花見川河川争奪を知る17 花見川河川争奪の成因検討2 oryzasan氏の説と感想4
oryzasan氏論文「花見川の地学」第2章引用に対する感想を述べます。
感想
ア 5万年前には、ほぼ現在の川筋に固定されていた
この論文を学習させていただき、沖積層を切る河川争奪という勘違いを排することができました。感謝します。
既報の通り、空中写真による地形面対比の作業を始めました。
その作業の中で、堀割普請で、掘削土捨土で埋め尽くされないで残った古柏井川の谷底面らしき地形面断片を見つけています。その地形面が勝田川の千葉第1段丘(武蔵野面相当)(房の駅より北に分布する河川段丘)に連続する感触をもっています。
もしそうだとすると、千葉第2段丘(立川面相当)を形成した河川の下刻時期に河川争奪が起こったのかもしれません。その場合5万年前より新しい時代(約2万年前)になります。
こうした想像が正確であるかどうかまだわかりませんが、作業の手がかりを得たので作業を進めて、順次報告します。
杉原(1970)による地形・地質概念図
杉原重夫(1970):下総台地西部における地形の発達、地理学評論43-12
イ 掲載図を見ながら、一つのヒントが浮かぶ
図5の花見川流域模式地質断面図とその説明から花見川流域の地層と地形発達の特徴がよくわかりました。花見川流域を含めてこのような素晴らしい研究が行われていることを知り、感動しました。
この図の上岩橋層上面が谷の形をしています。この谷の形はこの図では実際の谷ではなく、地殻変動を表現しているものだと思います。
この図の掲載趣旨と全く離れますが、この埋没谷イメージを引き金にして、「三谷豊・下総台地研究グループ(1996):下総台地北西部における後期更新世の地殻変動、地団研専報45」で次のような記述があることを思い出しました。
「木下層は、下末吉海進期の堆積物(菊池、1974)であり、上岩橋層を不整合におおって本地域のほぼ全域に分布する。基底面は一般に平坦であるが、しばしば深さ10mを越す埋積谷を基底に伴う」
もし、上岩橋層を削る深さ10m以上の埋没谷があり、その谷を埋める木下層の層相が泥層であれば、そのような場所が水蝕にさらされたとき、埋没谷が無い場所と比べて浸食が激しいという現象がおこるのではないかと想像しました。
自分としては花見川河川争奪の成因検討対象の一つになるのではないかと思いました。
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