私の散歩論

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2011年2月13日日曜日

花見川上流紀行 26花見川散歩環境に不足するもの

花見川サイクリング道路を散歩していて、心の片隅で違和感を感じるものがありました。長い間それが何だか分かりませんでした。ふとある時、散歩していて、次のようなことを考えました。

 「私は散歩しながら、受身的観察をしていて、外界の地物から刺激を受けて、自分の内界に興味の素を造成しようとしている。しかし、本来存在すべきものが存在しないならば、それからも刺激をうけるのではないだろうか?」ということです。
つまり、「あるべきもの」が「無い」ならば、それに気がつくことがあるとともに、それが大切な情報であり、興味の素になる可能性があるということに気がついたのでした。

 それに気がついたとき、心の片隅で感じていた違和感の原因を特定するのに時間はかかりませんでした。
 「サイクリング道路沿いに堀割普請をはじめ地域の歴史に関わる説明が一切ない。それはサイクリング道路の建設思想において堀割普請や地域の歴史が欠落しているからだろう。だからサイクリング道路の利用者の多くは堀割普請や地域の歴史を知る機会を逸している。」ということが私の無意識の中で生まれ、「違和感」という形で意識に上ってきたことに気がつきました。

 WEBには花見川のサイクリングを楽しんだホームページが沢山あります。そのコンテンツの中では花見川の自然の素晴らしさを表現したものが沢山あります。しかし、堀割普請という花見川の歴史に触れたものはほとんどありません。それはサイクリング道路沿いに堀割普請や地域の歴史を説明した案内板が皆無だからだと思います。サイクリングする人は自然には関心があるけれども、歴史には無関心である、ということではないと思います。せっかくの文化的、歴史的、土木的遺産である堀割(花見川)を、私たちは訪れる人に説明していないのです。もったいないことです。

 私は「サイクリング道路の建設思想において堀割普請や地域の歴史が欠落しているからだろう。」と勝手に考えたのですが、本当にそうであるかどうか検証してみました。
 先日千葉市公園建設課のご好意により花見川公園緑地事務所で「花見川リバーサイドパーク構想」原本である「花見川リバーサイドパーク基本計画報告書」(昭和47年3月、千葉市建設局都市開発部公園課)を閲覧させていただきました。 
花見川リバーサイドパーク計画フロー
 案の定、この報告書に堀割普請や地域の歴史を考慮する視点はゼロでした。自然的条件として地形、植生、動植物、気象、水資源を、社会的条件として交通、人口、土地利用、開発動向、上下水道を扱っていますが、花見川がどうして出来たのかという堀割普請の歴史や地域の歴史は公園構想には一顧だにされていませんでした。
 基本計画作成の担当官や作業に従事したプランナーが、花見川成立の歴史や事情を知らないわけがありませんから、それをあえて検討項目から削除した事情があったのだと推察します。しかし、それをいまさら詮索してもしょうがありません。そういう時代であったと認識するしかありません。
 堀割普請や地域の歴史が「花見川リバーサイドパーク構想」に考慮されていないことが確認されたので、それを今から意識的に取り上げることが大切だと思います。堀割普請や地域の歴史を活かした公園やサイクリング道路のあり方を考え、物象化することが今を生きる世代の努めだと思います。
 花見川の堀割は千葉が有する文化的、歴史的、土木的遺産です。ですから行政としてもそのように明確に認識していただきたいと思います。
 花島公園パンフレットにも堀割普請について一言ふれていただければ、花島公園の文化的意義が高まると思います。
 サイクリング道路沿いに、堀割普請や地域の歴史が分かる説明板を設置をしていただければ、一住民散歩者としてうれしいです。

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