花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.197 墨書土器出土数からみた鳴神山遺跡
千葉県の墨書土器出土数は県別に見ると全国でトップです。
これは、墨書土器という風習が盛んであった8世紀から9世紀頃の社会活動が千葉県で活発であったことを示しています。
蝦夷戦争を背景とした社会情勢が大いにかかわっていると考えます。
墨書土器は律令国家が組織する集団の組織活動の産物であると考えますので、墨書土器出土が多いということはその遺跡に居住した集団の組織活動が活発であったことを示していると考えます。
集団の組織活動とは必ずミッション(使命…目的)を伴うものです。
従って、墨書土器出土が多い遺跡からは、発掘情報の蓄積があれば、そこに居住した集団のミッション(使命…活動目的)が必ず判明する、少なくとも推定することができると考えます。
漫然とした一般農業集落の発展があり、そこで漫然と墨書土器の風習が広まったという見方をしたら、せっかくの発掘情報があまり活きないと思います。
萱田遺跡群の次に鳴神山遺跡を検討する理由は、印旛浦筋にあって、千葉県における墨書土器出土数が最大であるからです。
鳴神山遺跡及び隣接する船尾白幡遺跡が恐らく一つの集落圏域であり、その集落圏域が有した機能を発掘調査報告書の情報から推定していきたいと考えます。
千葉県墨書土器出土数上位遺跡リスト
集計では例えば「○○遺跡(第△次)」とか、「○○遺跡 △地区」などは「○○遺跡」に情報を統合しました。
千葉県内墨書土器出土数上位遺跡
墨書土器出土数上位遺跡分布図2
鳴神山遺跡と隣接する船尾白幡遺跡の墨書土器合計出土数は1638になり、千葉県出土全墨書土器数22496の7.3%を占めます。
墨書土器出土数が多いということは、単純に考えると墨書土器という風習を持った人口が多かったことを意味すると考えます。
墨書土器という風習を持った人口が多いということは、官人の指導下で働くホワイトカラー的職種(サービス業務的職種)を含む非奴隷的労働に従事する人口が多かったことに通じると、萱田遺跡群の検討から感じます。
(この時代には奴隷的労働現場もあり、そこでは墨書土器という風習の普及は虚弱であったと北海道遺跡の検討から考えています。)
ちなみに萱田遺跡群4遺跡の墨書土器合計出土数は1470で千葉県全体の6.5%になります。
鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の2つの遺跡を中心として、その近隣遺跡も含んだ地区(船尾地区)が律令国家が組織した集団の居住の場であり、圏域全体として大きな目的を持って、各種具体的集団活動が展開されていたと考えます。
なお、鳴神山遺跡、船尾白幡遺跡に限らず、墨書土器多出遺跡は律令国家の活動拠点であったと考えると、房総の古代交通を考える上で全ての墨書土器多出遺跡を今後注目していきたいと考えています。
参考 アドレスマッチングによる墨書土器出土数遺跡分布図
正確には、墨書土器出土遺跡が存在する大字分布図になります。
千葉県における墨書土器出土遺跡は926になります。(ただし遺跡が細分されて入る場合、細分されたものをカウントしている。)
0 件のコメント:
コメントを投稿