私の散歩論

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2011年7月29日金曜日

子和清水遺跡

犢橋川流域紀行6 子和清水遺跡

            子和清水遺跡発掘場所(現代地図)

            子和清水遺跡発掘場所(旧版地形図)

 子和清水付近の周辺台地は、閉じた凹地等高線の存在に見られるように、水が行き場を失った地域です。それだけに犢橋川谷津谷頭の子和清水は湧泉量が多く、干天でも水が涸れることのない「強(コワ)い」(強靭な)清水であったと考えられます。また、「怖(コワ)い」(思いもよらない不思議な力がある)清水であり、病気治癒や健康増進に効果のある霊験あらたかな水が湧いていたに違いありません。

 子和清水を飲料水として利用していたと考えられる古代遺跡が近くに数箇所分布しています。
 このうち、子和清水から東約280mの台地端の遺跡が、清掃工場建設に際して昭和60年に発掘調査され、記録保存されています。この調査記録(「千葉市子和清水遺跡房地遺跡一枚田遺跡」千葉市教育委員会・財団法人千葉市文化財調査協会、1987)を見てみました。

1 旧石器時代
●立川ローム層下部から武蔵野ローム層上部までの範囲を調査して、845点(表採資料は含まず)の資料を得ています。
●尖頭器(槍先)、ナイフ形石器、敲石(ハンマー)、角錘状石器(キリ)、彫器(ノミ)、削器(先端に刃のついた剥片)、掻器(側面に刃のついた剥片)、両極石器、剥片、砕片、石核(原石)、礫などが出土し、大きなもので5cm~7cmの完成品、未成品が含まれチャート、玄武岩、砂岩、安山岩、黒曜石などを素材としています。
●2箇所の炉跡が確認されています。
●時代的には4段階の時代が認められ、最後の段階は旧石器時代最終末から縄文時代の初頭であるとしています。

2 縄文時代
●竪穴住居祉及び竪穴状遺構10軒、炉祉状遺構2基、土壙43基が検出され、住居祉は台地先端部に沿って分布しています。住居祉の年代は縄文前期後半から末葉7軒、中期後半2軒、後期後半1軒としています。
●出土遺物として土器(浅鉢、壺、深鉢など)、土製品(土偶、玦状耳飾、土錘)、石鏃(チャート、黒曜石)、石錐、両極石器、石斧、磨石・敲石・凹石、石皿、軽石、石棒、独鈷石、玉類・滑石が見つかっています。石器出土数は907点です。(土器片の出土数は記載ありません。)
●土器は次の区分により記載されています。
第Ⅰ群土器 早期前半の撚糸文土器
第Ⅱ群土器 前期前半の黒浜式土器
第Ⅲ群土器 前期後半の諸磯式・浮島式土器
第Ⅳ群土器 前期末葉から中期初頭の土器
第Ⅴ群土器 中期初頭の五領ケ台式土器
第Ⅵ群土器 中期後半の加曽利E式土器
第Ⅶ群土器 後期前半の称名寺式・堀之内式土器
第Ⅷ群土器 後期中葉の加曽利B式土器
第Ⅸ群土器 晩期中葉の前浦式土器
第Ⅹ群土器 晩期後半の千網式・荒海式土器
●玉についてはその製作跡を示しているとしています。

3 弥生時代
●遺構は検出されず、土器片が約30点出土しました。

4 古墳時代
●古墳時代前期に属する住居祉が2軒検出されています。2軒の住居は時間差があり同じ時に存在していた可能性は少なく、土器は供献用の土器がその大半を占め、儀式の場とも考えられるとしています。

5 歴史時代
●カマドを有する住居祉が1軒検出され、土器等が出土しています。

6 感想メモ
 この報告書を見て次のような感想を持ちましたので、メモしておきます。
●旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、歴史時代と切れ目なく遺跡が発見されており、この場所が人の生活場所として大切な条件を満たす場所であることがわかります。この場所を特徴づける根本的条件は子和清水の存在で間違いないと思います。干天でも清潔で多量の飲料水確保できることがこの場所に継続して人が住み着いた最大要因だと思います。

●南向き台地の端(はな)の縁に住居祉が立地しています。立地場所からは眼前に犢橋川谷津の広がりをパノラマで見ることができます。この場所の展望の良さは次のような利点があったと思います。
ア 呪術などの精神生活をしやすくする。(現代的に言えば、眺めがよくて気持ちがよい)
イ 日当たりが良く、衛生環境が良い。
ウ 天体運行についての把握が容易である。
エ 谷津を伝わってくる来訪者が住居場所を探しやすい。
オ 谷津を訪れる渡り鳥など、狩猟対象の発見に有利である。

●検出された住居祉数から、一度期に住んでいたのは多くて3~4軒程度と想像しました。

●古墳時代の遺跡が祭祀の場であるかもしれないという情報は、子和清水がいわば「聖なる泉」として古墳時代の人々に捉えられていたことを物語ると思います。古墳時代の人々が「聖なる泉」と考えたのは、旧石器時代人や縄文人が子和清水を「聖なる泉」として捉えてきたことが、弥生時代人も経由して継続して伝えられたからだと思います。

●こうした背景のなかで、親孝行とか酒とかが表のテーマのようになり、大きく変形はしたけれども、健康や命を育む「聖なる泉」であるということが子和清水の民話になり、現代にまで伝わってきているものと考えます。

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