花見川河川争奪を知る10 ようやくベールがとれた花見川河川争奪(追記)
白鳥孝治氏の論文「印旛沼落堀難工事現場の地理地質的特徴」(印旛沼自然と文化№5、1998)の引用文献リストに掲載されていた論文「木原善和(1995):江戸期の印旛沼掘割工事で描かれた絵図、印旛沼自然と文化第2号」を読み、白鳥孝治氏が八千代市有形文化財「下総国印旛沼御普請堀割絵図」をヒントに花見川河川争奪を考えていることを知りました。
2011年10月3日記事「ようやくベールがとれた花見川河川争奪」には、千葉市のことしか書かれていないので不十分ですから、次のように文章を追記し、記事の一部を修正しました。
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「下総国印旛沼御普請堀割絵図」が昭和53年に八千代市有形文化財として指定されました。この時合わせて安永9(1780)年「下総国印旛沼新開大積り帳」と天明3(1783)年「印旛沼新堀割御普請目論見帳」の2冊の古文書も附指定されています。この絵図は印旛沼堀割工事に係った時に描かれたものとして貴重な歴史資料です。
下総国印旛沼御普請堀割絵図(部分)
「八千代市の歴史資料編近世Ⅲ」カバー
この絵図は掘り割る以前の花見川の姿を伝えていて、花見川は柏井を谷頭とし、花島を南流する東京湾水系になっていることが確認できます。
八千代市教育委員会や千葉市教育委員会の活動により印旛沼堀割普請前の花見川水系の姿が一般に知られるようになり、その中で地学関係者等にもその情報が伝わり、花見川河川争奪を覆っていたベールがようやく、はがされた。ということがこの数十年程度の間に生起したと考えます。
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追記 この記事を書いた後に八千代市ホームページでの名称「下総国印旛沼御普請掘割絵図」の「掘割」は誤で、「堀割」が正であることを八千代市に申し入れ、訂正していただきました。
専門家の間でも誤った用語「掘割」が使われています。(2014.06.01)
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