花見川河川争奪を知る38 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説13
3期地形横断復元6
ア 天明期までの普請による掘削深
天保期堀割普請ではモデル断面付近での掘削深は4.5mでした。
天明期までの掘削深は組織力や財力が劣り天保期以上の掘削は行われなかったと推測します。
そこで、このブログでは天明期までの掘削深を天保期と同じ4.5mと仮に想定します。
この場合、天保期の谷底の高さ10.44mですから、普請以前の自然地形としての谷底の高さは10.44+4.5=約15mとなります。
イ モデル断面における古柏井川地形の推測
これまでの検討で、柏井付近で、北流する流れで形成された河岸段丘が普請盛土の下に隠れ、途中18.4m、17.1mの高さに谷壁斜面が存在し、横戸付近で流れに沿う方向で連続している地形面が存在し、それが千葉面に連続するという事実を報告してあります。
この事実から、古柏井川の地形が次のように対比されるものとして、模式的関係を推測します。
地形面の模式的対比(仮想)
この模式的対比は実証したものではありません。
ウ 3期地形横断復元
上記ア、イの推測を踏まえ次に3期地形横断復元図を作成しました。
天明期盛土と3期地形横断の推測図
多くの仮定を積み重ねてはいますが、3期(河川争奪後~普請前)の地形横断復元は概念的、原理的な次元ですが、できたと考えます。
3期の地形横断は15m付近(あるいはそれより2~3m低いところ)に谷底が、18m付近(あるいはそれより2~3m低いところ)に段丘があり、西岸に広がる広い谷であったと考えられます。
天明期普請までは、土工量の少ない西岸を中心とする掘削が行われ、18m付近段丘上に盛土がなされたと考えられます。しかし、その時点まではまだ広い谷の印象をもつことができる形状であったと考えられます。
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