2㎥未満の土坑のうちタンブラー状土坑には二次利用の跡が見られるものがありません。恐らく開口部が狭くかつ底が深いので、大型貯蔵土坑に対応する住民人数(2家族以上?)の送り場とするには不適切な形状であったのだと想像します。2家族以上の人々が開口部を囲んでモノ(お供えモノ、送るモノ)を投げ込む儀式をするにしては手狭であったのだと想像します。
同じ概算容量の鍋状土坑は11基のうち6基が送り場として二次利用されています。鍋状の土坑は平面積が広く円周が長いので、2家族以上の人々が集まるには好都合の空間が出来ていて、また投げ込むモノも良く見えて祭祀のしがいがあったのだと考えます。

貯蔵土坑は利用しているうちに湿気で貯蔵食物が腐ったり、カビが生えたりして不衛生となり、それに対して緩衝材の入れ替えや内部焼却等のリニューアル策を何度も構じたのだと想像しますが、結局それ以上使えない衛生上の限界があり最後は廃絶したのだと考えます。
廃絶した貯蔵土坑のうち廃土坑墓や送り場として二次利用する条件のあるものはそれらの利用をしたと考えます。
竪穴住居が廃絶すると廃屋墓や送り場として二次利用される様子と貯蔵土坑の二次利用はよく似ている事象であると考えます。

2 全貯蔵土坑63基の二次利用
大型貯蔵土坑を含む全貯蔵土坑の二次利用は次のようになります。

全貯蔵土坑の二次利用
二次利用あるものは24基で全体の38%になります。内訳は廃土坑墓・送り場1基、送り場22基、巨大柱穴1基となります。
巨大柱穴は次の397号土坑で南貝層近くにあります。

397号土坑断面
トーテムポールのような柱を立てたものだと空想したくなります。直径30~40cm程度の柱に対応する土層になっていて、基部が固くなっています。



2018年4月29日日曜日

縄文大型貯蔵土坑の技術発展と背景 その2 土坑の大型化

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 32

1 大型貯蔵土坑の建設時期
大膳野南貝塚後期集落の貯蔵土坑63基のうち大型土坑をピックアップしてその建設時期を書き込んでみました。

概算容量2㎥以上の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
時期不詳の土坑(後期あるいは堀之内式期)を除くと集落開始期の称名寺式期の土坑が2基あり概算容量1㎥以上2㎥未満でかつ鍋状です。
その他は全て集落最盛期の堀之内1式期の土坑で、概算容量2㎥以上(タンブラー状)5基、概算容量1㎥以上2㎥未満1基となります。
この様子から集落開始期→集落最盛期の間に土坑形状の主流が鍋状からタンブラー状に変化したことと、土坑容量が大規模になったことが判ります。
なお、時期不詳の土坑のうちかなりの数が堀之内1式期のものであると考えられます。

2 土坑形状の変化について
集落開始期から集落最盛期にかけて土坑形状主流が鍋状からタンブラー状に変化した状況は土坑性能向上技術革新として捉えることができます。
同じ容量の土坑の場合鍋状よりタンブラー状の方が開口部面積を小さくできます。開口部面積を小さくできれば土坑内部の密閉性が高まり外気の影響をより小さくでき、温度や湿度の調整がしやすくなります。堅果類等の保存機能が向上し、取り出した時の味・栄養劣化が少なくなります。
鍋状土坑でも開口部直下でくびれ(オバーハング)をつくり、いわゆるフラスコ形にして土坑内部密閉性を高める工夫をしていますが、くびれ(オーバーハング)の効果は鍋状よりタンブラー状の方がはるかに効果的であることは論を待ちません。
またタンブラー状にすることにより開口部面積を小さくすれば蓋の築造と維持管理も楽になります。
土坑性能向上技術革新が大膳野南貝塚集落で独自に生まれたと考えることは無理だと直観しますので、関東や周辺地方で生まれた技術が伝播してきたのではないかと想像します。
またこの技術革新は深い土坑を掘る土木技術革新ですから、それに対応する道具の革新があるはずです。打製石斧をスコップのように操作して穴を掘ったと想像すると、出土打製石斧の中に穴掘り専用に発明された特殊打製石斧がふくまれているのかもしれないと妄想します。

3 土坑大型化の意味について
貯蔵用土坑の容量が大きくなった理由について2018.04.25記事「貯蔵土坑規模限界要因の想定」で先回りしてつぎのように想像しました。
「深い土坑は梯子を使って苦労してモノを搬出入するのですから、夏や秋に収穫した食物を搬入して春に搬出するという季節的利用ではないと想像します。食物が余った年に貯蔵し足りなくなった危機の年にはじめてそれを取り出すという非常時利用の土坑であると想像することが合理的です。
逆に考えると深い土坑が作られたということはすでに食糧不足危機を経験しているということです。」
この想像が間違いであることが判りましたのでメモします。
土坑の大型化は集落人口急増に対応しただけの所産であるようです。

次のグラフは時期別貯蔵土坑数グラフ及び貯蔵土坑平均容量グラフです。

時期別貯蔵土坑数

時期別貯蔵土坑平均容量

称名寺式期と堀之内1式期だけを比べると集落最盛期の堀之内1式期のほうが貯蔵土坑数が増えるだけでなく、平均容量も5割増しになっています。

次に称名寺式期と堀之内1式期だけを対象に「貯蔵土坑総容量(㎥)/竪穴住居軒数」(=竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥))を試算してみました。

竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥)試算
称名寺式期や後期集落全期の数値と堀之内1式期の数値があまり変わりません。それどころか少し低くなっています。
つまり堀之内1式期において集落が用意した貯蔵用土坑容量はその前の期(称名寺式期)とあまり変わらずそれどころか少し小さいのです。危機を感じて特別に堅果類の保存を増やしておくための容量増はないのです。逆に前の期より容量減でリスクが高まっているのです。
堀之内1式期で貯蔵用土坑数が増え、1つの貯蔵用土坑の容量が増えたのは人口急増に対応しただけであり、それも完全に対応しきれなかった状況が読み取れるのです。

結論として堀之内1式期貯蔵土坑は人口急増に対応するための土坑数増と容量増がみられるのであり、それ以上に特段の危機管理用容量増はないと考えられます。

参考 時期別竪穴住居軒数
 「竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥)試算」では土坑数は「称名寺式期」の数値、竪穴住居軒数は「加曽利E4~称名寺古式期」と「称名寺~堀之内1古式期」の合計数値を使いました。

4 参考 1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数
称名寺式期と堀之内1式期を対象に「竪穴住居軒数/貯蔵土坑数」(=1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数)を試算してみました。

1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数
機械的に解釈すれば、称名寺式期は竪穴住居1.25軒で1つの貯蔵土坑を利用していたのが、堀之内1式期になると2.24軒で1つの貯蔵土坑を利用していたことが読み取れます。
この様子から人口急増した堀之内1式期は集落内小集団の規模が拡大した様子を知ることができます。
なお、同じ現象が送り場土坑でも見られます。

1送り場土坑に対応する竪穴住居軒数

2018年4月27日金曜日

縄文大型貯蔵土坑の技術発展と背景 その1 大型貯蔵土坑の観察

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 31

1 貯蔵土坑の深さ-平面積グラフ
2018.04.25記事「貯蔵土坑規模限界要因の想定」で貯蔵土坑の深さ-平均直径グラフを作成して土坑規模の限界要因の検討を行いましたが、土坑容量(土坑体積)も同時に認識するために類似のグラフ深さ-平面積グラフを作成し、その中に概算容積(体積)もイメージできるようにしてみました。
ここで概算容積は土坑深さ×平面積で得られる数値でありあくまでも容積のイメージであり、断面図から計測した正確な数値ではありません。

貯蔵土坑(推定)の深さと平面積
63基の土坑の内訳は5㎥以上1基、4㎥以上5㎥未満1基、3㎥以上4㎥未満0基、2㎥以上3㎥未満4基、1㎥以上2㎥未満16基、1㎥未満41基となります。
このグラフで表現される貯蔵土坑のうち大型土坑と呼べる概算容積1㎥以上土坑の実際の平面断面図を観察してみました。

概算容量2㎥以上の土坑
概算容量2㎥以上土坑6基は全てタンブラー状の形状をしています。これらの土坑が大膳野南貝塚後期集落が建設した最大規模のものであり、集落が土坑に期待した機能が集約的に表現されていると考えられます。土坑建設に集落が一丸となって多大の労力を投入し、その維持管理も大変なことであったと考えます。

概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑
概算容量1㎥以上2㎥未満の土坑は全部で16基あり、そのうちタンブラー状のもの5基、鍋状のもの11基となっています。上図はタンブラー状5基を表示しています。

概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
鍋状のもの11基を表示しています。

土坑容量が同じであるにも関わらずタンブラー状のものと鍋状のものがあることの意味の解釈が貯蔵土坑の技術発展とその背景を考える上で重要であると考えます。
土坑215号(タンブラー状)と土坑89号(鍋状)の概算容量はほとんど同じですが、その形状の違いには著しいものがあります。
なぜか?
次の記事で貯蔵土坑の技術発展とその背景について考察します。

なお、215号土坑(タンブラー状)スケッチは214号土坑(鍋状)と一緒に描かれています。2つの土坑が隣接していて無関係のものとは到底考えられないからです。
215号土坑(タンブラー状)が新しく、214号土坑(鍋状)が古いことが、切った切られた関係から判っています。このスケッチは技術発展の様子を象徴していると考えます。

215号、214号土坑スケッチ

2018年4月25日水曜日

貯蔵土坑規模限界要因の想定

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 30

1 貯蔵土坑の深さ-平均直径グラフ
貯蔵土坑であると推定した63基を対象に深さ-平均直径グラフを作成してみました。

貯蔵土坑(推定)の深さと平均直径
このグラフを作成する前は深さが浅くなるに従って深さに対する平均直径の比率が大きくなる(浅い土坑は平べったい筒状になる)というイメージを抱いていたのですが、そのイメージはまんざら間違いでないことが確かめられました。
次の図に示す通り、深さ1m前後を境にしてそれより浅い土坑は平べったいものがほとんどであり、1m前後以上の土坑は細長い筒状のものがほとんどになります。

深さ1m前後を境に土坑形状が変化する説明図
深さ1m前後を境に土坑形状が変化するだけはなく、散布状況も異なります。1m前後以上は疎ら、1m前後以下は密集します。
このグラフから貯蔵土坑が2種類に分類でき、その分類に有意義な意味がありそうだと直観しますので、追って詳細検討することにします。

2 貯蔵土坑規模の限界要因想定
次に、深さ-平均直径グラフから土坑規模の限界要因の想定ができますのでメモします。

貯蔵土坑の限界要因想定
●効果的貯蔵機能確保限界
貯蔵土坑として推定したものの深さは最も浅いもので0.31mのものがありますが、グラフからは0.4m程度付近が限界のように感じます。この深さ下限限界はモノを地下貯蔵するときに期待する腐敗防止・カビ防止・変質防止・熟成・発酵等の機能に関わる限界深であると仮説します。この仮説の検証が興味深い活動になります。
0.4mとか0.3mより浅い土坑にモノを貯蔵しても露地でモノを貯蔵するのさして変わらない効果しか得られないと想像します。

●効率的搬出入作業限界
貯蔵土坑で最深のものは2.66mです。この深さの土坑は容量も大きく貯蔵のためにモノを出し入れするのは困難が伴います。梯子も必要となり1回に搬出入できる量も少なくなります。そのような作業効率の悪さから縄文人がそれ以上深く掘るのを止めた限界が2.66mだったのだと仮説します。この仮説の検証も興味深い活動になります。
深い土坑は梯子を使って苦労してモノを搬出入するのですから、夏や秋に収穫した食物を搬入して春に搬出するという季節的利用ではないと想像します。食物が余った年に貯蔵し足りなくなった危機の年にはじめてそれを取り出すという非常時利用の土坑であると想像することが合理的です。
逆に考えると深い土坑が作られたということはすでに食糧不足危機を経験しているということです。

●人作業空間限界
貯蔵土坑にモノを搬出入するためには、土坑の中に人が入る最低限のスペースが必要です。その最低限のスペースを確保するために必要な平均直径が0.62m程度であると仮説します。この仮説の検証も興味深い活動となります。

●実用蓋築造限界
貯蔵土坑には雨・雪・風・直射日光を除けるとともに庫内空気と外気を遮断するための蓋が必須です。この蓋の築造には大きさの技術限界があり、その最大規模が平均直径1.72m程度であったと仮説します。それ以上の蓋は工作技術・土木設置技術・維持管理技術などから無理だったと考えます。この仮説の検証も興味深い活動となります。

以上の4つの限界により大膳野南貝塚後期集落では土坑規模が限定された範囲に収まったと考えます。

3 貯蔵土坑と送り場土坑の規模の比較
貯蔵土坑と送り場土坑の規模を比較するとつぎのようになります。

貯蔵土坑と送り場土坑の深さと平均直径
送り場土坑はモノを貯蔵しなので貯蔵土坑より浅いものが多くなっています。
また人がその中に入る必須性がないので平均直径が小さいものも含まれます。
さらに送り場土坑は蓋をする必要がないので平均直径が大きなもの(最大3.02m)も含まれます。
このグラフから貯蔵土坑規模を相対化でき、その特性をより明確に把握できます。

2018年4月24日火曜日

貯蔵土坑平面断面図の観察 その2

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 29

貯蔵・保存穴として推定した63基土坑の深さを深いものから浅いものに順番に並べて観察したみました。そのうち深さが大きいもの半分の観察結果は2018.04.23記事「貯蔵土坑平面断面図の観察」で書きました。この記事ではそれ以外の半分の浅いものについて観察します。
なお、ここで観察しているのは一次用途(土坑建設時の用途)に着目して観察しています。一次用途が貯蔵土坑であっても二次用途(土坑廃絶時の用途)が送り場となるものが多くありますが、その検討は別途行います。

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m その2

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m その3

貯蔵土坑 深さ0.5m以下
規模の大きな貯蔵土坑には次の5つの特徴を観察することができました。
1 深い土坑がある。
2 平面形状は円形やそれに近いものが多い。
3 出入口が備わっているものが多い。
4 くびれが備わっているものが多い。
5 底部に排水溝が備わっているものが多い。排水溝は底部中央にピット状になっているものと、底部縁辺円周溝として備わっているもの(断面図図示は不明瞭なものが多いが中央部が盛り上がっているので排水機能を看取できる)の2種類がある。

深さが1mより浅くなるとその特徴が明らかに不明瞭になります。
総合的に判断して貯蔵土坑と推定したにも関わらず平面形状では203、271、259a、54、11は異形です。
また出入口、くびれ、排水溝という特徴を読み取れないものが増えます。
一方柱穴と考えられるピットを備えたものが含まれます。
平面・断面的に異形のもの、柱穴を備えたものは送り場土坑にごく普通に見られますから、上記推定貯蔵土坑には送り場土坑が含まれているかもしれません。一次用途について、貯蔵土坑と送り場土坑の境を明瞭にひくことは今後の課題です。

2018年4月23日月曜日

貯蔵土坑平面断面図の観察

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 28

貯蔵・保存穴として推定した63土坑の平面断面図を深さの深いものから浅いものに順番に並べて観察してみました。

貯蔵土坑 深さ2m以上

貯蔵土坑 深さ1.5m~1.99m

貯蔵土坑 深さ1.0m~1.49m その1

貯蔵土坑 深さ1.0m~1.49m その2

貯蔵土坑 深さ0.5m~0.99m 一部
貯蔵土坑には次の5つの特徴があるようです。
1 深い土坑がある。(最深土坑は185号土坑で2.66m)
2 平面形状は円形やそれに近いものが多い。
3 出入口が備わっているものが多い。(上図に図示)
4 くびれが備わっているものが多い。(上図に図示)
5 底部に排水溝が備わっているものが多い。排水溝は底部中央にピット状になっているものと、底部縁辺円周溝として備わっているもの(断面図図示は不明瞭なものが多いが中央部が盛り上がっているので排水機能を看取できる)の2種類がある。(上図に図示)

……………………………………………………………………
参考 kj法結果と貯蔵土坑

kj法で分類した結果に貯蔵土坑(赤丸)をプロットした図
kj法でタンブラータイプ、鍋タイプと分類したものは結果としてほとんど全て貯蔵土坑であると推定しました。


2018年4月22日日曜日

土坑用途の推定結果概要

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 27

土坑用途の推定作業が一巡しましたのでまとめておきます。

推定作業は次に例示する私家版土坑データベース画面上で検索とソートを繰り返しながら行い、推定結果に関わる思考を画面上に随時メモしました。(このデータベースソフトFile Makerは記入すると即保存されるので作業が楽です。)

私家版土坑データベース画面 一次用途貯蔵・保存、二次用途祭祀の例

推定結果は2018.04.14記事「土坑用途分類の素案作成」で作成した土坑用途分類素案に対応させてまとめました。

土坑一次用途推定結果
土坑が建設されて時の本来の用途を推定したものです。
貯蔵・保存に関わる土坑は66で、そのうち3が特別の付加機能を有しているかもしれないと想定しました。
土坑墓らしいと推定したものは2です。
送り場と推定したものは177です。
トイレと断定的に想定したものはありませんが、トイレかあるいは送り場のどちらかと推定したものが18あります。
塔・柱の基礎と推定したものが1です。

次に土坑が廃絶した時に担っていた機能を推定しました。

土坑二次用途推定結果
貯蔵・保存穴のうち送り場などに用途が変更したと考えられるものがあり、結果として送り場が199に増えました。また廃土坑墓と考えられるものも2あり、土坑墓・廃土坑墓合計で4となりました。

これらの結果はあくまでも諸情報を総合した推定であり、証拠に基づいた論理正確な判定結果ではありません。しかし、大膳野南貝塚後期集落の学習を深めるためには自分自身の中に土坑像を作る必要があり、それを作ったという意義、つまり学習を進める上での意義には大きなものがあると考えます。
次からの記事で各用途に関する具体的検討を行います。

2018年4月18日水曜日

土坑用途の推定作業

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 26

個々土坑の用途推定作業を進めていますので現状をメモしておきます。

1 断面形状が似ているもののグループをつくる
土坑断面図そのものを対象としてkj法で断面形状が似ているもののグループをつくりました。それらのグループのなかに同じ用途のものが含まれている可能性が高いと考えるからです。

kj法による断面形状が似ているグループ分け

2 データベースをツールとした土坑用途推定作業
発掘調査報告書の文章記述、土層記述付平面断面図、出土物画像をそのまま掲載するとともに、その内容の要約やこれまでの諸検討結果、用途推定記入メモ欄等45項目(フィールド)をモニター1画面に配置しました。
画像以外の項目を使って検索やソートが迅速にできますから、ある土坑の用途推定の思考がまとまれば、それに似た土坑をkj法グループ分けで、また別の多様な視点から見つけ出して類推を広げていくことができます。

なお、土坑用途は一次用途と二次用途に分けて考えることにします。
一次用途とはその土坑を最初に掘った時の本来用途です。
二次用途とは土坑が本来用途の使命を終えて廃絶した後に生まれる第二の用途です。現段階作業では二次用途として祭祀の場(送り場)、墓(廃土坑墓)の2つを念頭においています。

土坑用途推定に現状で役立っている項目は次のようなものをあげられます。
●断面形仮タイプ(kj法による分類)
●覆土層の要約と諸元(土層、破砕貝、完形貝、純貝層、漆喰、底まで貝層、焼土、炭化物等)
●出土物の要約と諸元(出土物なし、土器少量、土器多量、完形土器・大型破片、石器、骨角器、貝製品、獣骨、人骨)
●トイレ予察
●体積区分、深さ
●発掘調査報告書の情報(周辺小ピット、土坑墓可能性、炭化種子同定結果)

次にいくつかの例をあげます。

貯蔵庫(二次用途 送り場)と推定した例 100号土坑
この土坑は土層中の炭化物サンプル調査が行われオニグルミ核などが見つかっています。

貯蔵庫(二次用途 廃土坑墓、送り場)と推定した例 382号土坑
この土坑からはヒト骨が出土しています。
この土坑以外の別の1土坑からもヒト骨が出土しています。

土坑墓と推定した例 181号土坑
発掘調査報告書で土坑墓である可能性を記述しています。この記述を参考に一次用途が墓(土坑墓)であると推定しました。

屋根付特殊用途と推定した例 263号土坑
屋外漆喰炉の近くに立地していることから、魚介類干し物仮置き場のような施設ではないだろうかと想像しています。

トイレと推定した例 320号土坑
kj法検討でトイレと推定したものです。

柱状施設設置跡と推定した例 10号土坑

上記以外に一次用途としての送り場が沢山あると考えられ、現在分類作業中です。

2018年4月16日月曜日

土坑断面図画像を貼り付けたQGISレイヤの完成

膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 25

2018.04.12記事「土坑断面図画像を貼り付けたQGISレイヤの必要性」で土坑利用目的を検討するためにはQGIS画面上で近隣の土坑平面断面図を同時に見ながら検討できる必要性を書きました。
大膳野南貝塚の土坑分布は列状や塊状に分布しているものが多く、かつ土坑同士が重なっていて、使い切った土坑の隣に同じ目的の土坑を作っているとみられる例が多数ありますので、隣接、近接土坑の比較が大切です。
そこで、QGIS画面で土坑平面断面図を閲覧できるような仕組みづくりにチャレンジしたところ、本日完成しました。

QGIS画面で土坑をクリックすると土坑平面断面図が閲覧できる様子

同上 閲覧できる画面(イベントブラウザ)が拡大でき、また画像自体も拡大できる様子

クリックして見れる土坑平面断面図数に制限はありませんから、複数土坑の画像を比較してみることができます。

4つの土坑平面断面図を表示した様子(モニター3枚利用) 画像閲覧画面は拡大している

モニターを4枚フルに活用すれば10枚程度の土坑平面断面図を並べて観察することができます。
画像閲覧画面(イベントブラウザ)の大きさを小さくする方法が今はわからないのですが、その方法が判れば使い勝手が飛躍的に向上すると思います。

なおこの仕組みは次のような方法で作りました。
・土坑の位置情報をQGISからとりだす。
・平面断面図(jpgファイル)のexif情報の中に位置情報を埋め込む。(Lightroom Classic CCを利用)
・QGISプラグインphoto2kmzを使って平面断面図の分布図作成(csvファイル)
・QGISに平面断面図csvファイル読み込み
・QGISプラグインeVisを起動して平面断面図ファイルを表示ウィンドウ(イベントブラウザ)で表示できるように設定する。

なお、QGISプラグインphoto2kmzで扱う画像ファイルはパスやファイル名に日本語がないことが必要です。

一般に表示ウィンドウ(イベントブラウザ)で地物関連画像を見る場合は風景写真が念頭に置かれているようですが、そうした利用だけでなく、その地物の平面断面図や出土物や記述の画像を見れる(読める)ようにできるので、汎用性の大きな仕組みであることを実感しました。

土坑だけでなく竪穴住居についても、画像貼り付けレイヤをつくれば情報分析支援ツールとして大いに役立ちそうです。

2018年4月14日土曜日

土坑用途分類の素案作成

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 24

大膳野南貝塚後期集落264基の土坑用途分類を目指しています。
発掘調査報告書掲載情報の整理がかなり進んできていますが、この記事では土坑用途分類の素案を掲載します。

土坑用途推定のための用途分類メモ
これまでの検討で貯蔵・保存穴、土坑墓、送り場、トイレの存在は確実であると考えてきています。
その他に、生産機能土坑(発酵機能、漆風呂機能など)、井戸、調理用炉・調理施設、塔・柱の基礎の可能性のあるものが存在するかどうか興味を深めています。
なお、犠牲土坑、竪穴住居、陥し穴は項目として設定しましたが存在する可能性はほとんど無いと考えています。
これら11項目の用途を全土坑についてチェックするような作業を含めつつ、全土坑がどの項目に該当する可能性が高いか分析していくことにします。


2018年4月13日金曜日

メモ 縄文時代遺構から破壊土器片が出土する意味

縄文時代遺構から破壊土器片が出土する意味を一つの共通思考で明らかにできることがわかりましたのでその概要を忘れないうちに、粗々の全体像としてメモしておきます。

1 縄文時代炉穴、竪穴住居、土坑、ミナトなどの生活必須施設の廃絶場所から破壊された土器片が出土する
1-1 炉穴
炉穴を廃絶する時廃絶祭祀を行い、その祭祀行為の一環として手持ち土器片を投げ込み破壊したことが観察できます。(土器片を踏みつける、棒でたたくなどで壊す。)

大膳野南貝塚 早期 3号炉穴の出土土器 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

1-2 竪穴住居
竪穴住居を廃絶する時廃絶祭祀を行い、その祭祀行為の一環として手持ち土器片を投げ込み破壊したことが観察されます。(土器片を強く地面に打ち付ける、壊してばら撒くなど)

大膳野南貝塚 前期 J56号竪穴住居の出土土器  大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

1-3 土坑
土坑を廃絶する時廃絶祭祀を行い、その祭祀行為の一環として手持ち土器片を投げ込み破壊したことが観察されます。(壊して投げ込んだ)

大膳野南貝塚 後期 189号土坑出土土器 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

1-4 ミナト
ミナトを廃絶する時廃絶祭祀を行い、その祭祀行為の一環として廃用巨大土器を破壊したことが観察されます。

西根遺跡 加曽利B式期 破壊された土器集積 西根遺跡発掘調査報告書から引用

2 生活施設廃絶に土器破壊が伴う意味
2-1 土器片破壊は犠牲と同じ意味を持つ
生活施設(炉穴、竪穴住居、土坑、ミナト)を廃絶するときに廃絶祭祀(施設の送り)が行われます。その廃絶祭祀(施設送り)を視覚的に表現するためには何らかの象徴的活動が必要です。その象徴的活動が廃絶施設内における手持ち土器破片の送り(破壊)であったと考えます。

「王が死んだとき臣下が一緒に死ぬことにより王が本当に送られる(天国に行ける)という思考」つまり殉死(犠牲)という概念が古代にあります。この殉死という古代思考と類似の思考が縄文人の生活施設廃絶思考(送り思考)に組み込まれていたと考えます。
縄文人は施設を廃絶するために、つまり施設を送るためにはそれなりの犠牲が必要であり、その犠牲を手持ち土器片の破壊という形式で行ったのだと考えます。

土器片は経済の状況によって多寡はあるとしても誰でもいつでも所持できている財産です。土器片は現実に皿や容器等と同じ機能を備えた道具として利用されていたと考えることができます。この各人が持てる財産としての土器片を廃絶施設内に持ち込み、その場で破壊する活動により施設を送ることができると考えられていたと想像します。

縄文社会では土器片入手は誰でも容易であると考えられますから、施設送りのアイテムの一つして土器片を使うことは社会運営を円滑に進めるという点で合理的なことであったと考えられます。

2-2 土器片破壊の背景に利用可能完形土器の確保がある
縄文人は、生活施設(炉穴、竪穴住居、土坑、ミナト)廃絶を表現するために土器片あるいは廃用土器をその施設内で破壊しました。この「施設廃絶-土器破壊」活動の背景には新施設が既に完成し、その新施設に関わる新品完形土器が既に確保されていることがあると考えます。
崩れて使えなくなった炉穴を廃絶しそこで土器片を破壊するときには、既に新しい炉穴が作られていてそこで煮炊きする完形土器は確保していると考えます。
住居の主人家族が没した竪穴住居の廃絶祭祀で土器片を破壊するとき、集落住人の誰もが竪穴住居を確保していて、その竪穴住居には煮炊きできる完形土器が確保されていたと考えます。
湿気やカビなどで使えなくなった土坑で廃絶祭祀を行い土器片を破壊して投げ込む時、既に新しい土坑が作られ、手元には完形土器が必要な分だけそろっていたと考えます。
海退現象でミナトが使えなくなり、ミナトの廃絶祭祀が行われ、その場で廃用巨大土器が破壊されるとき、既に下流に新ミナトが作られ、母集落には新品完形巨大土器が多数そろっていたと考えます。

このように考えると施設廃絶祭祀=「施設廃絶-土器破壊」活動は裏返せば、施設確保祭祀=「必要施設確保確認-必要土器確保確認」活動です。つまり施設廃絶祭祀は極限すれば施設や土器がそろって生活が順調であり安寧である状況を寿ぐ祭に通じます。

2-3 施設廃絶祭祀の多義性
施設廃絶祭祀は極限すれば施設や土器がそろって生活が順調であり安寧である状況を寿ぐ祭に通じると考えると、土器片破壊を伴う施設廃絶祭祀は現実には「施設を送る」だけでなく多義的な活動であったと考えます。
むしろ「施設を送る」という基礎の上に多様な意味あいの祭祀が乗っていたと考えます。
秋の収穫祭も全て施設廃絶祭祀の一環として行われたと考えます。
西根遺跡ミナト廃絶祭祀もその形式面の上部には堅果類収穫の広域秋祭りの風景が存在していたと考えます。

2-4 その他
●陥し穴
陥し穴からはほとんど土器片出土はありません。縄文人にとって陥し穴は廃絶祭祀をおこなうような生活施設でなかったと考えます。
●奈良時代遺構
鳴神山遺跡など奈良時代集落竪穴住居からも多量の破壊土器片が出土し、縄文時代と経済状況が格段に違うだけで、その場が祭祀の場であったことは同じように捉えられると考えます。下総では縄文人の風習がほとんどそのまま奈良時代まで伝わってきていると捉えられます。

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ギリシャ壺投げ映像をみて、それが自分の思考において触媒の働きをしてこのメモが生まれました。
2018.04.11記事「ギリシャ壺投げと印西市西根遺跡土器破壊」参照