花見川河川争奪を知る34 花見川河川争奪の成因検討3 クーラーの説9
3期地形横断復元2
その2 天保期普請前後の地形横断復元
ア 天保期普請堀割断面図
前記事で戦後の印旛沼開発工事前の地形横断を復元できました。
そして、その谷底地盤高は測量目的の違いや110年間の土砂流入により、天保期普請で実際に掘削した深さよりも高いことを述べました。
この記事では、天保期普請の実際の掘削深を検討します。
次の図は「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)口絵に掲載されている堀割断面図です。
堀割断面図
(鶴岡市郷土資料館寄託 清川斎藤家文書)
「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)口絵収録
この断面資料は堀床幅員が7間、掘削法面の勾配が1割(*)となっており、工事途中の見積作成のための資料であると考えられます。
当時の測量結果による地形現況を正確に反映した資料です。
この断面図の具体的な地点はわかりませんが、掘削深3丈の記載と庄内藩関係文書であることから高台付近(このブログのモデル断面付近)であることは間違いありません。
見積付属資料と考えられるので、庄内藩工区の代表的模式断面を表現しようとしている可能性もあります。
*「1寸勾配下」と記述してあり、「1割勾配下」と書くべきところを誤記していると考えられます。
(1寸勾配[水平距離10につき垂直距離1の勾配]と1割勾配[垂直距離1に対して水平距離1の勾配]では全く勾配が異なります。)
実際の掘削工事は堀床10間幅員、法面勾配2割でスタートし、工事途中に堀床幅員7間、法面勾配1割の見積を提出し、最終的には堀床幅員7間、法面勾配1割5分(庄内藩工区)となりました。
この図から、天保期堀割普請の時には享保期・天明期堀割普請による谷地形が在ったことが、具体的に判ります。
同時に当時の計画河床高の標高が判れば、この断面を現在の地形横断図と対比することも可能になります。
次に堀割断面図の数値をメートル法に換算して書き込んだ図を掲載します。
(1丈:3.03m、尺:0.30m、寸:0.03m、間:1.82mとして換算)
堀割断面図(メートル法換算値記入)
(鶴岡市郷土資料館寄託 清川斎藤家文書)
「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市発行)口絵収録
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