断層崖である小崖2に起因する先行谷津パターンを花見川が取り込んでいます。このこと自体が花見川が印旛沼水系谷津を河道逆行争奪した証拠として採用できます。
この付近の台地が生まれた時(下総上位面が陸化した時)、最初に次のような印旛沼水系必従谷が形成されました。
下総上位面形成時の必従谷分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
その後、地殻変動があり、次のような断層崖発生に起因する谷津パターン(断層崖先行谷津パターン)の形成がありました。(2012.2.29記事「小崖2に起因する谷津パターン」参照)
断層崖先行谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンは花見川(古柏井川)だけでなく、近隣の河川に一般的にみられる現象です。
参考 小崖2に起因する断層崖先行谷津パターン例
印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは次のようになっています。
印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターン
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
つまり、印旛沼堀割普請前の花見川の谷津パターンは小崖2に起因する断層崖先行谷津パターンをそのまま取り込んでいます。
これが河道逆行争奪現象の証拠となります。
断層崖先行谷津パターンはもともと古柏井川(印旛沼水系河川)で形成されたものですが、それが東京湾水系の花見川に取り込まれていることは河道逆行争奪現象があった証明材料となります。
* * *
2012.5.30記事「河川争奪(河道逆行争奪)の5つの証拠」からスタートした連載を終えます。
江戸時代から現代までの人工改変により、花見川のもともとの地形が専門家でも理解できなくなってしまっています。
しかしこのブログで、花見川に、類例のない特異形式の河川争奪地形(このブログで河道逆行争奪地形と仮称しました)が存在していることを自分なりに究明できました。
さて、今後このブログでは地形そのものから、特異な地形を利用した地域の歴史に興味対象を少しずつ移動していきます。
花見川のもともとの谷津地形が判ってきたので、その知識に立脚して、次のような人文現象について改めて検討したいと思います。
おそらく、花見川のもともとの地形が不明の時と比べて、興味をより深めることが出来ると思います。
・古代遺跡(縄文遺跡、弥生遺跡、古墳等)
・地名(特に縄文由来の地形関連地名)
・小金牧、六方野
・花島観音、横戸弁天、神社
・印旛沼堀割普請
・習志野演習場、下志津演習場
・戦後印旛沼開発
・開拓
・住宅団地開発など
また、折に触れて、「河川争奪現象の発生メカニズム」などマニアックな話題も記事にします。
googleにアカウントを持っていないので匿名で
返信削除失礼させていただきます。
とりあえずニックネームを「海老川乱歩」
とさせていただきます。
毎日わくわくしながら拝読させていただいております。
小生44歳の男性です。
7歳から20歳まで花見川団地に住んでおりました。
20歳から現在まで、同じ千葉県の船橋市に居住しております。
Cooler様が紹介してくださる写真や内容は7割くらいは、
昔自転車で走り回っていた所なので既知のものなのですが、
残りの3割は、こんな所があったのかとただ驚くばかりです。
小生、地学に多少興味があり、なぜ谷ができるのか
不思議に思っておりました。
このブログを読んで長年の疑問が解決し
胸がすっきりしております。
我々が何気なく住んでいる花見川周辺は、長い年月で見ると
ダイナミックな地殻変動が
発生していることが分かりびっくりしています。
花見川周辺は、地学のいい教科書だったんですね。
1つ教えていただきたいのですが本日(2012/06/26)のブログ内容で
無能谷があります。たとえば花見川団地の商店街横の
中央公園の谷ですが、
花見川第1小学校のところで北上していたのが東に曲がっています。
無能谷とありますが、花見川第1小学校付近から
京成大和田駅方向に
「谷」の痕跡などはあるのでしょうか。
さこう医院から大和田駅に行く道路は自転車でしか
通った事がないので
小生は谷の痕跡があるのか分かりません。
(小学生の頃は、セミ取りなどで、林から鷹の台ゴルフ場に1回でけ
入ってしまったことはありますがゴルフ場内の詳細な地形などは
記憶にありません)
どうかご教授の程よろしくお願い致します。
海老川乱歩さん
返信削除コメントありがとうございます。
このブログを読んでいただいて、興味を持っていただいて感謝します。
無能谷にその痕跡があるかとの質問ですが、あります。しかし人から説明を受けなければ、現場で谷(あるいは凹地)を実感できるようなものではありません。
せっかく質問していただいたので、記事にして詳しく説明したいと思います。
よろしくお願いします。