花見川地峡の自然史と交通の記憶 46
1 ボーリング資料
千葉市では千葉市公共施設のボーリングデータを閲覧できる仕組みをつくっています。
幸い柏井小学校のボーリングデータを閲覧することができました。
しかし、残念なことに、ボーリングは土塁上部を撤去した後の造成地で実施したものです。
土塁本体上部が残存していた状態から、土塁上部を撤去して宅地面を造成し、その造成地に学校を建設したのですが、現在千葉市に残存する資料は造成地に学校を建設する時点からの資料だけです。造成地をつくるための測量・土木設計資料やボーリングデータはありません。またその間の経緯も全く不明です。
ボーリングデータは全部で9カ所ありますが、そのうち体育館(1カ所)、プール(4カ所)は土塁関連施設に該当する場所であり、追って検討します。この記事では校舎(4カ所)のデータについて検討します。
次の図はボーリングデータの位置図です。
ボーリングデータ位置図
2 ボーリングデータから復元地形(土塁)の地質は盛土であることがわかる
ボーリングデータを地形断面に投影して表示すると次のようになります。
ボーリングデータの地形断面図への投影
52-1、52-3、55-1は砂層(成田層)の上面高度が近似しています。また52-3と55-1には砂層の上に粘土層がのっています。この3カ所のデータからこの造成地は、一つのまとまった地形面である可能性が読み取れます。今後精査する予定ですが、その高度と分布位置から芦太川東岸の河岸段丘であると考えます。
芦太川の河岸段丘であるならば、そのローム層厚は2m未満であることは確実です。
52-1、52-3、55-1のローム層厚は全て1.2mですから、自然の状態ではこの付近が本来の地形面であっても不思議ではありません。しかし、復元地形では、これらのボーリング地点の上にさらに1.9m、2.6m、2.8mの土がありました。造成工事で削除された土がローム層と考えるとローム層の厚さが3.1m、3.8m、4mとなり、この場所が粘土層が分布することが示すように、もともと平坦な地形面であったことを考慮すると、自然現象としてはあり得ないローム層厚になってしまいます。
造成工事で削除した土はそのほとんどが人工盛土であると考えること以外に別の可能性を考えることはできないと思います。
造成地と復元地形との関係及びボーリングデータから、もともとあった芦太川河岸段丘上に土塁がつくられ、学校建設の際に、その土塁をそっくりそのまま撤去したように考えることができます。
なお、52-2のボーリング位置は作られた造成地の端であり、もともと斜面であった部分の地質を表現しているものと考えます。砂層高度が低くローム層が厚い(4.6m)ことは斜面堆積を表していると考えます。
3 復元地形(土塁)の地質が盛土である決定的証拠
ボーリングデータ55-1のローム層の記述に「造成土の可能性ある」という記述があります。
ボーリング調査技術者はそのローム層を「造成土」と判断したのだと思いますが、そこに造成土が存在する理由を説明できない、不都合な事実であったので、「可能性ある」と付け加えたのだと思います。
造成土の可能性を指摘している資料
この資料は「可能性ある」という表現ですが、復元地形(土塁)の地質が盛土であることを直接証明する決定的証拠であるとすることができます。
55-1でのみ「造成土」が観察された理由としたは、55-1地点は土塁本体の中央部分であることから、土塁をつくる時に地表のローム層を剥ぎ取り、盛土をして締固め、基礎としたという古代工法の結果が表現されているものと考えます。
55-1でのみ「造成土」が観察された理由としたは、55-1地点は土塁本体の中央部分であることから、土塁をつくる時に地表のローム層を剥ぎ取り、盛土をして締固め、基礎としたという古代工法の結果が表現されているものと考えます。
つづく
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