私の散歩論

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2011年8月13日土曜日

縄文丸木舟と大賀ハス11

浪花川流域紀行13 縄文丸木舟と大賀ハス11

            坂口豊論文掲載の泥炭層基底地形図
出典:坂口豊「東京湾北部の泥炭地について」(資源科学研究所彙報34、1954)
後述引用する地層柱状図地点2箇所に赤丸を追記しました。

5-2  大賀ハス出土層位
 坂口豊「東京湾北部の泥炭地について」(資源科学研究所彙報34、1954)に大賀ハス発掘地点の地層柱状図が掲載され、詳しく説明されていますので、引用紹介します。
 柱状図につけたア~カの印は説明文の引用区分のために引用者が加えたものです。

            大賀ハス発掘地点の地層柱状図
 右の柱状図が大賀ハス発掘地点(Excavation Point of Seeds of Lotus)、左の柱状図は花見川沖積地武石付近です。

ア black peaty Soil
「表面30cmは周辺の崖に露出する成田層の黄褐色の微砂の団塊を含んだ黒色の泥炭土で、人工的にかくらんされている。

イ H-3 dark brown Peat
その下250cm迄は暗褐色の泥炭層で分解はあまり進まず、L. von PostのSkalaでいうとH-3(極僅か分解、或いは僅かdyを含む。濁った水であるが、泥炭物質を含まず、残渣は粥状を呈せず)にあたる。

ウ drifting timbers
100-140cmと200-260cmには多数の木の小枝が含まれている。発掘中にはスコップで簡単に切れる位に分解した径20cm位の樹幹部も多数見られた。

エ chocolate-colered compact Peat
140-200cmの間はかなり緻密なチョコレート色の泥炭であった。

オ H-5 gray black Peat
「270-370cmの間は灰黒色の分離のやや進んだ泥炭である。(PostのSkalaではH-5、即ち適度に腐植化し、Dyを含有sる。植物組織はまだ見られる。握ると泥炭物質と非常に濁った水が出る。残滓は著しく粥状を呈する。)

カ gray Clay
370cm以下は灰色の粘土である。丸木舟は灰色粘土上にあった。ハスの実は確実にその位置をきめる事は出来ないが、ハスはヨシ等と共存しないという事から粘土層中にあったものと考えられるが、他所から流れよったものであるとすれば泥炭層の中でもよいわけである。しかしいづれにも泥炭層の下部である事には誤りはない。1.5mの検土杖によってたしかめられた所によるとこの左側支谷の中は谷頭にいたるまで泥炭及び黒泥土でうめられている。

 以上の記述から、丸木舟及びハス実は、谷津の奥深くまで入った縄文海進の海が海退に転じていく時代において、海水が淡水に替わったころで、泥炭形成が開始するまさにその時に埋積したことが判ります。あるいは、海水が淡水に替わり、谷津の上流側から泥炭形成(ヨシ原)が迫ってきた頃埋積したということだと思います。
 この論文で丸木舟・大賀ハスの出土層位と堆積環境がきれいに理解できました。

なお、この記事の本題とはすこしずれますが、3.11を体験した後ですから、泥炭層中2箇所のdrifting timbersが気になります。
 この論文の中では次のように検討しています。

支谷では二回にわたって著しく流木の多い時期がみられ、この間にやや異質の泥炭を見るのは水面変化によるものと推定される。即ち流木を含む部分では他の部分より幾分水位が上がり、季節風等によってこの支谷の中にふきだめられたものとみられる。しかし、この水面変動が潮の干満によるもので、これが二回あるのはたまたま、発掘地点でのみ見られる局部的現象なのか、或いは干満による水面変動より高次の変動によっておこされたものであるか不明である。

 3.11津波の巨大エネルギーを映像でまざまざと見せつけられると、2箇所のdrifting timbersが過去の津波痕跡かもしれないと気になります。

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