私の散歩論

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2011年9月20日火曜日

子和清水遺跡の出土物閲覧7

13出土遺物を閲覧して

独鈷石(石英粗面岩)

今回の出土遺物閲覧は千葉市教育委員会の許可を受けてから、日程を調整し、所定の日時に遺物が保管されている千葉市埋蔵文化財調査センターに出向き2時間かけて行いました。

事前に閲覧を要望した資料が全て机の上に用意していただいていました。

実際に資料を目の前にしてみると、全てについて興味を投影しながら詳細に閲覧することは不可能であるとすぐにわかりました。そこで、資料数の多い土器類の閲覧は思い切って最少点数にし、石器類のうち代表的なものに閲覧を絞り、それをじっくり見ることにしました。

時間配分は、最初の1時間20分は資料閲覧とし、残り40分は写真撮影としました。

なお、写真撮影では、用意した方眼紙(台紙)と小型三脚が役立ちました。

資料を閲覧した感想はこれまでの記事に書いた通りですが、全体を通して次の感想も持ちました。
ア 木や草や獣骨素材の用具
遺物として出土したものは石器や土器などであり、木や草あるいは獣骨などの素材の物は一切出土していません。関東ローム層に覆われた土質のため石器や土器以外は全て溶けてしまたったようです。木や草や獣骨を素材とした生活用具がどんなものであったかしりたくなります。

イ 近隣居住者とのネットワーク
子和清水遺跡の近くには犢橋貝塚があります。直線距離にして2㎞しか離れていません。しかし、子和清水遺跡から貝殻は1枚も出土しなかったとのことです。子和清水に住んでいた縄文人も出かければ魚介類をとることは可能です。しかし1枚の貝殻も出土しなかったということは、縄文人の間に社会的な役割分担のあるネットワーク(交換、贈与関係)が発達していたことを示唆します。犢橋縄文人は干貝や干魚をつくり子和清水縄文人に贈る、子和清水縄文人は干肉をつくり犢橋縄文人に贈るという役割分担が明確にあったように感じます。

ウ 黒曜石
こうした近隣縄文人同士のネットワークが、結局全国を覆っており、黒曜石原石などもこのネットワークを伝わって、はるばる箱根から千葉まで届いたのだと思います。

エ 狩対象の増殖祈願
生活の中で、狩りが最も重要な活動ですから、狩りの対象の動物が増えていき、なくなることがない「増殖」を願ったことは間違いないと思います。
人の増殖(生殖)を祈願するための道具の一つとして石棒が位置付けられるようです。
狩りの対象の増殖を祈願するための道具として何があったか興味があるところです。

(私の妄想では、独鈷石がそれにあたるのではないかと思います。狩った動物の腹を裂いて、まだ脈打っているような心臓[命の象徴]を握って取り出す時の手の感触を独鈷石が再現しているように、独鈷石を握ってみて、感じました。)

オ 物証のないことの想像
狩りをする時の心の持ち方、狩りのあとの動物の処理の仕方、動物に対する感謝の在り方、料理の仕方、獲物の皮や骨などの利用の仕方、肉の保存の仕方、交易に使う部分のつくり方、などなどについて、想像しなければいけないと思いました。物証(証拠)がないから考えないということは、古代人に対して大変失礼(不遜)であると感じました。

最後に出土物資料閲覧を許可していただいた千葉市教育委員会に感謝します。
(おわり)

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