2018年4月29日日曜日

縄文大型貯蔵土坑の技術発展と背景 その2 土坑の大型化

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 32

1 大型貯蔵土坑の建設時期
大膳野南貝塚後期集落の貯蔵土坑63基のうち大型土坑をピックアップしてその建設時期を書き込んでみました。

概算容量2㎥以上の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(タンブラー状)の土坑

概算容量1㎥以上2㎥未満(鍋状)の土坑
時期不詳の土坑(後期あるいは堀之内式期)を除くと集落開始期の称名寺式期の土坑が2基あり概算容量1㎥以上2㎥未満でかつ鍋状です。
その他は全て集落最盛期の堀之内1式期の土坑で、概算容量2㎥以上(タンブラー状)5基、概算容量1㎥以上2㎥未満1基となります。
この様子から集落開始期→集落最盛期の間に土坑形状の主流が鍋状からタンブラー状に変化したことと、土坑容量が大規模になったことが判ります。
なお、時期不詳の土坑のうちかなりの数が堀之内1式期のものであると考えられます。

2 土坑形状の変化について
集落開始期から集落最盛期にかけて土坑形状主流が鍋状からタンブラー状に変化した状況は土坑性能向上技術革新として捉えることができます。
同じ容量の土坑の場合鍋状よりタンブラー状の方が開口部面積を小さくできます。開口部面積を小さくできれば土坑内部の密閉性が高まり外気の影響をより小さくでき、温度や湿度の調整がしやすくなります。堅果類等の保存機能が向上し、取り出した時の味・栄養劣化が少なくなります。
鍋状土坑でも開口部直下でくびれ(オバーハング)をつくり、いわゆるフラスコ形にして土坑内部密閉性を高める工夫をしていますが、くびれ(オーバーハング)の効果は鍋状よりタンブラー状の方がはるかに効果的であることは論を待ちません。
またタンブラー状にすることにより開口部面積を小さくすれば蓋の築造と維持管理も楽になります。
土坑性能向上技術革新が大膳野南貝塚集落で独自に生まれたと考えることは無理だと直観しますので、関東や周辺地方で生まれた技術が伝播してきたのではないかと想像します。
またこの技術革新は深い土坑を掘る土木技術革新ですから、それに対応する道具の革新があるはずです。打製石斧をスコップのように操作して穴を掘ったと想像すると、出土打製石斧の中に穴掘り専用に発明された特殊打製石斧がふくまれているのかもしれないと妄想します。

3 土坑大型化の意味について
貯蔵用土坑の容量が大きくなった理由について2018.04.25記事「貯蔵土坑規模限界要因の想定」で先回りしてつぎのように想像しました。
「深い土坑は梯子を使って苦労してモノを搬出入するのですから、夏や秋に収穫した食物を搬入して春に搬出するという季節的利用ではないと想像します。食物が余った年に貯蔵し足りなくなった危機の年にはじめてそれを取り出すという非常時利用の土坑であると想像することが合理的です。
逆に考えると深い土坑が作られたということはすでに食糧不足危機を経験しているということです。」
この想像が間違いであることが判りましたのでメモします。
土坑の大型化は集落人口急増に対応しただけの所産であるようです。

次のグラフは時期別貯蔵土坑数グラフ及び貯蔵土坑平均容量グラフです。

時期別貯蔵土坑数

時期別貯蔵土坑平均容量

称名寺式期と堀之内1式期だけを比べると集落最盛期の堀之内1式期のほうが貯蔵土坑数が増えるだけでなく、平均容量も5割増しになっています。

次に称名寺式期と堀之内1式期だけを対象に「貯蔵土坑総容量(㎥)/竪穴住居軒数」(=竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥))を試算してみました。

竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥)試算
称名寺式期や後期集落全期の数値と堀之内1式期の数値があまり変わりません。それどころか少し低くなっています。
つまり堀之内1式期において集落が用意した貯蔵用土坑容量はその前の期(称名寺式期)とあまり変わらずそれどころか少し小さいのです。危機を感じて特別に堅果類の保存を増やしておくための容量増はないのです。逆に前の期より容量減でリスクが高まっているのです。
堀之内1式期で貯蔵用土坑数が増え、1つの貯蔵用土坑の容量が増えたのは人口急増に対応しただけであり、それも完全に対応しきれなかった状況が読み取れるのです。

結論として堀之内1式期貯蔵土坑は人口急増に対応するための土坑数増と容量増がみられるのであり、それ以上に特段の危機管理用容量増はないと考えられます。

参考 時期別竪穴住居軒数
 「竪穴住居1軒当たり貯蔵土坑容量(㎥)試算」では土坑数は「称名寺式期」の数値、竪穴住居軒数は「加曽利E4~称名寺古式期」と「称名寺~堀之内1古式期」の合計数値を使いました。

4 参考 1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数
称名寺式期と堀之内1式期を対象に「竪穴住居軒数/貯蔵土坑数」(=1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数)を試算してみました。

1貯蔵土坑に対応する竪穴住居軒数
機械的に解釈すれば、称名寺式期は竪穴住居1.25軒で1つの貯蔵土坑を利用していたのが、堀之内1式期になると2.24軒で1つの貯蔵土坑を利用していたことが読み取れます。
この様子から人口急増した堀之内1式期は集落内小集団の規模が拡大した様子を知ることができます。
なお、同じ現象が送り場土坑でも見られます。

1送り場土坑に対応する竪穴住居軒数

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